笑えば必ず幸福になる

                            (改訂版)

                     釘 宮 義 人

いつも微笑んでいましょう
        幸福な人生の秘訣です
いつもニコニコしていましょう
 そうです、幸福な人生を送る秘訣です
ですから、いつも笑っていましょう
  そう言われても、
     おいそれとは笑えませんよ
そうですか、すぐに
  「ワッハッハ」と笑える秘訣を
      この本に書いてあります

       

  目   次

  はじめに ………………………………………………………………………2

  一、「笑う門には福来たる」、笑えば、病気もなおる …………………………4

(1)笑うだけで幸福になる。病気もなおるって本当? 
(2)愉快なことを心に浮かべましょう 
(3)愉快になるための簡単な方法 
(4)まず笑いの練習から 
(5)笑いの練習の実際 
(6)笑えば楽しくなるのは何故か?、科学的根拠

  二、笑いの医学的効果について ……………………………………………32

(1)作り笑いでよい 
(2)血液検査に表われる笑いの効果

  三、キリストは笑ったでしょうか ………………………………………………38

(1)キリストは笑ったことがあるだろうか 
(2)イエス・キリストの笑い 
(3)「喜んでいなさい」という聖書の命令 
(4)意志と感情 
(5)「信仰」と「行い」 
(6)世界的な笑いの聖霊の現われ 
(7)身近な所でも

  あとがき ………………………………………………………………………54

             第一刷   一九九八年 五 月一七日
             改訂第五刷 一九九九年 五 月 九 日
             改訂第六刷 二〇〇五年 三 月二三日

 

     は じ め に

 心の底から、愉快に、笑う技術を身につけましょう。大きな口をあけて笑う技術を体得しましょう。そうすればあなたはいつも微笑んでいる人になります。
 いつも微笑んでいましょう、これは幸福な人生の秘訣です。微笑んでいる人は周りの人に喜びを伝染させます。ですから、いつも微笑んでいる人は知らず知らずのうちに人々から愛されます。幸福です。いつも微笑んでいる人になりましょう。
 とは言え、この小冊子は「いつも微笑んでいましょう」という精神修養をすすめる本ではないのです。「いつも微笑んでいることはすばらしい」という、その説明もしません。そのことは分かりきったこととして、そのことは説きません。それでは何を書いてあるのでしょうか。
 この小さな本では簡単なことを書いてあります。それは「いつも微笑んでいることができる単純な秘訣」です。これは簡単な練習で体得できます。
 「ワッハッハと笑いましょう」と言う、それだけです。簡単すぎて皆さんから馬鹿にされそうな気もしますが、思い切ってこの小冊子を作ってみました。薄い小さな本ですが、どうぞ最後までお読みください。
 この本に書いてあることは本当に単純です。ただ、どうぞ実際にやってみてください。少しでも実際に試みてくだされば、要領がしだいに分かって来ます。そして必ずあなたは幸福になります。
     一九九九年二月一八日
                          釘 宮 義 人

 

 

   「笑う門には福来たる」


    一、笑うだけで幸福になる、病気もなおるって本当?

 「笑えば必ず幸福になる」と、この小冊子の題をつけましたが、ほんとうでしょうか。「本当です」と私は答えます。
 「そりゃそうかも知れない。しかし、どうやって笑えるの。嬉しいことや可笑しいことが何一つない。少しも愉快でないのだから、笑いたくても笑えませんよ」と、不審に思われる方は多いでしょう。
 「でも無理にでも笑ってごらんなさい。作り笑いでもよいから笑ってごらんなさい。少しづつでも、幸福な気分を味わえるようになります」と、私はいつも言っています。
 心になんの喜びも楽しさも感じなくてもよいのです。それには構わずに、口を大きく広げて笑う所作をしてみてください。初めは下手な芝居をしているようで、何だかそぐわない感じもするでしょう。でも何度か試みてください。次第に慣れてきます。
 そして不思議に喜びや、楽しさが少しづつでも心に湧いてきます。これを繰り返していると、あなたはしだいに幸福な人になります。そして、長年の病気もしだいに快癒するでしょう。
               *
 まず、「笑えば病気がなおる」ということを、世界に初めて発表したのはノーマン・カズンズという人でした。彼はもともと医事評論家でしたが、その彼自身が実に膠原病という難病にかかったのです。彼の膠原病は特に治療が困難なタイプだったそうですが、彼はこの病気を「ワッハッハ」と笑うことによって治癒期間を三分の一にちぢめたのです。これが世界的に有名になりました。
 最近では倉敷市の医師・伊丹仁朗医学博士が、癌の患者さんを大阪なんばの劇場に連れていって、漫才、漫談や吉本新喜劇を三時間見せて笑わせたことがあります。伊丹先生はその直前と直後に患者さんがたの血液検査をしました。するとナチュラル・キラー細胞といって、癌細胞を攻撃破壊するリンパ球の一種ですが、その細胞がすべての患者さんの血液中で、笑う前の数値より後の数値のほうがはっきりと良い結果を示していたそうです。笑うことは明らかに癌などをやっつける力になるのです。
 一昨年十月十一日の読売新聞に載っていた、スウェーデンの老年学、臨床心理学者エルゼ・メリン女史の談話ですが、笑いの効用を説いています。
 言わく、「人ごみの中で、持病の足の痛みが出たら私はこうします。ハンカチで顔を隠して、その陰で笑いの表情を作るのです。そうすると、あら不思議、痛みや疲れが自然に治ってしまうのです」と。
 脳の活動にも良い効果があるようです。私のことですが、私は教会の牧師ですから、日曜日や祈祷会の木曜日ごとにメッセージ(いわゆる説教)を話さねばなりません。教会の牧師が毎週、二番煎じでない真面目な説教原稿を作っていると知って、かつての文豪・島崎藤村は驚嘆したということですが、才能の無い私などけっして毎週うまく説教原稿ができるわけがありません。
 土曜日の夜、説教準備に苦労するのは、どこの牧師も同じと思いますが、アイデアが枯れて行きづまった時、私は「ワッハッハ」と笑います。ひとしきり笑って、しばらく(五分ほどでよい)あせらないで待っていると、ぽっかりこれまで気のつかなかったアイデアが湧いてくるのです。
 私は体験的に、このあせらないで僅かの時間五分ほどを待っているのが秘訣であることを知っています。これは私だけのことかもしれませんが、実際に試みてみてください。どなたでも同じような好結果を得られると信じています。

    二、愉快なことを心に浮かべましょう

 さて、先年ベストセラーになった春山茂雄氏の「脳内革命」はみなさんもすでにお読みでしょう、よい本です。「愉快なことを考えましょう。そうすれば病気も治ります」、これが、この本の主題です。
 「え? 愉快なことを考えさえすれば、どんな病気でも直る? 本当かなあ……。でも、とにかく愉快なことを考えれば気分はよくなるだろう。そうすれば、病気も少しは良くなることは、まあ考えられるなあ。」この程度のことは、どなたも理解できるのではないでしょうか。
 なるほど、たとえ病気でなくても、気分が落ち込んだ時、心が滅入った時、憂欝で仕方がない時、そこから立ち直るには、「愉快なことを考え、楽しいことを心に描く」ことが出来れば、それが一番よいには違いない。
 まして、病気の人でしたら、なおさら「愉快なことや、楽しいことを心に描く」ことは、病気の治療に効果はあるだろうと、ある程度なっとくはゆくのですね。
 病気の場合、あれこれ医者や薬を替えてみた。しかし、一向によくならない。はかばかしくない。医師も医学も信じられなくなった。ほかに道がない。気分が欝屈するのは当然です。
 そういう時に、まず心を明るくしましょう。心を楽しく愉快なほうに転換しましょう、そうすると病気も治りますよ。これが春山茂雄氏が「脳内革命」で言っていることです。最近は、これに賛成する先生がたも多くなりました。
 しかし、どうしたら「心を明るくし、心を楽しく愉快なほうに転換する」ことができるでしょうか。「それが出来るくらいなら、とっくにしているよ」と言われるでしょう。現に苦しんでいる人は、こう言うでしょう。
 「現に私は苦しいばっかりなんですよ。どうして心を明るくし、心を楽しく、気分を愉快にすることができましょうか。楽しいことなんか、ぜったい考えられません。」
 わかります。そんな人に、秘訣をお教えします。簡単に楽しい気分になれる方法をお教えします。
 「えっ、本当ですか。そんな方法があるのですか。」
 ええ、その方法があるのです。それでは、次の項をお読みくさい。

    三、愉快になるための簡単な方法

 あなたが、今、いっこうに楽しくなくても大丈夫です。
 春山先生の本などですと、「愉快なことを考えましょう。そうすれば病気も治ります」とあります。しかし「愉快なことを考える」ことが第一難しいのですよね。
 そこで、私はもっと簡単な方法を提案します。私の提案する方法はいたって簡単、
 「ただ、「『ワッハッハ』と笑いましょう。」
 と、それだけです。
 「えっ、ただ、そんなことで良いんですか。」
 はい、そうです。初めは小さな声でよいですから、……いや、こっそり心のなかで笑ってみるだけで良いですから、やってみましょう。
 その内そっと声を出して見ませんか、自信の無い小さい声でしか、笑えないかもしれませんが構いません、何度も繰り返してみてください。
 次第に笑えるようになります。少しづつ声も大きくなって、次第に心が楽しいほうへ、少しづつ上向いて行きます、愉快になって行きます。
 「なんだか、カンタンすぎるなあ。」と思うでしょう。まして真面目な方だったら、なおさら、
 「なんだか、不自然だなあ。自分をだましているみたいだなあ。これは人に見せかけているだけではないか。偽善行為じゃないかなあ。」
 と思うかもしれません。しかし決してそうではありません。偽善と言うのは、下心があって人に見せかけるためにする芝居を言うのです。
 ただ「明るい人になろう、楽しい人になろう」と、本音で努力をする、これは正しい努力です。決して偽善ではありません。
 ただ、この初歩の段階では笑いは、まだぎこちないかも知れません。しかし、自動車の練習をするのと同じです。ぎこちないのが当りまえです。そのうち本物の運転、いや笑いになります。
 泳ぎを覚える時も、自転車に乗る練習をするときにも、初めはぎこちないし、恐る恐るです。しかし繰り返し練習していると、そのうち本物になります。じょうずになります。

    四、笑ってみましょう、まず笑いの練習から

 まず笑ってみましょう。それは練習からです。
 まず、理屈抜きに、鏡の前に立って、鏡を見ながら、口を大きくあけて、おなかに手をあてて、おなかで大きく息を吸う。そして腹の底から声を出し、腹をゆすって「ワッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハ」と大きく笑ってみるのです。
 何度も笑ってみて、しまいには大きな声で「ワッハッハッハ」と笑ってください。少なくとも一日に朝、晩、二回は大きな声で笑ってください。できれば日に何度もやってください。もちろん鏡を見なくても、口に指を入れなくても、笑う真似だけでも良いのです。
 しかし、練習というより、訓練、鍛錬、です。真剣に笑うのですよ(笑)。鏡に向かって。指が縦に三本入るくらい口を開いて、大げさな動作で手をおなかに持って行き、思い切り大きく息を吸いこんで、体を大きくゆすって、笑うのです。その方がやりやすいのです。そして「ワッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハ」と息を切って笑うとよいのです。しまいには手を振り、足を踏ん張り、おなかを叩く、笑いの体操です。
 毎日繰り返し、継続(継続は力なり!)し、習慣化し、習慣は性格を作ります。あなたが、これをやると、にこにこ笑いの性格を作ります。あなたは万人から愛され、尊敬されます。
 ぜひ、これをやってみてください。心が必ず明るくなります。愉快になります。そして幸福感を味わえます。笑った瞬間に心が明るく愉快になるはずですが、その事はあまり期待せず、五分ほど待っているとよいのです。しばらく放っておくと次第に気分が明るくなっていることに気がつきます。(「期待せず五分ほど待っている]というのは、宗教的に言うならば「委ねる」ことです。仏教でいうなら「自然法爾」、キリスト教で言うなら「全托」ということです)。
 大げさな「ワッハッハッハ」が終わったら、今度はすこし落ちついて「アハハ、オホホ」と笑いながら、手や足を派手に鳥や動物のようにうごかして子どものように遊んでください。ここでリラックスを覚えます。これを「アハハ、オホホ」法と言います。
 私は数年前、オランダのアムステルダム空港のロビーで、どういう訳か「HAHAHA」という文字の大きなネオンが天井に吊るしてあるのを見ました。なんであのようなネオンがあるのか、今でも私は不思議に思っていますが、宣伝文句など一字もない不思議な装置です。私はそれを見て早速その下に駈けつけて行って、愉快に手を振って大きな声で「ワッハッハ」と笑ったものです。
 なぜ、そんな事がすぐできるか。それは私の心か軽(かろ)やかだったからです。なぜ、そんなに心が軽やかなのか。私ははっきり自信を持って言えます。いつも「アハハ、オホホ」法で笑っているからです。
               *
 「アハハ、オホホ」方法の練習も鏡を見ての練習が良いです。鏡の前で軽く笑ってください。鏡に写ったご自分の笑顔をよく見てください。前項で申し上げたような「ワッハッハ」というような大げさな高笑いでなく、軽い笑いです。「アハハ、オホホ」から始めて、「ウフフフフフ、エヘヘヘヘヘ」と笑ってみてください。
 「ワッハッハ」と真剣に笑いますと三分とは笑えません。息が上がります。しかし「オホホホホホ」と軽い声で笑いますと随分長い時間笑えます。やって見てください。
 私はよく兵庫県の高砂教会の集会に参加しますが、ある時、夜ホテルに帰って部屋にこもって鏡の前で「ウフフフフフ」と笑っていましたら、結構三〇分をオーバーして笑いつづけていました。
 つい最近、五十肩ならぬ八十肩に襲われました(私は今年八十三歳ですよ)。そこでこの軽い笑いで笑って、ほとんど終日笑っていました。夜になってベッドに入ってからも、「ホホホホホ、フフフフフ、ヘヘヘヘヘ」と笑って、いつの間にか寝入ってしまいました。翌朝、目がさめると、痛みは去っていました。笑いながら寝入ってしまうのがコツかも知れません。
 それはともあれ、大事なことはできるだけ鏡に向かって「ホホホホホ、フフフフフ、ヘヘヘヘヘ」と笑って、そのあなたの笑い顔をあなたの脳裏に納めることなのです。その笑い顔の印象をあなたの脳裏に残す。これが大事です。あなたの性格を変え、だれにも愛され信頼される人格を形成します。
 むかしと言っても三十年ほど前ですが、明治生命の保険セールスで原一平という人がいました。全国第一位の成績をつづけ、こんな記録は前人未到、将来も現われまいと言われ、世界ミリオンダラークラブの終身会員になった人です。
 この人のセールス成功の秘訣の第一が彼の無類の笑顔にあったと言われます。その笑顔は生れつきのものではなく、彼自身の苦心、研究の賜物である。彼こそは、鏡の前に立って笑顔の研究をした先達者です。彼は彼自身の研究した笑いのレパートリーをご披露しています。
 たとえば、@心が晴れ晴れする笑い、A感動して声を噛み殺す笑い、B嬉し泣き笑い、C相手の気持ちを解きほぐす笑い、D仲直りする時の笑い、E相手と一緒に喜ぶ笑い、F朗らかな笑い等々、三十七もあげているのです。こんな人は他に一人も居ないと思います。
 この笑いの熟練の成果が、かつての福田赳夫首相や各界の大物をはじめ、多くの人々を魅了し、セールスの神様と言われた人物となったのです。彼は何度も言っています。「鏡に向かって笑顔の研究鍛錬を怠るな」と。
 変な堅苦しい冥想などより、この「ワッハッハッハ」や「アハハ、オホホ」のほうが、よほどやりやすい冥想であるし、その効果もあると私は思っています。
               *
 昔から言います、「笑う門には福来たる」と。病気も直りますよ。ですから「笑う練習」をしてください。だれでも一人できる、簡単で効果的なひとり練習です。
 一人で練習をするときの注意を申しあげましょう。それは気楽な気分で、すぐ練習を始めることです。まず第一歩を踏み出すのです。
 ところが、この第一歩が難しいものです。たとえば、自己啓発の講習会などでアファーメイション(声をあげても自己目標を唱える)を習って帰っても、家に帰ってやってみようとすると、うまく行かない。「また、ほかの日にしよう」と、そのまま日をすごしてしまう。そういう人が多いのではないでしょうか。
 こういう種類の練習や訓練は、聞いて、「分かった、分かった」と、うなずくだけでは駄目なのです。知的に同意し、やろうと決心してみても、実際に実行しかけると、どうもうまく行かない。なんだか、ぎこちないし、家族の前では照れる。そのうち、忘れてしまうのです。
 (それでも、これは良いこと、いつかやってやろうと思っているだけでも、日常生活のなかで、時おり笑う工夫をしてみたりするから、それでも良いのです。まったくダメというわけではありません。)
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 さて、私が実際に説明し,ご指導する場面を少しご紹介しましょう。
 先日、大分市のある公民館の老人大学に講師として招かれました。「毎日喜んで生きる秘訣」というテーマでお話をしたのですが、中身は「笑い」のおすすめです。講演会の後で、聴衆のみなさんは「今日の講演は面白かった」と喜んで帰られたと聞いて、私も大いに喜んだものです。
 私が、「みなさん笑いましょう」という主題を単なる講演でなくて、黒板に次の図のような「ワッハッハ」の絵を書いて、私自身、講壇を下りて皆さんの前で大げさに「ワッハッハ、ワッハッハ」と笑ってみせて、しかも皆さんと一緒に大いに笑いに笑ったのです。これが好評だったのだろうと思います。『ワッハッハ』と笑いのお話を私がいくら熱心にしても、講壇の上からのお話を聞くだけなら、私の話は皆さんの頭の上を通り過ぎて行くばかりです。聞いている皆さんは実際にはどうしてよいか、そのコツがまだ分っていないのです。家に帰って家族の前で笑って見せる勇気も出ないし、こっそり一人で笑うことすら照れてできません。家に帰って、ただ「今日は面白かった」と言うだけで、実際には笑いの生活に入れないのです。
 こうした新しいことを覚えて身につけるためには、どんなことでも目の前にモデルがあると呑み込みが早いのですね。野球のコーチが選手に打撃や捕球の模範をしてみせるようなものです。
 たとえば、先ほどの絵や、また私が実際に極端なしぐさでみなさんの前で大仰に笑って見せる。そうすると、聴衆のみなさんは釣られて笑います。
 こうして私はまず「笑い」のデモンストレーションをしようとしているのです。次に皆さんを「笑う」の練習に誘い込むのです。私の本当にしたいことは皆さんに「笑い」の訓練をすることです。つまり私は、「笑い」のデモンストレーターであるのみならず、「笑い」のトレイナーでもあるわけです。
 こうした訓練と練習の結果、訓練とか練習とか言っても、これはけっして苦しくも難しくもありません。やさしくて楽しいことです。やりつづけてみてください。毎日、愉快です。そして楽しい日がつづきます。毎日毎日笑っているうちに、しだいに笑う癖が、つまり笑う習慣が身についてゆきます。
 この習慣がすっかり身につきますと、それはその人の性格になります。「習慣は第二の天性」と言われるとおりです。
 天性!、つまりその人の人柄になってしまうのです。いつもニコニコの微笑みの人になってしまうのです。
 時おり、地方のお寺か神社などに、昔から「笑い講」とかいうのがあって、門徒や氏子が集まってどれくらい笑えるか、「笑い」っぷりを競う習慣があるということを聞いたことがあります。
 「笑う」ことは人間の心や体に非常に善い影響を与えるということを昔の人は知っていたのだろうと思います。それを「講」というような行事にして、民間の伝承にしたのは庶民の知恵だと思いますね。
 なお、笑う練習の場所ですが、新幹線のトイレの中などなんかよいですね。車を運転する人だったら自動車の中が一番よいです。密室だし、エンジンの音で完全に外には声が出ません。遠慮無く笑えます。
 もっとも、一度、私は窓を開けたまま気づかずに「ワッハッハ」と大きく笑っていていたら、赤信号の前で止まって居ましたので、隣の車の助手席の人がびっくりしてこちらを見ていました。悪いことをしているわけではないから、もう一度「ワッハッハ」と笑って見せて車をとばしました。
               *
 ともかく、風邪でもひいたら、すぐ体験してみてください。薬を飲むなとは申しません。薬を飲んでいても構いません。「ワッハッハ」と大きな声で笑ってください、何度も何度も笑ってください。いつもよりは風邪の直るのが早いはずです。
 昨年の六月、北九州の教会で特別の集会を持って、私が癒しの祈りの奉仕をしました。その時、この「笑い」を反復しました。その後で祈って差し上げた方々の中で、白内障で視力を全く然無くしていた方の、その視力が半分ほど回復しました。私のネクタイなどが少し見えだしたと言って喜んでくれました。私は半分だったのでがっかりしていましたが、ご本人は半分でも光が見え出したのだから嬉しいと言って大はしゃぎでした。
 今、病気の方はどうぞ、臆せず、照れず、大きな声で体をゆすって笑ってください。しかし、慣れない人がベッドの上で可笑しくも楽しくもないのに、いきなり笑い出すということはなかなか出来ないものです。もしあなたのご家族や友人に病気の方がおられたら。この方法を教えてあげてください。どうぞ、そばに行ってよく説明もし、笑い添えてあげてください。いっしょになって笑うのですよ。それが親御さんでしたら、よい親孝行になります。
 第一に、必ず病気が治るでしょう。少なくとも軽快します。
 第二に、笑うことによって、その方も周囲の家族も、みなさんの心が必ず明るくなりますよ。この習慣がつづいたら、どなたも必ず幸福になります。
 笑いの練習をしょっちゅう続けていると、笑う習慣がついてしまって、どこに行っても格別に意図せずとも自然にニコニコほほえんでいる人に変身します。
 だまされたと思ってやってみてください。笑えば、だれでも幸福になるのです。

    六、「笑えば楽しくなる」のはなぜか、科学的根拠

 一般に、人が笑うのは、外界から笑わせられるような刺激がはいって来て、受動的に笑うのです。面白いテレビ番組を見たり、寄席に行ったりして、可笑しいことや愉快なことを見聞きして初めて笑うのです。
 このように笑いは自然に心の内側から起こるものです。それを一向面白くも楽しくもないのに「ほら、自分で笑いなさい?」と言われると、そんな無茶なことができるか、と不審に思うのは当然です。
 ところが、私は乱暴なようですが、「すぐ単純に笑い始めなさい」と言います。それは次のような観点からです。
 人間は元来、意志的な存在です。「意志をもって笑おうとすれば笑えるはずである」、これが私の考えです。その論理で「あなたも、あなたの意志をもって笑おうと決心しませんか。……さあ、いいですか、笑いましょう」と、私はお勧めするのです。
 アメリカの十九世紀の哲学者ウイリアム・ジェームスが言っています、「人は悲しい時に、当然悲しいから泣く。しかし逆に泣いていると、初めは悲しくもなかったのに、泣いているうちに不思議に悲しくなってしまうのです」と。
 だから私はウイリアム・ジェームスの真似をして言うのです。「人は嬉しい時、喜んでいる時に、当然笑います。しかし、逆に喜んでいなくても笑っていると、不思議に楽しくなるし、また喜びも湧いて来るのです」と。このことが私の提唱している「笑いの練習」の基礎原理であります。
 ですから「喜びの感情は無くてもよい、まず笑いなさい。自分の意志で笑いなさい」とおすすめしているのです。心になんの喜びも楽しさも感じなくても、構わずに口を広げて笑いましょう。初めはヘンな感じがするでしょう。しかし、何度も練習していると、だんだん慣れてきますよ。そして不思議に少しづつ喜びや、楽しさが心に湧いてきます。
 ところがです、実際に、一人で部屋の中にいて笑おうとすると、なんだか恥ずかしく照れる。だれも居ないのに、なぜか恥ずかしい。なぜでしょうか、「ワッハッハ」と笑えない、なぜでしょうか。原因は多分たった一つです。その障碍は、実は自分自身にあるのです。
 それは、自分の心の内にある「他人の目」、つまり誰からか見られているのではないかという不安、その恐れの気持ちがあるからです。最初はなかなかぎこちなくて、うまく笑えないのは、みなこうした心理状態からです。
 これは実は、部屋の中で一人で演説や歌の練習をするにしても、空手の練習をするにしても同じです。またビジネスマンの自己啓発研修会などで、声を張り上げてアファーメイション(自己を励ます宣言)をすることを勧められますが、これも同じです。
 応援団のリーダーや演説の練習、自己啓発訓練など、自分の心を強化しようとする自己訓練の場では、この「笑いの練習」の場合とまったく似たことが起こります。こうした時、
 自分の内にある「他人の目」を無視することが大事です。ちょっと勇気を出して、一人で練習してみてください。小さい関所のようですが、この関所を突破することを一端やってしまうと、後は簡単です。
 この関所を突破する経験は、この後かならず、あなたの人生の貴重な経験となるはずです。これからのあなたの生涯で、いろんな自己鍛錬を試みる場合、どんなことでも容易に行動を起すことが出来、なんでも初めて手をつけ、なんでも実行することができ、ついにはそうした行動力の自信を持つことが出来る。これは人生成功の階段の第一歩です。
 もう一度、書きます。本当は人は自分で笑おうと思えば笑えるのです。
 ところが多くの人は、笑うということは外からの刺激によって初めて可能である、愉快なことがあってこそ人は「ワッハッハ」と笑い出せるので、人はしらふでは笑えない、とこう一般に考えられています。外から面白いこと、可笑しいこと、愉快なこと、楽しいこと、そういう刺激が与えられないと笑えない。こう考えられている所に問題があるのです。
 人格の中心は意志であって、人は自分の意志によって自分の感情を動かすことが出来るのです(この事の説明は難しいので又の機会にゆずります)。
 ですから、初めから本当に愉快になって面白くて楽しくて笑う必要はないのです。笑う真似をするだけで良いのです。形だけ頬のあたりを持ち上げて笑っている顔にするだけでよいのです。初めは心の中で笑っている自分を考えるだけでも良いのです。
そうすると、楽しくなります。
 聖書は「心の楽しみは体のクスリである」と言います。西洋では端的に「笑いは最良のクスリである」と言います。膠原病の痛みを笑いで回復期間を三分の一にちぢめたノーマン・カズンズという人のことは先に書きました。「笑うと病気が治る」ということを最初に言い始めたのは、このノーマン・カズンズさんです。(戦後、広島の原爆を受けた娘さんたちをアメリカに連れて行って医療奉仕したのは、このノーマン・カズンズさんです)。
 風邪をひいたら「ワッハッハ、ウフフフ」と笑ってみてください。決してくすりを飲むなとは言いません、何度も何度も笑ってください。いつもよりは風邪の治るのが早い筈です。

   笑いの医学的効果について


    一、作り笑いでもよい

 笑うことによって人の血液中の酸性が弱アルカリに変わる、と言った人は戦前にもいたと、私は記憶する。
 十数年前に「癌のイメージ療法」を開発した有名なK・サイモントン博士は言います。「笑いは私たちの体内の化学物質に変化を与える。笑いは神経系、循環系、内分泌系、免疫系をはじめとする人体の系や器官に深い作用を及ぼすのである。『笑いは又とない良薬』という古い言葉は本当です、と。三千年前の聖書も既に言っています。『心の楽しみは良い薬である』(箴言一七・二二)とも」。
 J・ウォルシュ博士は言う、「腹の底から大笑いすると、主要な臓器のほとんどが刺激を受け、病気に対する抵抗力が高まります」。これは、マラソンをしている選手たちのランナーズ・ハイに似ている。それは脳内モルヒネが血液中に放出されて起こる精神の高揚感であって、エアロビクス効果とも似ているのです。
 W・フライ博士は言う、「二十秒間腹をかかえて笑うと心臓の運動量は三分間、力いっぱいボートを漕いだのと同じです」。
 伝統的「丹田呼吸法」でも言っているそうです。「大いに笑って爆笑や哄笑するのは心臓を快適にし、強心法を知らずして行うことになる」と。
 クラーク大学のJ・レアード教授によると、「ほほえみを浮かべるだけで、脳内に蓄えられた良い記憶が誘い出されるようです」と。
 又、ほほえみは解剖学的には大頬骨筋を持ち上げる。その大頬骨筋の影響が胸腺を強くする。胸腺は免疫系に重要な役割を果たす器官であるのです。
 この際、大事なことは、作り笑いでも同様の結果が生まれるということである。ほほえみが本物であるか、ただの真似であるかは問題でない。
 前述しましたノーマン・カズンズですが、彼はベッドの上で「面白テレビ」を見て、おなかをかかえて笑ったそうですが、その当人がいわく、「笑いは内臓のジョギングである」と。(私はこの「おなかをかかえて笑った」という記事から、彼が「面白テレビ」を見ながら、相当努力して意識的に笑ったらしいことを推察して、その時から私に笑いの訓練というテーマが湧いたのです。)

    二、血液検査に表われる笑いの効果

 これは前にも書きましたが、倉敷市で医師をされておる、医学博士・伊丹仁朗先生が言っている。この方は癌患者の「生き甲斐療法」で有名な方です。癌患者さんたちを本場のアルプスにつれて行ったこともあります。この先生が患者の方々十九名を大阪なんばの花月劇場に連れて行って、漫才や漫談、吉本新喜劇を三時間観劇、大いに笑ってもらった。その時、癌患者の方々の直前と直後の二種類の血液検査が異状にすばらしい数値を示していたことは前述しましたね。
 もう一つの検査はCD4/8比という検査。これは膠原病やリウマチに対する抵抗力を調べる検査であるが、これも低い数値が正常値に向かって変化を示していました。
 又、日本医大の吉野槙一教授という方は、リウマチ治療中の人々に落語を聞いてもらい、やはり同様の血液検査をしたら、リウマチの場合、異常に増えるインタロイキン6が減少して、関節の痛みも軽くなっていたと言います。
 あるテレビ番組で、「笑いは健康によい」というかなり実証的な放映をしていました。その中から私の気づいたことを以下に書き添えておきます。
 @笑うと自律神経のバランスがとれ、活性化する。つまり交感神経と副交感神経が昼の夜と交互に適切に興奮するのです。その結果、ビタミンの吸収がよくなり、ホルモンがたくさん出るようになります。
 A笑うときの肉体の運動量はかなり大きいし、カロリーの消費料も大きいのです。その結果、内臓脂肪がぐんと減るのです。
 B笑うと目じりにしわができると美容上の心配をする人もいますが、安心してください。かえって魅力たっぷりのえくぼをつくる筋肉ができるのです。この筋肉ができるのは人間だけです。他の動物は笑えません。笑えるのは動物のなかで人間だけです。
 Cここ、十年ほど笑わない赤ちゃん(サイレント・ベビー)が増えています。「最近は幼稚園の子どもたちも笑わなくなった」そうです。お母さんがよく笑うお母さんであれば赤ちゃんも真似をしてよく笑うことでしょう。そうすれば赤ちゃんも心身ともに健康なお子さんに育つことでしょう。

   キリストは笑ったでしょうか

 私はキリスト教の牧師ですが、教会で「笑いましょう、必ず幸福になります」と言うと、「えっ、キリストもお笑いになったのでしょうか」などと、ご返事が帰ってくることが多いのです。以下はおもにそうしたクリスチャンの方々にむけて書きましたが、一般の方も興味のあるかたはどうぞ、お読みになってください。

    一、キリストは笑ったことがあるだろうか

 東北大学教授の宮川光雄氏著「キリスト教と笑い」(岩波新書赤版)を見ると、「聖書のなかにイエス様が笑ったという記事が一個所もない」と書いてある。
 イエス様はいったい笑わなかったのであろうか。いつも謹厳実直、よくクリスチャンの形容詞に使われる「敬虔」な面持ちで、クスリとも笑ったことが無い方であっただろうか。
 私は、イエス様は笑わなかったはずはないと思う。
 イエス様を当時のパリサイ人たちが攻撃する言葉が聖書に出ている中に、「大飯喰らいの大酒のみ」(ルカ七・三四)というのがある。たぶん、イエス様は大の宴会好きではなかったかと思われる。宴会ではぶどう酒を適当に召して、呵々大笑なされたかと思われる、これは私の楽しい空想であるが。
 ともあれ、私は哲学辞典を開いて、「笑い」についてなんと書いてあるか調べた。有名なのはベルグソンである。その他、かの碩学カントや実存哲学のサルトルや、いろいろ出てくる。

    二、イエス・キリストの笑い

 イエス様が「聖霊によって喜ばれた」(ルカ一〇・二一)などというのは、どういう笑いであったろうか。
 あるいは又、「あなたがたが迫害にあったり、偽りの悪口を受けた時、喜べ喜べ」(マタイ五・一二)と言われたのは、どんな喜びをさすのであろうか。この時の「喜ぶ」という言葉の原語は欣喜雀躍、小躍りして喜ぶという意味である。漢語で言えば呵々大笑である、いや、呵々哄笑と言いたいところだ。
 笑いの本質は皮肉や、からかいではない。それは本来の笑いが、しえたげられ、ゆがめられている笑いである。幼子が心の底から笑うような笑いが本来の笑いである。聖霊様によって起こされる笑いは、そのような完全なる聖なる笑いである。
 三年ほど前のことです。横浜の保土ケ谷教会で説教をしたことがあります。私の説教は、皆さんを笑わせに笑わせました。その教会の牧師であられた永井信義牧師先生があとで「うちの信者さんたちは、みんなびっくりしていましたよ。あんなに笑わせられる説教は初めてだったでしょうから」と笑っていました。
 そして、その永井先生から「先生に打ってつけの本がありますよ」と教えられ、お借りして帰った本があります。その本は「キリストの笑い」という書名でした。英語の本でしたが、信義先生にお返しして、あらためてアメリカに注文しようとしましたが、アメリカではもう絶版になっていました。こういう本はアメリカでも、謹厳なクリスチャンの間では「キリストが笑った」などというテーマは不人気なのでしょうか。こういう質問が寄せられます。
 「聖書は、私たちに『笑え』と命じていますか。またイエス様は果たして笑ったでしょうか。どこか、聖書の中にイエス様が笑ったという記事がありますか。」
 正直に答えざるを得ません。「聖書には、私たちに『笑え』と命じている個所はどこにもありません。またイエス様が笑ったという記事も聖書のどこにもありません」と。
 「それでは、なぜそんなに笑うことを一番大事なことのように宣伝なさるのですか。それほど笑うことは大事なことでしょうか」。こういう質問を、まじめなクリスチャンから受けそうな気がします。

    三、「喜んでいなさい」という聖書の命令

 ところで、「笑いなさい」とは言いませんが、「あなたがたは喜んでいなさい」というのは二千年前からある聖書の言葉です。「この(喜びの)勧めを何度くり返しても私には煩わしいことではなく、あなたがたには安全である」(ピリピ三・一)とさえパウロは言います。
 豊かな感情を持つことは良いことですが、泣いたり、怒ったり、責めたり、叱ったりすることは、注意しないと危いことが多いのです。しかし、喜ぶことは幾ら繰り返し、いつも笑っていても、葬儀などのような席でない限り安全です。
 「あなたがたは喜んでいなさい」という聖書の命令は単純です。「今、楽しくないから喜べない」などと言い訳しないで、今すぐ笑いまししょう。すると楽しくなります。
 聖書は言います。「神様はあなたの口に笑いを与え、次にその唇に喜びを与える」(ヨブ八・二一参照)と。そこで詩篇八一・一〇ではこう言います。「あなたの口を広くあけよ。わたしはそれを満たそう」と。
 まず口を広くあけなさい。そうすれば神様が「笑い」を満たしてくれると言うように読んでみたいのです。これは、すなおに口をあけさえすれば、「笑い」は自然に口をついて出てくる、そうして笑っていると喜びも満ちて来るという教えではないでしょうか。この解釈は事実に添っていると、私は体験上で実感しています。
 エルゼ・メリン女史のことは先にも書きましたが、この方は読売新聞でもう一つこんなことを言っています。就学前の子どもたちは一日に四百回も笑う。ところが、大人はたった十回だそうです。アルゼンチンのリバイバル伝道者「王の王教会」の牧師フレイソン先生も同じことを言っています。
 このことは私にはたいへん興味深いのです。イエス様は「あなたがたは、幼子のようにならなくて天国に入ることは出来ない」と言われました。それなら、「大人も一日に四百回笑う工夫をしたらどうだろう。そうしたら、幼子のようになれる。そうしたら、私たちも確実に天国に入れるのだな。」 ……これは楽しい連想です。クリスチャンのみなさん、信仰の成長のためにも笑うことを心がけてみては?……
 幼子たちは、よく笑います。「キャッキャッ」と笑い声をあげます。時には体をねじらせ、手足を振って、小踊りして笑います。叫ぶように笑います。次のみ言葉を読んでください。
 「幸いなことよ、喜びの叫びを知る民は。
 主よ。彼らは、あなたの御顔の光の中を歩みます。」
                   (詩篇八九・一五新改訳)
 なんと凄いみ言葉でしょう。喜びの叫びとはどんな叫びでしょう。もちろん、「すばらしい」とか「嬉しい」とか、大きな声で叫ぶことも大いにあるはずです。しかし、また一番一般的な喜びの叫びは「ワッハッ八ハ」と笑うことではないでしょうか。
 そのような人は「主の御顔の光の中を歩む」のです。すばらしい神のお約束ではありませんか。
 また子どもたちは、「笛を吹けば、すぐに踊る」(マタイ一一・一七参照)ことを知っていました。そうです、子どものように誘われればすぐに笑い出すように、私たちも子どものように、喜ぶために笑うことをする良い習慣をつけたいものです。そこで、
 もう一つ神様のお約束をかかげたいと思います。
 「主によって喜びを為せ。
 主はあなたの心の願いをかなえられる。」(詩篇三七・四協会口語訳)
 ここを、私はこう読んだのです。「主によって喜びを為せ。」そうだ、主を信じて私は笑うことにしよう。そうすれば、私は喜べそうもない時にも喜ぶことができる。そうすると「主は私の心の願いをかなえてくださる」のだ。そうだ。こんな凄いことはない。感謝! 感謝! 私は小踊りして喜んだものです。

    四、意志と感情

 人は意志をもって体の手足などを動かせます。そして手足や表情などを動かし声を発すると心に感情が湧いてくるという原理があります。こぶしを堅くにぎって机をたたけば決意の心も固まるというようなものです。
 信仰の無い人でも、決心して笑う習慣を身につけるだけで人好きのする軽快な人物になれます。ましてクリスチャンが、「主にあって喜ぶことをしよう」と意志を働かせて、声を張り上げ身振りも大きく笑ってごらんなさい。クリスチャンとしての良い性質や明るい、へこたれない、元気のいい、軽快な、しかも強固な信仰、素直な謙虚さ、そういうクリスチャンらしい品性が、その人から発散され、光のように輝き出てくるでしょう。そういう人こそ、まさしく「世の光」を放射する人です。
 先にも書きましたが、「これは偽善ではないか」と、真面目なクリスチャンの方々は思われるかもしれません。「しかし決してそうではありません。下心があって人に見せかけるために笑う真似をしているのなら問題ですが、そうではない。ただ、明るい人になろう、楽しい人になろうと、努力しているのでしたら、それは正しいことなのです。決して偽善ではありません」とは、前に述べたとおりです。
 「主にあって全力を尽くす労苦は決してむだにはなりせん」(第一コリント一五・五八口語訳参照)、と聖書にあるではりませんか。

    五、「信仰」と「行い」

 「私たちの救われるのは行いによらず信仰による」とパウロは言いますが、信仰を成長させ、堅立した信仰生活を完成するためには「行い」、つまり努力が必要です。そうでないと、「行いの無い信仰は死んだ信仰」ということになるのです。少なくとも、「行い」の無い信仰は衰弱します。
 もともとクリスチャンたる者は本来明るい人でありたいですね。そのためには心地良い感情を開放することが必要です。信仰的にいうなら、感情を神様に聖化していただくのです。そのためには次のように祈って、そして大きく笑ってみませんか。
 「神様、悲しみや怒りや憂鬱な気分は、みんなイエス様が背負って地獄に投げ棄ててくださいました。神様を賛美します。ありがとうございます。ですから、今は私は喜びに満ちて、笑うばかりです。あなたはおっしゃいます。『主によって喜びをなせ。そうすればあなたの心の願いはかなえられる』(詩篇三七・四)と。主よ、感謝します。あなたを賛美します。はい、アーメンです。アーメン! ハレルヤ! ワッハッハ!」。つまり「悲しみや怒りや憂鬱な気分」をイエス様にゆだねる信仰を、「祈り」と「笑い」という行為で強化するのです。
 「信仰」と「行い」の関係は教義的にはむつかしいテーマですが、実践的には困難な問題ではなく。かつ信仰生活の深化強化のためにははなはだ効果的です。

    六、世界的な笑いの聖霊の現れ

 笑うと、ある種の脳内物質が多量に出るか、もしくは抑制されるかで、肉体的健康や治癒に大きい結果をもたらすことは、科学的にもだんだん証明されてきています。こうしたことは最近、各所で起こっている聖霊による笑いの発現についての論議に及ぶかもしれません。
 相当以前から、聖霊の高揚する教会の集会などで、参加者の間に笑いが起こっているという話を聞いていました。先年、在原先生のアルゼンチン宣教のあかしの中で聞きました。たぶん霊的にフンワカと楽しくなって、ニコニコと笑い出すのであろう、と私は想像していたのです。
 ところが、せんだって(註・もう七年前のことですが)カナダのトロント空港ヴィンヤード教会に行って驚いた。そこではみんながゲラゲラ笑う、説教を聞きながら笑っている。それが非礼にも不遜にも聞こえないから不思議です。しかし、もっとひどいことが起こった。というのは、日本から行った北海道の若い牧師さんがひとり突然、大きくて高い声をあげて笑い出したのである。
 しかも、体をくねって、笑いころげ、手を空中に振って、のけぞったり、自分のおなかを叩いたり、床をたたいたり、大騒動である。それが遂に、同行の永野先生に伝染し、それからあろうことか、この私にまで伝染してきたのである。
 ところで、永野先生の教会で、先生が日本に帰って最初の日曜日、この笑いがさっそく再現されたそうである。そして次の日曜日には、その午後、私どもの教会に永野先生を招いて聖会を開いたのだが、又もや笑いが起こった。
 この笑いの特徴の第一は、みんなの心が非常に解放されること、だから又、みんなが互いに仲良くなることである。
 そして多分、各自が自分の家に帰ったときにも、普段よりもずっと気軽に口をきける自由な人になっていただろうと思う。

    七、身近な所でも

 実はかつて十年ほど前、私どもの教会におられた山田ツユ子姉という方が、後にご家庭の事情で故郷の大分県蒲江町に帰っておられた。ところが五年ほど前、詩篇第一二六篇二節の「その時われらの口は笑いで満たされ云々」という聖句を読んで、「神様、この祝福を私に与えてください」と祈られたのだという。
 すると不思議に笑いが口に満ちてきた。心が解放されて、非常にすがすがしい思いがした。
 でも、困ったことに、集会で司会しようとしても、それができないくらい笑いがとまらなくなったという。遂には「神様、せっかくの笑いの賜物ですが、もう止めてください」と祈ったそうだが。彼女は世界の教会に起こっている「笑い」のことは何も知らなかった。実に日本でも早くより霊の「笑い」は起こっていたのだ。
 聖霊のみわざが遠隔の複数の地区で、何の媒体も無いのに同時に起こることが多いらしい、このことはかねて関心があったので、一つの事例として心に残った。

    あ と が き

  【笑いの実践を始めたころ】

 このあとがきには、今後つぎつぎに新しく気のついた資料を加えてゆきたいと思っています。脈絡もなく書き足してゆきますのでお許しください。
 こうした「笑い」の効果について、信仰的な面から考察を始め、また語り始めたのは、一九八四年の頃でした。その頃、横浜保土ケ谷教会の講壇でご奉仕した際、当時の主任牧師・永井信義先生(現・拡大宣教学院院長)にお会いして、大いに励まされたものです。
 私自身が積極的に笑いの実践を始めたのは、一九九七年の半ばであったかと思います。北九州リバイバル・チャーチでご奉仕した頃から、爆笑する講演を実際に始めました。大分市内の老人大学などでも講演を依頼されました。現在は私の教会の信徒であるSさんが、保健関係の講演会で実演して各地で好評を博しています。
 数年前、私の妻が肺癌で大分県立病院に入院という事態がおこりましたが、その前後には、しきりに家でも、教会でも、風呂場でも、トイレでも、しかり新幹線や飛行機では特にトイレ愛用、もちろん妻の肺癌のみならず他のさまざまな難問が生じた時でも、「ワッハッハ、ワッハッハ」と笑いくずれるほどに大爆笑していたことを覚えています。そして、この妻の肺癌は完全に癒されました。その時の記事は、教会の印刷物に書きましたが、こういういきさつの中で、更に笑って、笑って、その妙味を掴んできました。楽しい発見でした。
 読者の諸兄姉も、この笑いを試みられたら、その結果を善悪にかかわらず、お知らせお願います。

  【あくまで「練習」です】

 私は、あくまでも「笑う練習」をしなさいと書いて来たつもりです。実際に心から笑うことができれば結構なことですが、そのようにできなくても良いのです。ただ、「笑う練習」をしましょう、ということです。そして「笑う練習」を平素からしておくと、いつでも気軽に笑える人になりますよ、と言っているのです。
 一日にどのくらい「笑う練習」をしたらいいのですか、と質問なさる人もいます。
 ええ、何度やっても結構です。もちろん、多いほどよいです。その内に、本物になります。私は家にいても、道を歩いているときも、どこでも笑います。
 慣れてくると、条件反射的に笑う場所や時間がきまってきます。ある時間帯、そこに行ったら、必ず思わず笑い出すという場所ができますよ。

  【リラックスと笑い】

 一つ問題があります。「笑い」の効果は分かったし、ぜひこの「笑いの練習」をやってみたい。しかし、やりたいと思うけれども心が軽く働かなくて、どうも笑えません、という人々が居られます。そういう人たちに向けて、「心をリラックス(柔軟に)しましょう」、ということも出来ます。
 そのとおりです。しかし、本文にも書きましたが、そうした硬い気分も「笑えばこそリラックスできますよ」というのが、私が言いたい事です。ですから、とにかく思い切って笑う練習をするのが一番よいのです。
 それは実は、地下に温泉でもあるかのように、心の底に噴出したくてたまらない明るい朗らかな楽しい思いがあるにしても、表面に硬い強固なコンクリートがあって噴出孔がつまっているとしましょう。その孔の蓋を払いのける道具が「笑い」です。
 「笑い」は喜びの泉を引き出すノウハウです。ノウハウとは便利のよい道具のようなもの。ですからドライバーさえあればネジも簡単に回せます。「笑い」という栓抜きを使えば喜びの泉の噴出口の蓋は簡単にはずれます。
 「ワッハッハ」と笑うと、喜びは心の底から湧いてきます。「ワッハッハ」と腹をゆすって笑おうではありませんか。

  【自己命令法】

 どうしても自分の意志をもって笑いの練習をすることが困難なかたは、イメージを用いる方法をおすすめします。
 それとは別に次のこともお勧めします。自分に向かって「さあ、笑う練習をしましょう」と言い聞かせ、あるいは命令して、そしてすぐ「ハイ」と自分で答える方法です。私はこれを「自己命令法」(セルフ・コマンド)と呼びます。自制心を養うには簡便で善い方法であります。
 私は、これを聖書の中から発見しました。これは「確信をもって生きる秘訣」の一つです。この「自己命令法」(セルフ・コマンド)については、別冊「だれでも出来る『心の強化法』」に書いておきました。ご希望のかたは申し込んでください。

  【牧師としての立場から】

 このパンフレットは私の教会の週報からピックアップしたものを中心に編集したものです。重複もあって、お読みになりにくいかも知れませんが、ご勘弁ください。
 「笑えば必ず幸福になる」という標題は、実はコマーシャリズムの広告に似て、ややウソがあります。誰でも笑いさえすれば、「幸福感(!)」を大なり小なり味わえる事は保証できます。しかし、牧師の立場からすれば、それが本当の幸福なのか、どうなのかは、実は疑問です。本当の幸福は聖書の価値観に照らしあわせてみて、然りと言えるものでなくてはなりません。本当に幸福なのは、イエス様を信じ、神様から本当の幸福を貰った人です。これは出来れば声を大きくして言いたい教会の牧師らしい私の頑固な言い分です。
 しかし、このパンフレットでは、そんなむつかしいことは言いませんでした。まず一応、この世で生きる幸福な人生を味わっていただきたい。これもまた大切なことだと思うからです。
 ここで、牧師と信徒のかたがたに言いたいことがあります。それは、クリスチャンの中に、悲しい淋しい打ちのめされたような表情をかかえた人が案外多いのです。そのようなクリスチャンの方々に明るい明朗なクリスチャンになってほしいからこそ、もともとはこの原稿を書いたのでした。
 しかしクリスチャンでなくても、愉快な明朗な人になっていただくことはすばらしいことです。その上で、改めてこの小冊子によってクリスチャンになりたいと志してくださるなら、私の望外の喜びとするところです。
 大きな声で笑ってください。そうすれば、たとえ表面的であるにしても幸福感を味わうことができます。そうすれば、心が軽くなり、愉快になり、素直になり、そうして、実は実行不可能にも見える分かりにくい聖書の言葉も信じやすくなるのです。
 聖書の言葉を信じてイエス様を信じるなら、本当に幸福な人になります。そうすれば、やはり最初から笑っているほうが得であるということになります。
 最後に申しあげます。実は人生は厄介な所です。真剣に誠実に愛をもって生きようとすると、かえって周囲の家族や社会、諸団体、国家からさえ、大きな反感をもって非難、攻撃、迫害されることは悲しいながらよくあることです。クリスチャンはそれを恐れてはならないし、覚悟もしていましょう。しかし、そういう時にも勇気をもって陽気にすごせるよう、かねてより笑う訓練をしておきたいというのも私の意図の一つです。ただノーテンキに笑っていなさい、と言うのが私の本旨ではありません。まして低俗な冗談を言ってヘラヘラ笑ってることを奨励しているのではないのです。

 

    筆者自己紹介

 私は釘宮義人(くぎみや・よしと)です。大正十一年(一九二二年)に九州大分市で生れ、大分で育ち、今、大分市日岡のキリスト教の教会の牧師をしています。
 戦争中、別に大した抵抗をしたわけではありませんが、兵役法違反で入獄しました。独房のなかでイエス・キリストを信じる信仰を神様に与えられました。それからは喜びと感謝一杯で生きています。戦後の大分市の闇市のなかで戦災孤児たちと共同生活、その後、聾学校の教員や、一時実業界にもいましたが、しかし二六歳のころより一貫してやまないのはキリスト様の福音を伝える伝道者の仕事です。
 私は牧師ですから、私の願いの第一は、まず国民の皆さんにイエス・キリスト様を信じる信仰を持って頂きたいのは当然です。しかし、もう一つ、心に燃えるように願いがあります、それは日本国家が真に独立して、世界に奉仕する明るい実力ある民族になることです。国民のみなさんが今よりずっと強固な確信を持って、しかもいつもニコニコと笑って生きておれるような幸福な国民になってほしいのです。その念願の一端として、二つの小冊子を作りました。
 一、「笑えば必ず幸福になる」
 二、「だれでも出来る『心の強化法』」
 チャチな小冊子ですが、どうぞ読んでください。
         〒八七〇‐〇九一四 大分市日岡二ー三ー一五
                          釘 宮 義 人

  

  《筆者》 釘宮義人(くぎみやよしと)
1922(大正11)年1月14日大分市に生まれる。昭和14年旧制の大分商業学校卒業。戦時中、兵役法や出版言論集会結社取締令違反で刑務所に入る。戦後しばらく戦災孤児と共同生活もした。途中、聾学校の教員や印刷業などにも携わるが、26歳よりのキリスト教独立伝道が生涯一貫の仕事である。
(定価\100)