週刊メールマガジン
「釘宮義人+今週のメッセージ+」
下の枠内にあなたのメールアドレスを記入して右側の「登録」ボタンを押してください。
解除は下側のワクで同様に。メールアドレスは半角で。
携帯版メルマガ「日岡だより」はこちらから↓
(内容はPC版と同じですが、少し軽くしてあります)
メルマガ登録・解除 |
||
|
携帯メールアドレスを記入して登録または解除を押してください↓
|
||
| powered by 携帯メルマガ メルモ |
以下はお届けするメルマガの見本です。
こういう内容のメールがお手許に届きます。
==見本==
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
★釘宮義人+今週のメッセージ+★2001.12.3
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
登録ありがとうございます。
クリスマスシーズン突入で、町で讃美歌を耳にすることの多いこのごろ、なんとなく幸せで、なんとなく慌しい日々ですね。
このメルマガでは、キリストの福音大分教会の週報より、毎週「巻頭短言」と「見開きページ」の釘宮義人(くぎみやよしと)牧師のメッセージをお届けします。
釘宮牧師のプロフィールや教会のことは、HPを見ていただければ幸いです。
⇒http://www.d-b.ne.jp/wahaha/では、さっそく今週のメッセージです。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
『声無き言葉、神の声を聞こう』
「もろもろの天は神の栄光をあらわし、
大空はそのみ手のわざをしめす。
この日は言葉をかの日につたえ、
この夜は知識をかの夜におくる。
語らず言わず、その声聞こえざるに
その響きは全地にあまねく、
その言葉は世界のはてにまで及ぶ。」この詩篇、詩想が壮大です。これは詩篇第19篇の1節から4節までの詩句です。第5行目だけ文語訳をあてました。他の行は口語訳ですが、ほとんど文語訳の文体を踏襲しています。
先日、私は高砂教会(手束正昭先生)で行われた高砂アシュラムに行って来ました。帰ってきて、ふとこの詩篇を読みました。
無声の声、無言の言葉、この言葉は創造の初めから日夜たゆみなく語られていると言い、その無言の響きが全地にあふれているのだと、言います。非常に不思議な詩です。老壮哲学風な世界です。まさにアシュラムだなあ、と思いました。
アシュラムのことは11月4日の週報に書きましたが、「インド途上のキリスト」を書いたスタンレー・ジョーンズ師の創始された聖書黙想運動です。瞑想と言ってもよいのですが、日本人は瞑想というと、とかく座禅やヨガの修行を連想し、無念無想の境地になることと思って難しくしているのです。
逆に、黙想と言えば、今度は思いをあちこち浮遊させて、ぼんやりしておること。その時、何か心に浮かんでくれば、それを拾い上げて気のきいた一句でもノートしておこうか、という程度のことと思いやすいのです。ただし、カトリックでは黙想というものを、もっと深く捉えているかと思います。
ヘブル伝統の瞑想は、神のみ言葉を基盤にして、そのみ言葉の深みを心に刻むことです。暗誦が大事す。詩篇1:2に「昼も夜もそのおきてを思う」とあります。ここに、その流儀が見えます。たとえば、最初の内は、一句でもよい、あるいは1、2章にわたる長いみ言葉もよい、そのみ言葉を何度も、何度も心や口で、口ずさむのです。聖書は言います、「キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい」(コロサイ3:16)。
*
さて、アシュラムでは聖書を何度も繰り返し拝読しつつ、心を低くして聖書のみ言葉に取り組むのです。心をひそめ神様からの語りかけを聞こうとするのですが、知性であれこれみ言葉を解釈してみたり、又、み言葉に自分の信仰生活を照らし合わせて反省したり、時には自分の困っていたことを解決するみ言葉を発見して喜んだりする、その程度にとどまるかもしれません。それでも良いのです。やっている内に、次第に深まって来ます。
やさしい事から、程度の低いところから始めて、繰り返し継続して身につけてゆけばよいのです。次第に向上します。無言の神の言葉が聞こえ、神様の御心を悟るようになります。アシュラムは言い替えれば信仰の訓練です。信仰のために自分を訓練することは非常に大切であります(第一テモテ4:7参照)。
ですから、アシュラムのみならず、牧師から何事かを奨められたならば、大小にかかわらず、さっそくやってみることです。やっている内に少しでも手が上がり、更に鍛錬され、より優れたクリスチャンとなるなら、その人は教会のご用にも、外に出て伝道や奉仕の場にも、きっと大いに役立つ人になるのです。
*
アシュラム的訓練を励行してゆけば、次第にみ言葉をとおして神様の御心を正しく受けとめ、時宣に適ったご奉仕もできる人になります。また神秘的な御心を察し、神様からの預言の声を聞く人にもなるでしょう。然り、
私たちは神の栄光に仕えるため、天地の初めより選び出された者です。神様は私たちを用いて、人類と万物を暗黒の力から奪還し、キリストの勝利の支配下に置かれるのです。
クリスチャンは死んでからのみならず、生きている今も、天国の人であるべきです。そのためにはアシュラム的自己訓練をとおし、み言葉の人になりましょう。み言葉が内に満ち満ちている人、その人こそ、イエス様が内に宿ってくださる人です。まさに勝利の人、天国の人です。アシュラムの目標です。
《コラム》
『ポップコーン・アシュラム?』
スタンレー・ジョーンズ先生によってアシュラム運動が日本にもたらされて以来、私の経験したアシュラムはチイロバの榎本先生のそれですが、その他にも幾つかのアシュラムがあるらしいのです。たしかに、内面性を重んじる集会ですから、指導者や集まった人たちの霊的傾向により、それぞれ違った面を持ちはじめることは当然だと思います。事の善悪でも高下でもなく、神の子たちの多面性と考えて互いに寛容でありたいと思います。▼今回の高砂アシュラム、いくら天下の高砂教会のおひざもとで開くアシュラムと言っても、所詮あつまった人々の霊性の足し算か、掛け算でおこる聖霊の気圧、もしくは磁場の磁力によって、一応の集団的レベルがきまります。それに加えて手束先生の「第三の波」の講義、また3日目の夜には賛美集会が持たれました。今回はこの賛美集会で私はしゃべり放題にしゃべって、「笑いの祝福」を話しましたが、手束先生はこれを全面的に推奨されて、「笑いのリバイバル」だの、「笑いの神学」だの命名してくれました。多少とも、他教会にきて「笑いの祝福」を語るのは遠慮ぎみになるのですが、この高砂教会では思う存分語りました。アシュラムが終った翌日にも又、賛美集会があって、その時も一段とにぎやかに私は「笑いの説教」を語りました。手束先生も信徒の皆さんも大いに受け入れて下さって、「ワッハッハ」とやりました。▼3日目の夜の賛美集会では私の説教がおわり、手束先生が招きをされましたが、そのミニストリーの後、大歓喜が呼び起こされました。50名ほどいましたかしら、全員が立上り、跳ね回り、踊り上がって、手を組んで、輪を作って、賛美と歓声、部屋中に熱気が燃えあがる。暖かい強烈な聖霊様の臨在です。手束先生は元来学者タイプで冷静な方ではないでしょうか。とても、飛び上がって叫び声をあげる方には見えません。ところが先生が導かれると、そこにこのような聖霊様のいちじるしい働きが現出する。▼この時、先に各細胞(ファミリーと呼んでいる)で、み言葉を静聴して各自に与えられていた聖霊の実が結実し、熟して、固まって、ポップコーンのようにはじけたのでしょうか。このようなポップコーン・アシュラムをいつの日か大分でも開きたいと思ったことです。「大分聖霊アシュラム」を……。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++