水田に映える夏の伐株山


冬の景色を見る
16年 6月 22日撮影

伐株(きりかぶ)山のお話
 民話
昔むかし、玖珠盆地に天にも届きそうな樟(くす)の大樹がそびえたっていました。
木のてっぺんは雲の上まで伸び朝日が当たる頃は有明海まで影が届き、
夕陽を隠して四国まで影がかかる大木でした。
まったく地面に日が当たらず田や畑はいつも日陰で作物は育たず村人は次々に
病気になり困っておりました。
そこで身の丈900尺もある大男にたのんでこの大木を苦労の末3年3ヶ月もかけ
伐り倒してしまいました。

そうしたら大きな湖だった日田盆地は大木が倒れ湖の土手が切れ水がひて(日田ひた)しまいました。
樟の木の先端は(長崎ながさき)、落ち葉のあとが(博多はかた)
葉っぱの流れついたところが(杷木はき) 樟の木の鳥の巣の落ちたところが(鳥栖とす)
ここまではくるめえ(久留米くるめ)と思ったところまでもとどき (小倉こくら)もグラッとゆれたほどの大木で、その伐り株が今の「伐株山」だとさ
                    おしまいおしまい 

伐株山伝説  
昔むかし、ずっと昔、玖珠盆地(くすぼんち)の中ほど、万年山(はねやま)の北側に天にもとどきそうなくすの大樹がそびえ立っていました。くすの木のてっぺんはいつも雲の上までのび、朝日があがる時には有明海(ありあけかい)に影がとどき、夕陽を隠して四国の松山(まつやま)まで影がかかる大木でした。

まったく地面に日があたらず、田も畑もみんな影になってしまい、一日中薄暗く、米や野菜などの作物は育たず、村の者は次々と病気になって倒れ、たいそう困っておりました。「あのくすの木がなければよい。何とかして、あのくすの木をきり倒すことは出来ないものか。」と、村の衆はこの村一番の知恵者のお庄屋さんを囲んで、くる日もくる日もそうだんしました。

ちょうどそのころ、木牟田(きむた)にたいそう力持ちで腕じまんのこびき(きこり)さんが住んでおりました。

村の衆は、なん日もなん日もそうだんしたあげく、この腕ききのこびきさんにたのんで切ってもらうことにしました。

木牟田の腕ききこびきさんは、早速これも力持ちでうでじまんの若い五人のこびきさんを連れて、このくすの大樹の根元までやってきました。こびきさんたちは、目の前にみあげるくすの大樹のあまりにも大きさに、またまたビックリしました。

さっそく畳三枚敷きもある大きなこびきのこを使って、二人ずつでギーコンギーコンと力を合せて押したり引いたり、一日中汗をふきふき働き、薄暗くなって家に帰りました。
次の日もいい天気、こびきさんたちがくすの木の根元まで来て見ますとおどろいたことに、昨日の夕方、暗くなるまで汗を流して切ったその切り口が見つかりません。あまりの大木だから切り口をまちがえたのかと、くすの木を一まわりしてみましたが、やっぱり切り口は見つかりません。しかたなくこびきさんは昨日切り始めた場所と同じところをまた力を合せて切りました。

三日目、四日目、五日目もその次の日も、切り口は見つかりません。せっかく昨日あんなに汗びっしょりになって力いっぱい切ったのに、その切り口は消えてきず一つついていません。こびきさんたちはがっくりと力を落してしまいました。

そんなある日のこと、身のたけ九百しゃくもある大男が里にやってきました。そしてこびきさんたちに、「お前たちがいくらきろうとしてもそれは無理だ。私にまかせるがよい。私が見事このくすの大樹をきり倒してあげよう。」と大男はみじたくをととのえると、大きなおのでくすの大木に立ち向い、自分のひざの高さに合せて、カチン カチンとおのをふりおろしました。ところが不思議なことに、大男がいくらかいりきをふりしぼっておのをくすの大木に打ち込んでみきを削り落しても、翌朝には削られたみきの場所が元通りになって直っておりました。

「これはいったいどうしたことじゃ。」
 
さすがの大男も困りはてて大きなおのを投げ出し、思案にくれていました。するとくすの木の上の方からスルスルと降りて来たものがありました。

それはいつも『クサイ クサイ』とくすの大樹に笑われ、いためつけられているヘクソカズラの精でした。ヘクソカズラの精は大男に向っていいました。

「私たちはいつもこのくすの木にまかりついていて、くすの木から養分をもらって生きています。ですからくすの木が傷をつけられると、いつものご恩返しに私たちはすぐ汁を出して傷口にぬり、傷口をなおしていたのです。ところが私の出す汁がくさいと言ってこのくすの木が笑ったり、嫌がったりするのです。このくすの木がこんなに小さい頃からずいぶんとかわいがってあげ、私がくさいおかげで虫もつかず、病気にもかからず、台風に傷ついてもすぐになおしてこんなに大きくなったのに、そのおんも忘れて私のことを『クサイ クサイ』と嫌がっています。あまりのおん知らずに、私は腹を立てています。そう、私がひでんをお教えしましょう。毎日きっただけのきくずを焼きすててしまえばよいのです。」とヘクソカズラの精は教えてくれました。

それから大男やこびきさんは、ヘクソカズラの精が教えてくれた通りに毎日その日の切りくずは焼きすて、焼きすててはきりつづけました。
 
夏が来、秋が来て、寒い冬が来ましたが、こびきさんや大男たちは休まずきりつづけました。
 
ギーコン ギーコン カーン カーンと、木を切る音が岩扇山(がんせんざん)にこだまして、森の衆も塚脇(つかわき)の衆も「こびきさんたちは、今朝も早よからがんばっている。俺たちもがんばらぬば。」と、こびきさんたちを応援しました。

そうして三年三ヵ月がすぎ春がやってきて、くすの大樹をきり倒すことができました。

玖珠盆地や日田盆地(ひたぼんち)は大きなみずうみだったのが、大木が倒れたのでみずうみの土手が切れて水が流れ出して玖珠川(くすがわ)ができ、水が流れ出してしまってひて(日田)しまいました。

きくずを焼きすてた所がはいざん(現在の寺山(てらやま))、くすの木のせんたんが長崎(ながさき)、落葉のあとが博多(はかた)、葉の流れついたところが斯波(しば)、その切株が「伐株山(きりかぶさん)」だといい伝えられています。

くすの大樹がきり倒されてからは村々や里に日がさすようになり、日田(ひた)、夜明(よあけ)、朝日(あさひ)、光岡(てるおか)などの地名が生まれました。

「玖珠」という地名も、このくすの大樹に由来しているといわれています。

そうです、そのきり倒されたくすの大樹は、中をくりぬき二百人も乗れる日本一大きく、たいそう速い丸木舟を造りました。


                      大分の民話より