開設早々でもないのに、ほとんどストックありません。ごめんなさい。がんばります。

INDEX
目次

1 我が愚妻との闘争 本家「我が妻との闘争」の足元にも及ばないが、「マインカンプ」に栄光あれ。
長い一日 新米百姓の妻の、繰り返し終わる事のない長い一日を綴った、感動のドキュメンタリー。
記憶喪失 ここは何処?私は誰?アルコール漬けの翌日の悲惨な戦い。
本の効用  NEW 何故財産(本)を売り急ぐのか解せないのだ。
2 犬のいる暮らし 重い話 新米百姓の妻の、繰り返し終わる事のない肥満への道に付き合わされる飼犬の、感動のドキュメンタリー。
3 他人の褌  創作能力の欠如から更新が進まず、他人の詩でお茶を濁そうとする安直企画(我が心の青春グラフィティ)。
印象に残る季節(斉藤和義)   こいつは俺と同じ詩(うた)心を持っている。(偉そうー!!)
1987(GAO)  あの人は今って感じだけど、根強いファンは健在。
ワンダフル・ワールド(ウルフルズ)  トータス松本にもこんな面があるのだ。
飛梅(さだまさし)  大学受験の時の御籤は「凶」だった・・・。
紫の空(ザ・イエロー・モンキー)  ほとばしる欲望と狂気と思想にノックアウト。
ケンとメリー〜愛と風のように〜(福山雅治orBUZZ)  今も昔もファーマータナカは心優しい流転の旅人だ。
わが大地のうた(笠木透or高石友也)   NEW 不変の大地と退化退行した自己とのギャップ。

DABUN・ZATUBUN
駄文・雑文


1.我が愚妻との闘争


★★★★★ 長い一日 ★★★★★

全く男共ときたら、うちの亭主を始めとして、一月に飲むお酒の回数と、一回に飲むお酒の量と、飲み終わるまでの時間の長さと、この三つしか自慢の種がない。
その上、二日酔の肉体的苦痛は自業自得としても、次の日は仕事をしてるつもりにだけなり、したがって結局は私に、どれだけ迷惑をかけたかは一日経てば完全に忘却するという離れ技だけは確実にやってのける。
そういう有様だから、哀愁漂う禿げかかった頭は、アルコール性及び初老性による不可逆的な疾患によりスカスカの割には、鉛の様に固く、柔軟な発想とは‘失楽園’と同じ位無縁なのだ。
例えば、今更英会話教室でもあるまいし、LだMだ、AだBだと大騒ぎして選別に膨大な時間を割いたり、はたまた、上がったり下がったりならまだ救いがあるのに、自分の学校時代の成績と完全同一直線を描いて下がりっぱなしと、市場価格に振り回されているのがいい例だ。

その点、最近私が始めたサイド・ビジネスのショップは、殊の外順調だわ。
何しろ地元をはじめ、福岡や大分の超一等地に出店を果たし、契約生産者は千名を超えた。
売上も五億円強で農協の出荷額に匹敵する勢いだし、従業員は全員パート、出店費用は抑え、簡易包装にも気を配っている。
こんな発想だから、例えば曲がったきゅうりでも喜ばれるし、価格だって、他人に決めさせてなるものかと、生産者自身が値付けする。
春には蕗(ふき)のとうやたらの芽が、完全無農薬取り放題栽培だし、今後は愛犬「姫」に子供を孕ませて、飼主に似てどこか高貴だがドンくさい子犬を出荷するブリーダー事業、亭主の父母を呼び寄せて、父にはハヤでも釣らせ、母には調理をさせて、自分は何もしない、川魚の甘露煮を出荷する加工販売業、とっておきは、私の爪の垢を煎じて作った、経営能力向上おまけに精力増強のための男性向医薬意外品の製造販売業・・・・・。
ああ、多角経営、規模拡大のアイデアは目白押し状態。湯水の如く涌き出る才能はもう誰にも止められない。
誰か止めてちょうだいーーー。
それにしても、女社長業は、多忙すぎて、寝る時間もない程だわ。

「おーい、○○子、転寝していると出荷間に合わないぞー!」
春の陽光とハウスが作り出す催眠性誇大妄想発生装置に、うっかり取り込まれてしまったらしい。
それもこれも亭主にコキ使われているせいだ。
私は悪くない。
私は正義だ。
私は天使だ。
わるいのはあいつだ。
あいつは悪魔だ。
千年に三回くらいしか転寝なんかしないのに(あと950年間はもう1回もできないわ。)、きっと又、毎日の事のように言うことだろう。
ヤバイ、ヤバイ、早く仕事を済ませなくっちゃ。

ところで、今日の直売所は、どのくらい売れるのかしら。

私の長い一日は、まだ半分位終わったにすぎない。
私の長い一日はまだまだ続く。

(注1) この物語はフィクションであり、登場する団体、人物、犬等は実在のものと大いに関係があります。
(注2) この物語は、上津江村婦人部の会報に掲載されたものを、一部加筆訂正したものです。
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★★★★★ 記憶喪失 ★★★★★

痛飲した日の次の日は、冷戦だが壮絶な戦場だ。
なにしろ何が原因で女王様(=妻)はご立腹なのか、
何故会長(=妻)は口をきいていただけないのか、
何故夫でもない妻でもないのか、
どうして妻だけ新しい人生を踏み出さなければならないのか、
これらの原因を白日のもとに曝さなければならない作戦が残っているのである。

そしてこの作戦の最大の障害は、ファーマータナカが、ある時点からすっぽりと記憶が途切れていることにある。

アルコールは、新皮質から大脳辺緑系へとその魔の手を伸ばしていく。
そして大脳辺緑系にある、海馬がアルコール漬けになったとき、悲劇が訪れる。
お酒を飲んだ時なくす記憶は、言わば直近の記憶だ。
要するに、昨日したりっぱな仕事の事だとか、ましてや学生の時に大モテした記憶を喪失するわけではない。
記憶には短期記憶と長期記憶というのがあって、まさしくこの短期記憶という代物をなくすのである。
(ただしファーマータナカの場合は、長期記憶をなくしていないという保証は、どこにもない)
だから、ただ単に、大酒を飲んだ事がいけなかったなか、
時間が遅くなった事がいけなかったのか、
あるいはその後にやっぱり又しても、重大な事件が勃発していたのかというところが、さっぱり判らないのである。

「そんなこと単刀直入に聞けばいいじゃない。」という甘い意見があるのは、百も承知だ。
なんとデリカシーのない言い草だろうか。
夫婦というものは、そんな生易しいものではない。
夫婦には、それぞれに壮大な歴史があり、数え切れない程の事件
(小生がお酒を飲んで起こした事件・・・これについては後日数万ページにわたって書かねばならないだろう)があるのである。

妻は行ったり来たりして私を探したらしい。
そして何故かすれ違い、行方不明になったと勘違いして、心配して家にもどってみると、
いつものようにヨレヨレでヘロヘロの私がいたそうである。
そして心配して探した事を告げた時の私の態度が、どうもよくなかったらしい。

もちろん、「記憶にございません。」
(2002.02.28  No.8)
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★★★★★ 本の効用 ★★★★★

ファーマータナカの読書は積読(つんどく)である。
好きな本は素晴らしい力を持っている。
いい本とは、枕元に20冊くらいあれば、そのうちの1冊の1行くらいで安心して、しかも数秒で深い眠りに誘(いざな)ってくれるものなのだ。
(仕事の量とその重圧は相当なものだと自負しているが、今のところの不思議と不眠症ではないようだ。我ながらこの強靭な肉体と健全且つ能天気な精神には敬服する次第だ。)

それに反して、一方、愚妻の読書は乱読である。
翌日の仕事のことも考えずに、いい歳をして、何故セルフコントロールがきかないのだろうか。
連日連夜、深夜どころか明け方まで、こっそり読んでいるのをこの俺様が知らないとで思っているのだろうか。

ジャンルは、小生が専ら、専門書や実用書、ベストセラーや「週刊金曜日」や「噂の真相」とタイムリーかつ、血となり、肉となる価値あるものに対して、愚妻の方は、ホラーだとかサスペンスはまだいいほうで、妖怪だとか、悪霊だとか、倒錯だとか、一文の得にもならないようなものばかりのようだ。やはり欲求不満というやつだろうか。
おまけに読んでしまったら、二束三文でも売り飛ばして次の本代の足しにしたいという。
たぶん読む量が半端でないので、蔵でも立ちそうなかさんだ本代を隠蔽するつもりなのは、明白だ。
小生は自慢ではないが、貧乏育ちなので、ものを大切にするという習性が体の奥底まで沁み込んでいる。
今時貴重な徳といえよう。
それに読んでも読まなくても本は財産だ。がらくただって捨てないのに、おいそれと売らせてなるものか。
その上将来計画だけはしっかり立てている豪邸の中の書斎と、その部屋はもとより、家中の壁を埋め尽くす書棚に飾るためにも、本は必須のアイテムではないか。どうしても売りたいなら、せめてカバーだけでもとっておけないものだろうか。
こんな単純明快な理屈を理解しようとしないで性格の不一致を持ち出してくるから恐れ入る。
が、とりあえず、家庭崩壊をずるずると先送りするためにも、好きな本をあてがっておこうとは思う。
(2003.07.14 No.17)
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2. 犬のいる暮らし

★★★★★ 重い話 ★★★★★

「よう肥えちょる。」(上津江村では、ほんとにちょるちょると言うんです)
今まで彼女と散歩をしている最中に出会った100人中150人までもが異口同音にこう言う(実際はほとんど出会いません)。
おまけに我が夫までもが「小錦関」と彼女を呼ぶ始末。

だいたい食事だって、標準量4缶のところをたった2缶しか与えてないし、あとは10時の休憩のスナック菓子、夕食のお裾分け、食後のアイスクリーム、パートに来てもらっているAさんからの飴玉を除けば、おやつにビーフジャーキー、ドライサラミ・・・くらいしか食べてないのに。
だから、太っていない証拠に、大好きなボールを投げてやると、あっという間にダッシュで取って来て、ゼーゼーいいながらへたり込んでしまう程敏速(あれ?)。

さて、彼女が我が家にやって来て、1年7ヶ月くらい。
人間でいえば24才くらい。亀でいえば3000才くらいになる。
所謂花も恥らわなくなった年頃で、亀でいえば苔の生えそうなお年頃。
もちろん血統書付き(血糖値高?)で、犬種は、「アブラトーレバ・モットリッパー」ではなく「ラブラドール・レトリバー」。
彼女の成長は目まぐるしく、なかなか最初の「ワン」が出なくて心配したけれど、今では仕事から戻って来る夫を、泥棒と間違えて必ず吼えるし、この調子で行けば、飼主を噛むようになるまでの成長も、目前。

今、彼女の存在は、とても重い(体重の話ではなく)。
夫が「このクソババア、もっと働け!!」と目で訴えているのに気持ちよく仕事に精を出せるのも、緒方拳がプロポーズをしてきた場合は別として、この夫とやっていこうと思えるのも、それもこれも、とりもなおさず彼女が重たいから。
彼女のドッグフードを買うためなら、彼女の幸せそうな(夫よりは間違いなく幸せなハズ)仕草を見れるなら、頑張りもきく。

さあ、今食べている黒糖入り金時アイスクリーム(カロリー高そー)を最後に、明日から今年50回目のダイエットにチャレンジしよう。
「Wデブ」と言われないためにも。

(注) この物語は、上津江村村報1999年9月号の兎年生まれのペンリレーに掲載されたものを、一部加筆訂正したものです。
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3. 他人の褌(ふんどし)

子供の頃から、気持はいつも吟遊詩人だった。
淡い恋心、生きていくことの空虚さ、煌めく言葉達・・・・。

このあふれる情念を、私の思っている通りに表現してくれる詩人(主にミュージシャン)に時々出会う。
世代を超えた言葉の玉手箱をそっと開いてみたい。

★★★★★ 印象に残る季節 (斉藤和義) ★★★★★

印象に残る季節は何故かいつも冬
川の傍のベンチであなたに触れた夜
想像通りの柔らかな唇
戸惑いながらも二人は恋に落ちる
印象に残る季節は何故かいつも冬
時がとまればいいと願い続ける夜

誰かに話せば壊れてしまいそうな
誰かに話さなきゃ夢をみているような


印象に残る季節は何故かいつも冬
ためらいの雪は降るあなたに触れた夜
あなたに触れた夜

斉藤和義は、1966年生まれというから、全く別世代なのに、サウンド的にも、全く違和感がない。
今のミュージシャンの中には、時折、「あ、これは俺たちと魂が一緒だ。」と思える人がいる。
例えば、コブラツイスターズとか・・・。
だが斉藤和義はその中でも、というより、そのロック魂、R&B感覚、ビートルズに通じるサウンド、フォークロック感、ブルースの匂い、どれをとっても、我らの世代のそしてきっと今の世代の代弁者に相違ない。
そして何より詩人なのである。
アコースティック・ギターをバックに、こんなにもせつなく、でも身震いするような想いを淡々と伝える。
まさしく今、ファ−マータナカは、恋に落ちている。(錯覚です。)
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★★★★★ 1987 (GAO) ★★★★★

君と出会ったときは 寒い冬の入り口
ずっと一緒にいるだろうって すぐにわかったよ

とても不思議なことが 何ヶ月も続いた
すべてが輝いて見えた
すべてに愛を感じて

昼も夜も朝も 君を愛し続けた
二人が出会う前の 時を取り戻すかのように

思うままに世界が 回るようにも思えたけど
季節がいくつかすぎて すべてに慣れてしまった

僕らは輝いていた
奇跡さえ信じていた

すべては色褪せていく
・・・愛をなくす時

気づいた時僕は 普通の人に戻ってた
多くの友達を呼んで 毎晩バカ騒ぎして過ごしてた

二人になると何故か 無口な夜になったね
君は僕の喜びが 幸せだとただ笑うだけ

僕らは輝いていた
奇跡さえ信じていた

すべては色褪せていく
・・・愛をなくす時

二人で過ごす日々は ゆっくりと過ぎてゆく
愛の魔法はいつか 閉じ込められてしまった

今日の風が吹いている 花びらが街に舞う
君を車に乗せて 短いたびに出よう

新しい風景が 二人の目に映る
とても自然に僕は 自分のことを話してた

僕の喜びが 君にも伝わるように
君の静かな愛が 今僕にもわかった

1992年「サヨナラ」で大ブレイクしたGAOは、ハスキーボイスという言葉では言い表わせない独特のザラついた声をもつ。
何という退廃感と切なさだったろう。
たぶん殆どの曲で、僕が(君を)唄う。
ユニセックスなところに、逆にセクシーさを感じたのは、私だけだったろうか?
今はHIP HOPの世界へと行き、w.a.h.(wild at heart)というユニットだそうだが、詳しくは知らない。

この曲はロッド・スチュアートのカバーだったと思う(間違っていたらゴメンナサイ)。
だが詩は間違いなくGAOのはずだ。
普通の言葉なのに、言葉の魔法を感じる。
男女の出会いとその流れるようなストーリー、
・・・・・・私も貴女も主人公だった。
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★★★★★ ワンダフル・ワールド (ウルフルズ)  ★★★★★   日本語詩:トータス松本
                                          Written by SAM COOKE, HERB ALPERT and LOU ADLER

Don't Know much about history
Don't Know much biology
Don't Know much about science books
Don't Know much about French I took
But I do know that I love you
And I Know that if you love me too
What a wonderful world this could be


どの街まで行けば 君に会えるだろう
どの街を歩けば 君に会えるだろう
教えておくれよ
君が好きだから
いつもそばにいたいから

何も知らないけど
笑い飛ばして
君のことだけ 考えてる
もうすぐ行くからね

むずかしいことなんか
よくわからないけど
恋すれば誰でも
ボクと同じなのさ
 だから
教えておくれよ
君が好きだから
いつもそばにいたいから ラララ

教えておくれよ
君が好きだから
いつもそばにいたいから

What a wonderful world this could be

What a wonderful world this could be

いいかげんを絵に描いたようなトータス松本、たとえば「かわいいひと」では、
>ボクはグー、はたまたパー、いやチョキかも なんちゃってねー とか
>空に太陽 心配無用 とか
よくもこう口から出任せ、出放題といった感じだが、
この日本語詩は、ほんとのところ、何の変哲もない、単純明快で大雑把な直訳に近いが、恋する男の心情をよく表現していると思う。

クリーンなアコースティックギターのイントロから、Don't know much・・・・・・と語りかけてくると、
ジーンとしてしまう。
「Don't know much about」と、「どの街まで」が同じに聴こえるところも、おもしろい。

付録
----  major example   ----
「What time is it now?」・・・・・・「掘ったいもいじるな」
「to be to be ten made to be.」・・・・・・「飛べ飛べ天まで飛べ」
----  minor example   ----
「I see tell were.」・・・・・「愛してるわ」
「Number shot car」・・・・・・[何ばしよっとか」
「You might think today's some fish.」・・・・・・「「言うまいと思う今日の寒さかな」
「Today or Sunday that is Monday.」・・・・・・「東大か、駿台(予備校)かそれが問題だ」

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★★★★★  飛梅 (さだまさし)  ★★★★★      作詞・作曲 さだまさし

心字池にかかる 三つの赤い橋は
一つ目が過去で 二つ目が今
三つ目の橋で 君が転びそうになった時
初めて君の手に触れた 僕の指

手を合わせた後で 君は御籤を引いて
大吉が出るまでと も一度引き直したね

上り詰めたらあとは 下るしかないと
下るしかないと 気づかなかった

天神様の細道

裏庭を抜けて お石の茶屋へ寄って
君がひとつ 僕が半分 梅ヶ枝餅を食べた
来年も二人で 来れるといいのにねと
僕の声に君は 答えられなかった

時間という樹の想い出という落ち葉を
拾い集めるのに 夢中だったね 君

あなたがもしも 遠くへ行ってしまったら
私も一夜で 飛んで行くと云った
忘れたのかい 飛梅

或の日と同じ様に 今 鳩が舞う
東風吹けば 東風吹かば 君は
何処かで想いおこしてくれるだろうか
大宰府は 春
いずれにしても 春

さだまさしは1952年生まれ。ファーマータナカとほぼ同世代だ。
この曲は、1977年のLP「風見鶏」の中に収められている。
大宰府の「飛梅伝説」が伏線として巧みに取り入れられている。
彼の楽曲は、一般的には、軟弱だとか、女々しいとか評されたりもする。
その優等生的な情念や起承転結には、ダーティで支離滅裂な小生としては、ちょっと違うんだよなというところが本音だ。
だが、緻密に構築され、史実等に裏打ちされたその構成と表現力は、やはり「座布団3枚!!」と言わざるを得ない。
例えば、吉田拓郎なんかだと、その感性や表現はすごいと思うが、(曲が多すぎて歌詞が長いせいかもしれないが)少々間延びしてしまう歌詞があるのは否めない事実だと思うが・・・。
彼のファンが選ぶ「私の好きなさだまさしの曲ベスト○曲」には、大ヒットした「雨やどり」や「関白宣言」が出てこないというから、その点からも彼の懐の深さが見て取れる。

東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花
あるじなしとて 春な忘れそ

実をいうと、大宰府は小生の連れ合いの実家があったところだ。
若かりし頃を投影するから、人一倍琴線に触れるのかもしれない。

菅原道真に因み、「学問の神様」としてはも夙に有名だ。
又、過去、現在、未来を表わす三つの太鼓橋は、逆から渡ると、「縁切り」になると言われる。

忘れもしない、大学受験の年に、御多分に洩れず御籤をひくと、「凶」であった。
(新年早々、金を出させて、こんな惨い仕打ちが、ほんとに許されていいのだろうか?そんなことをするくらいなら、3億円の宝くじのあたり籤をいれておくとか色々方法はあっただろうに・・・。)
当然結果は火を見るよりも明らかだった。
又、三つの赤い橋は、あっちからこっちから何回も渡っているので、神様もきっと混乱したに違いない。
その後の波乱万丈の夫婦生活(現在も進行中)の原点がここにあったとは、あってはならないことだが、もう取り返しがつかない。

修験山伏の道場として栄え、縁結びの神様でもある竈門神社、宝満山、岩屋城跡のある四王寺山、藤棚が素敵な武蔵寺、天拝山、閑静な観世音寺、戒壇院、風わたる都府楼跡・・・・・・。

この地をなんと多く歩いたことだろう。
この地でなんと多く語ったことだろう。
歩いても歩いても歩き足りなかった。
語っても語っても語り足りなかった。
ファーマータナカにも、そんな時代があったのだ。
(なんだかセンチメンタル、ノスタルジックな変な気持になってきたぞー。)

だが心配御無用、
今となっては、なるべく離れて歩き、なるべく語りたくもないといった連れ合いの態度、「語るに落ちた」とはこの事だ。
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★★★★★  紫の空 (ザ・イエロー・モンキー)  ★★★★★      作詞・作曲 吉井和哉

昇ろう 彼方まで 気にするなよ 君はキレイさ
何日あっても たりないくらい 目隠ししよう
あわてないで 一緒に行こう

昇ろう 彼方まで 気持いいなら 首を絞めるよ
涙キレイだね ディープキスより 深い罵声を
ハートまで 差し込みたい

赤い鳥 かごの中で 踊ろう この羽を
いっぱいバラまいて バレリーナのように クルクル
物好きな 馬鹿が見る

祝福しろよ Purple  Sky
やさしく包め Purple  Sky

男 女 犬 鳥 虫 秋の空気とか
それが やるせない たまにやる気だけの夜

この恋は 人から見れば 5足で1000円の靴下さ
なのに僕は 心底それが 欲しいのさ
どうにかなって しまいそうかも

今夜の俺は ギャングの気分 黒い皮の手袋で
お前の胸を 寄せたり 回したり
空も 喜んでいる

赤味がかった Purple Sky
にやけた空だぜ Purple Sky

愛などとても 軽いもの
この羽より 軽いもの?

紫の空と 狂いそうな現実を
足して2で割って 愛はどれだけ 残るだろう

ダララ ダララ・・・・・・

それじゃ 又ね 暇つぶしでも
からかってる わけでもないよ
本当に 君と 彼方まで
昇りたいのさ
I LOVE YOU

1997年1月の6枚目のアルバムで、「6(シックス)」と「病気(SICK)」をかけた「SICKS」。
イエローモンキーはもちろんはまって聴いた訳ではない。
たぶんFMや、有線(440チャンネルのやつ)からたまたま飛び込んできたのだろう。

なのにこの強烈なインパクトは、なんだ。
類稀な才能と思想を感じずにはいられない。
只者では決してない。

JAZZYな音に乗せて、エロティックで猥雑で挑戦的で投げやりな言葉を痛烈に突き付けてくる。
誰もがもっているであろう、理性と対峙する本能や欲望(単にSEXだけでなく)といった部分の露骨な表現者だ。
そしてその奥にある痛み、絶望感、純愛(?)・・・。
とまれこの吉井という代弁者詩人に脱帽!!
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★★★★★ ケンとメリー〜愛と風のように〜 ★★★★★   作詞:山中弘光・高橋信之  作曲:高橋信之

いつだって どこにだって
果てしない空を風は 歌っていくさ
今だけの歌を
心はあるかい 愛はあるのかい
スプーンとカップを バッグにつめて
今が通りすぎていく前に
道のむこうへ 出かけよう
今が通りすぎていく前に


愛と風のように
愛と風のように

いつだって どこにだって
知らない町を風は 歌っていくさ
ふたりの歌を
心はあるかい 愛はあるのかい
見慣れた時計を 部屋に残して
今が通りすぎていく前に
朝がきたら出かけよう
今が通りすぎていく前に


愛と風のように
愛と風のように

いいとこどりなのである。
「The Golden Oldies」という福山雅治のカヴァーアルバムだ。
同時代では聴いていない曲もあるだろうに、さらりと自分の音楽のルーツだよと披露する小憎らしいやつだ。

昨今はカヴァーが大流行である。
なななんと、モー娘までがフォークソングをカヴァーしているではないか。(こっそりレンタルCDを借りたい気分だ。)
オリジナルを超えるか超えないか、いや超えるはずがないと思わず挑戦的に聴き入ってしまうのであるが、今の世代の若者はそんなことはお構いなしに、彼のケンとメリーとして聴くのだろう。
顔はいい、センスはいい、声はいい(好みはあります)、DJはちょっと軽いと、まるで往年の自分をみる思いである。

原曲はBUZZというグループの1972年発売の楽曲である。
日産自動車のスカイライン(ケンメリ)のCMソングだ。
この時代の曲としては、洗練されており、完成度は高い。
今聴いても、絶対昔の歌とは思えない(と思うのは体内時計が壊れているファーマータナカだけ?)。
話は逸れるが、1960年から70年代の歌をたまたま聴いていると、うちの娘(という程もう若くはないくせに)は、そのあまりの暗さに怒涛のごとく、口から泡を吹き出すほどに笑い転げる、失礼なやつなのである。
「どうだこの曲は」とばかりに、さりげなく試聴強制する奥ゆかしくもあつかましい父親像がここにある。

ファーマータナカの旅はこんなにかっこよくはない。
思えば高校2年生の夏であったか、後輩の甘えん坊K氏とポン友M氏と3人で、突然取りつかれたように、しかも全く無目的に箸とどんぶりをカバンにつめて、九州一周ヒッチハイク無銭旅行(懐かしい言葉だ)に旅立ったのであった。
車は野郎3人組に、何の興味もあるはずもなく、全く止まってくれない。
そっちがそうならと、2人は隠れての騙し討ち作戦に出るが、肝心なヒッチハイクを担当する役が、美少女(もちろん美少年でもない)でなかったことをすっかり失念しており、作戦は見事に失敗。
車が止まらないなら、止まっている車にと、交差点で信号待ちしている車に無理やり乗ろうとしたり、今思えば、なんと非常識で空恐ろしいことを平気でやっていたのだろう。
捨て鉢になって最後は、道路に川の字に横たわるという、命がけの作戦により、K氏のリタイアを経て、瀕死の帰郷となった。
その上、どうしようもなくて鹿児島市内で乗った市内電車の乗車賃40円のために、無銭旅行は失敗というおまけつきで。

当てもなく高速道路に乗り、車(きっとオープンカーか?)を走らせて、知らない道の匂いを感じるという福山雅治とは、大違いだコンチキショー!!

こうしてファーマータナカの流転の旅は続く。
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★★★★★  わが大地のうた ★★★★★   作詞:作曲:笠木 透

落葉松(からまつ) こめつが 針葉樹林
かもしか つきのわぐま 走る稜線
そびえ立ち 連なる 我が山々よ
そびえ立ち 連なる 我が山々よ

いくたびか春をむかえ
いくたびか夏をすごし
いくたびか秋をむかえ
いくたびか冬をすごす

柿の木 赤つち畑 広がる水田
かわやなぎ 青い水 流れる河川
この土地に 生きている 私の暮らし
わたしに流れる 人たちの歴史

わたしがうたう うたではない
あなたがうたう うたでもない
わが山々が わたしのうた
わが大地が わたしのうた

かるかや かやつりぐさ 積乱雲
からすうり 月見草 風わたる草原
この土に わたしの すべてがある
この国に わたしの いまがある

いくたびか春をむかえ
いくたびか夏をすごし
いくたびか秋をむかえ
いくたびか冬をすごす

かもめどり 黒松 岩礁海岸
かつおどり うみつばめ うねる水平線
この国の 歴史を 知ってはいない
この国の 未来を 知ってはいない

けれども わたしは ここに生まれた
けれども わたしは ここに育った

わたしがうたう うたではない
あなたがうたう うたでもない
わが山々が わたしのうた
わが大地が わたしのうた

道東の極寒の牧場にいた頃、高石友也とナターシャセブンの歌で、この曲を聴いた。
同じく「わたしの子供たちへ」という曲も印象に残っている。
語りかけるように歌う高石友也に、何故か素直に自然やその時の己の境遇を受け入れる自分がいた。
てっきり高石友也の曲だとばかり思っていたこの曲が、笠木透という人の作品だったと知ったのは、随分時が流れてからだった。
彼(「わが大地のうた」という本がある)や、藤本敏夫氏の「農的幸福論」から彼らの生き様をみてみると、見てくれだけは同じように農や自然に携わっているのだが、彼らのその真摯な生き方に比して(比較すること自体おこがましい限りだが)ファーマータナカのなんと空疎でちゃらんぽらんなことか。
水耕栽培だとはいえ、地(土)に足がついていないのである。
それはともかく、ファーマータナカははべつに国家主義者でもないし、自然主義者でもないが、その時の酪農という生業の中で、壮大な歴史や自然や季節の移ろいとその中にいるちっぽけな自分を俯瞰していたのは事実だろう。。
そして今、20年前の自分から進歩していないどころか退化退行してしまっている自分を見てしまうのである。

で、唐突だが、この詩は素敵だ。

寝乱れて 隠れ宿
九十九祈り 浄蓮の滝
(中略)
わさび沢 隠れ径
小夜時雨 寒天橋
(中略)
走り水 迷い恋
風の群れ 天城隧道 (以上石川さゆり「天城越え」より) や

お酒はぬるめの 燗がいい
肴はあぶった イカでいい
女は無口な ひとがいい
灯りはぼんやり 灯りゃいい
(中略)
店には飾りが ないがいい
窓から港が 見えりゃいい
はやりの歌など なくていい
時々霧笛が 鳴ればいい(以上八代亜紀「舟唄」より)に通ずるこころがある。(通じないかもしれない。)

ファーマータナカだって吟遊詩人であることには、論を俟たない。

おそ松  米櫃(びつ) 信用組合
いのしし 野良猫 転ぶ爺さん

渋柿 赤ら顔 狭すぎる了見
厠行き 青い筋 流れる質草・・・・・・

おっと、久々の迸る創作意欲があられもない方向に行ってしまいそうになってきた。
ファーマータナカ版「わが大地のうた」はもう少しあたためて晩年の作品としよう。(2003.07.20 No.20)[INDEX]