
この論考の第I部(67号)においてわたしは教皇ヨハネ・パウロ2世が1982年5月13日および2000年5月13日の説教の中で第三の秘密について何をわたしたちに告げられたか、そしてこのことがわたしたちに対して何を意味しているか、検討しました。わたしは教皇様が第三の秘密の本質--カトリック信仰が(数ある中で)聖職者の三分の一によって現代掘り崩されているということ--をわたしたちにどのように明らかにされたかを論じました。
この論考の第II部(68号)においてわたしは信仰を掘り崩している教会の中のこれらの人々が誰であるかを問うことの重要性と、彼らが信仰を堀り崩すことにどのようにとりかかっているかを知ることの重要性を論じました。わたしはまた、教会におけるよい人と悪い人とをどのようにすれば区別することができるか、そして平均的な平信徒にとってこのことがどのように重要であるかを論じました。また、第三の秘密についてわたしたちが何を知っているか、そしてそれが永遠の救いにとって重要であることをも論じました。
第II部の終わりのところで、わたしは、第三の秘密が信仰の不可謬の定義に関わっていることを強調しました。そして、それらの定義は、まさにその本性からして、何が真理であるかを、そしてそれゆえに、厳密な論理的含意において、何が誤謬であるか、また誤謬は非難されるべきであると、言わなければならないのです。もしある人が不可謬の真理を知らされた後でも非難された誤謬に頑固にしがみつくならば、そのときその人は(死ぬ前に悔い改めないかぎり)救われることはできません。ですから、その人に警告することは
それで、第二バチカン公会議は、--定義なしに、非難なしに、破門宣告なしに、教えようと試みることによって--実際問題として、悪魔の罠に落ち込みました。われらの主は「あなたがたは、その実で彼らを見分ける」(マタ7:16)と言われました。この罠の諸々の実は今日あらゆるところで明白です:たった20%のカトリック者しか日曜日のミサに行っていないこと(公会議の前には70%のカトリック者が信仰を実践していました)、そして今日信仰を実践していないカトリック者のモラルは、中絶、離婚、不貞、姦淫、中絶を支持する政治家への投票、等々のような問題において非カトリック者のモラルと同じように悪しきものです。誤謬に対して破門宣告することを拒否している第二ヴァチカン公会議の教えはそのうちに誤謬を含み得るでしょう--このことは第二ヴァチカン公会議の事務総長、ペリクル・フェリチ枢機卿によって認められました。ですから、わたしたちは第二ヴァチカン公会議におけるあらゆることを以前の諸教皇および以前の20の公会議の荘厳な諸々の定義によって判断しなければならないのです。
わたしたちは、第三の秘密が何であるかを知っています。というのは、教皇ヨハネ・パウロ二世は第三の秘密が何であるかをわたしたちに明らかになさったからです。そして教皇様の陳述についての適切なカトリック的解釈は、以下に述べることを含めて、他の宗教的な典拠からわたしたちが学んだことと一致しています。
以前に言いましたように、教皇ヨハネ・パウロ二世は2000年5月に、黙示録12:3-4を説教の中で引用することによって、現代における信仰に対する諸々の危険について、わたしたちに警告なさいました。黙示録のその個所は天の星の三分の一が竜の尾によって地に掃き落とされるであろうと予言しました。そして教皇様はその危険が現在あるとわたしたちに指摘しておられます。カトリックの諸々の注解は伝統的にこの節が、悪魔のために働くことによってカトリック信仰と霊魂たちの救いの両方を掘り崩すものとして、聖職者--すなわち、枢機卿、司教、司祭たち--の三分の一について語っているのだと注釈してきました。
イタリアのジャーナリスト、ヴィットリーノ・メッソーリとの1984年のインタビューの中で、ラッツィンガー枢機卿は、第三の秘密は「キリスト者の信仰と生命、そしてそれゆえに、世界の生命を脅かす危険」に言及していると述べました。これは教皇様が1982年5月13日、そして2000年5月13日にわたしたちに語られたことに似ています。
ファチマで聖母はポルトガルにおいて保持される「信仰の教義」について話されました。信仰の教義はカトリック信仰の定義された諸々の教義の全体です。これらの教義をわたしたちは信じなければなりません--定義された諸々の教義は不可謬のものです、それらは誤ることがあり得ません。もしある教皇、枢機卿、司教あるいは司祭、あるいはあるエキュメニカルな会議すらが、教義に反するあることを言うならば、その者は--客観的に言って--異端の罪があり、信徒を滅びに導くでしょう。そしてわたしたちは、今日定義されたカトリック教義の多くの否認を見ているのです。そして信徒たちはその信仰に対する諸々の危険に対して警告されていないのです。
マラキ・マーティン神父は、自分は第三の秘密を読んだとわたしたちに告げました。--彼はそのことを、アート・ベルのラジオ番組で述べたのですが、わたしたちはそのオーディオ・テープを持っています。おまけに、多くの質問に対する答えの中で、マラキ・マーティン神父は聖母がスペインのガラバンダルに来られたが、その理由は、聖母が要求なさったように、第三の秘密が1960年に明らかにされなかったからだ、と述べました。その結果、聖母は1961年--ヴァチカンが第三の秘密を明らかにすることに失敗した1年後--に御出現になり、ガラバンダルで、あるいは少なくともガラバンダルのメッセージの中で、四人の子どもたちに秘密を基本的に明らかになさったのでした。そのメッセージの中で最も印象的なことは、「多くの枢機卿、司教そして司祭が地獄に行き、そして多くの霊魂を引き連れて行く」ということ、そして現代の罪のゆえに大きな懲罰が人類を待っているということです。
ガラバンダルのメッセージの中で聖母がおっしゃったと伝えられていることの最も本質的な部分--また非常に印象的な部分--は「御聖体に対してますます重要性が与えられなくなる」ということです。聖母はまた「多くの枢機卿、司教そして司祭が地獄への道にあり、彼らは多くの霊魂を引き連れて行っている」とも言われました。そのことは、もちろん、2000年5月13日にカトリック聖職者の三分の一が悪魔のために働いていると事実上わたしたちに告げておられる教皇ヨハネ・パウロ二世と結びついています。そしてそのことは1982年5月13日に信仰の教義がカトリック教会の内部から掘り崩されていると告げておられる教皇様と結びついています。マラキ・マーティン神父はガラバンダルのメッセージは、第三の秘密が関わっていることであると言いました。報じられているガラバンダルにおける聖母の御出現は教会によって認められてこなかったけれども、ガラバンダルの司教--すなわち、スペイン、サンタンデルの司教--はガラバンダルのメッセージが信仰に反するものではないと、1965年7月に公式に発表しました。そして、もちろん、それは、ローマが信仰を失い、アンティキリストの座となるであろうと予言したラ・サレットの、教会によって認められたメッセージと結びついています。
わたしたちはまた、第三の秘密の諸部分を報道した1963年のドイツの出版物「ノイエス・オイローパ」の論考についての、オッタヴィアーニ枢機卿の是認を持っています。その論考の一部は「枢機卿は枢機卿に対立し、司教は司教に対立するであろう」と述べました(ガラバンダルのメッセージにおいて報じられたことを確証しながら)。この対立は信仰を助長するために働く聖職者と信仰を掘り崩すために働く聖職者との間に起こります。この対立は起こりますが、その理由はあなたがたが信仰を掘り崩し、信仰を攻撃する人々に反対することなしに信仰を支持することができないからであり、また、異端者は正統的なカトリックの諸々の教義を支持する人々に反対することなしに異端者であることができないからです。
それは、信仰の教義が世界のさまざまの(あるいは多くの)部分において保たれないであろうということを意味していますが、その理由は聖職者と信徒が荘厳な諸定義を信奉していないからです。このことは、ポルトガルにおいてすべての人が荘厳な諸定義を信奉しているということを意味するものではありません。しかし、聖母は、それにもかかわらず、ポルトガルが全体としてそうするだろうということを約束なさっています。それに対して、信仰の教義はヨーロッパや世界の他の部分においては保たれないでしょう。(1931年8月にスペイン、リアンジョで)イエズスがわたしたちに、ポルトガル、スペイン、ロシア、ヨーロッパそして全世界のために祈るように求められたということは興味のあることです。これらの国々は、世界の多くの国々の救いがかかっている主要な国々であり、最も重要な大陸であろうと思われます。第三の秘密はヨーロッパの至るところでの、そしておそらく世界の多くの国々の至るところでの、カトリック信仰の堀り崩しに関係しています。
もし人々が不可謬の諸定義を信奉するならば、信仰を保つでしょう。カトリック信仰を守るためには、よいカトリック生活をし、堅実なカトリックの書物を読み、悪い書籍、雑誌、テレビ番組を避け、またカトリック信仰を掘り崩す人々を避ける必要があります。しかし、また恩寵をも必要とします。この恵みを得るためには祈らなければなりません--特に毎日のロザリオを--。混乱させられることを避けるために、福音のより深い理解に訴えると主張する偽りの牧者や異端者に従ってはなりません。もし彼らが不可謬の信仰の諸定義に従ったならば、信徒はすべてのことを--教皇あるいはエキュメニカルな会議から単純な平信徒に至るまでのどんな人をも含む--福音の光に照らして、また福音を説明する不可謬の諸定義の光に照らして、何が正しく、何が間違っているかに従って、判断するでしょう。信徒はある事柄が信仰からのものであるか、それともそうでないかを知るでしょう。そして彼らは、話している他の人--教会における彼らの地位や才覚が何であれ--がいつ誤ったかを知るでしょう。信徒は何が誤りであり、何が信仰に反するのかを決定することができるでしょう。なぜなら、それらの定義は不可謬だからです。すなわち、諸定義は誤ることができないからです。
これが、ファチマの聖母が、--わたしたち自身の魂を保ち、できるかぎり多くの私のまわりの人々の魂を保つために--わたしたちに警告なさり、何をなすべきかを告げるために来られた理由です。そしてこれが、第三の秘密がわずかの言葉で語っていることです。それでわたしたちは堅固な地盤の上に立っているのです。
前に言いましたように、毎日ロザリオの祈りをし、カトリック信仰の教義を、特に不可謬の定義を学んでください。もしその用意ができていないならば、まず第二ヴァチカン公会議以前に教会によって認可されたカトリックのカテキズム--特にボルティモア・カテキズム(時代の試練に耐え、教会内部の現在の混乱状態以前に教会によって承認された)、トレント公会議のカテキズム、そして聖ピオ十世のカテキズム--を読んで勉強しなさい。
わたしたちは「ファチマ・クルーセイダー」64号にこのことの多くの証拠を提出しました。66号のヘッセ神父の論考「ラッツィンガー枢機卿の第三の秘密」、そして他の個所にも証拠があります。わたしたちはまたフレール・ミッシェルのすぐれた研究『ファチマに関する全真実、第三巻、第三の秘密』を持っていますし、またアロンゾ神父が公刊した第三の秘密に関する研究をも持っています。これらはすべて、2000年6月26日に第三の秘密がその全体において明らかにされなかったという多くの証拠をわたしたちに提供しました。
次ぎに、ラッツィンガー枢機卿は1984年に、第三の秘密が「信仰とキリスト者の生命を、それゆえに世界の生命を脅やかす危険に関わっている。そしてまた四終[死、私審判、公審判、地獄=訳者注]の重要性にも関わっている。第三の秘密が公表されない--少なくとも今のところ--とすれば、それは宗教的な預言とジャーナリズムの興味本位との混同を避けるためである。しかし、この第三の秘密のうちに含まれている事柄は聖書に告知されていること、そして他の多くのマリア御出現によって確証されていることに一致している....」と言っています。注13 しかしながら、2000年6月26日に発表されたヴァチカンの文書においては、ラッツィンガー枢機卿は、(第三の秘密に関して)「どんな大きな神秘も明らかにされていないし、未来の秘密が明かされているのでもない」注14と述べることによって、自らの1984年の陳述と反対の意見を述べています。
また、わたしたちは「教皇様に宛てられた」と主張されている1982年5月12日にシスター・ルチアによって書かれた一通の手紙に言及することもできます。2000年のヴァチカン文書はこの手書きの手紙の一部の写真による複写を提示し、それが教皇ヨハネ・パウロ二世に宛てられたものであると主張しています。しかしながら、その手書きのポルトガル語のテキストとヴァチカンによって用意された訳文(英語、イタリア語およびポルトガル語)との綿密な比較は一つの決定的な句(この手紙が教皇に、--あるいはどの教皇にも--宛てて書かれたものではあり得ないということを証明している)が三つのすべての訳文から省かれていたということを明らかにしています。
ヴァチカンによって提供された英語版における相当するテキストは次のようになっています。「秘密の第三の部分は一つの象徴的な啓示であって、それは『もしわたしの要求が心に留められるならば、ロシアは回心し、平和が訪れるでしょう。もしそうでなければ、ロシアはその誤りを全世界に広めるでしょう、等々』と、メッセージそのものがわたしたちに要求していることをわたしたちが受け入れるかどうかによって条件づけられた、メッセージのこの部分に言及しているのです。」
たった今言及したシスター・ルチアの手紙から取られた次の陳述において肉太にされたテキストはヴァチカンの印刷された版からは周到に省かれていました。すなわち、"A terceira parte do segredo, ”que tanto ansiais por conhecer,”e uma revelacao simbolica..."この訳は次の通りです。「”あなたたち(複数形)すべてが熱心に知ろうと望んでいる”秘密の第三の部分は象徴的な啓示である。」そこでは「あなたたちが望んでいる」の動詞時制は複数形であり、形式ばらない形です。ですから、この手紙は一人以上の人間に宛てられたものなのです。さらに、本能的に教会の権威に対してうやうやしい一修道女であるシスター・ルチアは、親しみをこめた、形式ばらない「あなた」を使って聖なるカトリック教会の至高の教皇に呼びかけるようなことをしないくらいの分別は確かにあるでしょう。
さらに、この省かれた句はまた受取人たちが [第三の秘密を]「熱心に知ろうと」望んでいると述べています。--たとえ教皇ヨハネ・パウロ二世がすでにその秘密を読んだ(教皇になって数日後の1978年[ホアキン・ナヴァッロによれば]か、それとも1981年7月18日[ベルトーネ大司教によれば]--かのいずれかに)としても--。教皇様は1981年までにすでに第三の秘密を読んでおられたのですから、1982年になぜそれが含んでいたことを「熱心に知ろうと望まれた」のでしょうか?さらに、教皇様はそのテキストをヴァチカンの文書館(あるいは教皇居住区画にある金庫)から手に入れることがおできになったのに、その秘密を熱心に知ろうと望まれたと、シスター・ルチアはどうして言うことができたのでしょうか?
同じ手紙はこう述べています。「そしてわたしたちは、たとえこの預言の最後の部分の完全な実現をまだ見なかったとしても、大股でそれにだんだん近づいているのです。」(後に2000年6月26日になってラッツィンガー枢機卿とベルトーネ大司教が主張したように)もし預言が1981年5月13日の未遂に終わった教皇狙撃
事件ですでに実現されていたのであれば、なぜシスター・ルチアは1982年に教皇ヨハネ・パウロ二世に、第三の秘密の預言はまだ実現されていないと言ったのでしょうか?
第三の秘密が隠されているもう一つ別の証拠として、教皇ピオ十二世は、シスター・ルチアへのファチマの聖母のメッセージが典礼を変えることにおけるカトリック教会の自殺に関係していると述べられました。世界にすでに明らかにされたファチマのメッセージの部分のどこにも典礼を変える教会の結果への言及をわたしたちは見ていません。ですから、それは第三の秘密において言及されているにちがいありません。第三の秘密は2000年6月26日には完全に明らかにはされ
なかったのです。
1958年10月9日に亡くなられたピオ十二世は、--典礼を変えることなぞ考えられないこと、非カトリック的であると考えられた時代に--わたしたちに以下の警告を与えられました。それは、”Pius XII Devant L'Histoire”(英語でのタイトルはPope Pius XII Before the Bar of History)という書物の52-53ページに引用されています。すなわち、
「親愛なる友よ、共産主義(ファチマの用語を使えば、ロシアとロシアの誤謬)は、教会と神の啓示の諸伝統に対して用いられる転覆の唯一のそして最も可視的な道具です...わたしはファチマのルチアに対する聖母のメッセージのことが気にかかっています。教会を脅かす諸々の危険についてのマリア様のこのねばり強さは、教会の典礼において信仰を変えるという自殺行為に対する神の警告です...文明化された世界がその神を否定し、ペトロが疑ったように教会が疑う日が来るでしょう。教会は、人間が神となったと信じるよう試みられるでしょう...わたしたちの教会において、キリスト者はそこで神が彼らを待っておられる赤いランプを探しても無駄でしょう。空の墓の前で泣いているマリア・マグダレナのように、彼らはこう尋ねるでしょう。『彼らは彼をどこに連れて行ったのか?』と。」
わたしたちはまた、教皇様が第三の秘密を読まれたのは、--ベルトーネ大司教が主張したように--狙撃された後の1981年ではなくて、教皇様の個人報道スポークスマンであるホアキン・ナヴァッロ−ヴァルスの証言によれば、1978年であるという陳述も持っています。そしてそのように、明らかに、ヴァチカンから出て来ている二つの異なった話があるのです。すなわち、一つは、教皇様が第三の秘密を読まれたのは1981年5月13日以後--もっと正確に言えば1981年の7月--でしかないと言い、もう一つはそれは実際1978年であったと言っています。実際、教皇ヨハネ二十三世はそれを1959年8月、教皇選出後1年以内に読まれました。教皇パウロ六世は1963年に教皇選出後一週間以内に読まれました。実際、わたしたちが教皇ヨハネ・パウロ二世は選出後数週間後にそれを読まれたというそのportavoce、報道官の証言を持っているときに、三年後まで読まれなかったなどということは道理にかなうことではありません。両方の陳述を和解させる唯一の解答はアンドルー・セザネック氏がファチマ・クルーセイダー64号のその論考(「第三の秘密に関する二つのオリジナルの草稿があるのか?」)において示されたように、二つの文書が存在するということです。
わたしたちの議論は事実に基づいています。事実に対しては議論は存在しません("contra factum non est argumentum"聖トマス・アクィナス)。あなたは事実に対して論じることはできないのです。わたしのテーブルの上に、赤い色をした、わたし自身の目で見ている一枚のテーブルクロスがあるならば、あなたは、それが存在しないと、あなたの望むあらゆることを論じることができます。しかし、事実はそれはそこにあるということです。そしてその事実に対してどんな議論もありません。「教皇様がそれはそこに存在しないと言っておられます。ラッツィンガー枢機卿はそれは存在しないと言っています」という権威からの議論でさえ、単純な事実の反対を証明することはできません。他のどんな事実に対しても議論はありません。聖トマス・アクィナスがしたことは、事実に達するときには事実は存在しないということを証明するために理性を使用することはできない、という一つの公理をわたしたちに与えることです。事実は、事実がそこにあるということです。そしてそれはそれです。そしてわたしたちは諸々の事実を持っています。そしてこれらの事実に対していかなる議論も存在しないのです。ちょうど「二点間の最短距離は直線である」という公理と同じように、「事実に対してはいかなる議論もない」ということも公理です。
彼らは、わたしたちの間に潜入した悪い人々によるあなたたちの信仰の危険についての第三の秘密の最も重要な部分を隠しています。それは、2000年6月26日の記者会見において、ラッツィンガー枢機卿とベルトーネ大司教によって明らかにされなかった部分です。これが、ファチマ・クルーセイダーが必要とされる理由です。この使徒職とこの雑誌は英語圏の人々がファチマについての全真実を学ぶことができる数少ない手段の一つです。これは、ファチマの全メッセージを公表している唯一の大規模な英語によるファチマ使徒職であり、この使徒職はこの真理を知らせるためにフルタイムの努力を捧げています。
脚注1-12までは第I部および第II部にあります。
(13) Frere Michel de la Sainte Trinite, The Whole Truth About Fatima, Vol.III-The Third Secret, Immaculate Heart Publications, Buffalo, New York, 1990, reprinted 2001, pp. 822-823.See also Jesus magazine, November 11, 1948, p.79. See also The Fatima Crusader, Issue 37, Summer 1991, p.7.
ファチマの聖母は言われました。「ポルトガルにおいては、信仰の教義は常に保たれるでしょう、等々」教義とは何でしょうか?そしてこれは第三の秘密とどんな関係があるのでしょうか?グルーナー神父は熟達した仕方でわたしたちに以下のことを示しています。すなわち、わたしたちはどのようにして自分たちの霊魂を守ることができるか?疑いの影なしにどのようにしてカトリック信仰がわたしたちに要求することを知ることができるか?そして このことがどのようにして第三の秘密のもっとも深い部分の内容を理解するよう私たちを助けるのか?
ニコラス・グルーナー神父,S.T.L.,S.T.D.(Cand.)



質問:あなたがここで言っておられることが第三の秘密であるということを、わたしたちはどのように道徳的に確信できるでしょうか?
1.わたしたちはそのことを教皇様から知っています
2.わたしたちはそのことをラッツィンガー枢機卿から知っています
3.わたしたちはそのことをファチマの聖母から知っています
4.わたしたちはそのことをヴァチカンに働いていたときに第三の秘密を読んだマラキ・マーティン神父から知っています
5.わたしたちはそのことをガラバンダルの聖母のメッセージから知っています。
6.わたしたちはそのことを「ノイエス・オイローパ」から知っています。
質問:結論的に言えば、聖母が「ポルトガルにおいて信仰の教義は常に保たれるでしょう。等々」と言われたとき、このことは、いずれにしても、世界の他の国々ついて何を意味しているのでしょうか?
質問:信徒はそのことについて何をすることができるでしょうか?
質問:私たちは魂を救うためにそれについて何をすることができるでしょうか?
質問:第三の秘密が隠されたという証拠がありますか?
質問:彼らは何を隠しているのでしょうか?
脚注
(14) Joseph Cardinal Ratzinger, "Theological Commentary", The Message of
Fatima, June 26, 2000, p.32.2002/07/28 三上 茂 試訳

In Spite of the Effort to Bury it:Pope John Paul II Gives Us the Key to the Real Third Secret Part III
作成日:2002/07/28
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