

親愛なるベルトーネ枢機卿:
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誰が— あなたと私のうちの -
意図的に嘘を言っているのか?
Cardinal Bertone
Antonio Socci
そしてどうかフリー・メーソンに言及しないで下さい
アントニオ・ソッチ
The Fatima Crusader Issue 86, Summer 2007
著明な作家アントニオ・ソッチが
ベルトーネ枢機卿に挑戦するファチマ御出現の90周年記念日(1917年5月13日)に、全真実を語り、そして聖母に耳を傾ける日が来た...
何という誤りであろうか!ベルトーネ枢機卿がなぜそのようなトラブルに身を投じ、ヴァチカンをもまた窮地に陥らせることをするのか、誰が知ろう!個人的には、私は国務省長官(それゆえに教会のヒエラルキアにおけるナンバー・トゥー)が私の『ファチマの第四の秘密』を論駁するために『ファチマの最後の幻視者』という書物を出版したことに十分に幸せであるべきであろう。そのことは何かこれまでには無かったある事柄である。ダン・ブラウン(編集者注:不敬な『ダ・ヴィンチ・コード』の著者)でさえそのような名誉を持たなかったのだ!
明らかに私の書物は実際激しいものだったに相違ない。この高位聖職者は状況の完全なコントロールを失った。なぜなら - キリスト教的愛徳への多くの状況とともに - 彼は私の主題が「純粋に<作り話」であると主張し、そして私の探求は「教会の信用を傷つけるためのフリーメーソンの古い陰謀」を助けるであろうと述べているからである。そして枢機卿は脅すようにこう続けている:「カトリックであると主張しているジャーナリストたちや作家たちがこのゲームに力を貸しているということは私を驚かせる」と。結局のところ、彼は私が「嘘つき」であり、「意識的に嘘を言っているある者」だと言っているのである。
しかし不幸なことに彼は私がどのようにそしていつ実際に嘘を言ったかを示していない。私は - たった一つの例を挙げるならば - ただ彼にヴァチカンによって出版された第三の秘密に関する彼の註釈において彼がシスター・ルチアの手紙を引用しているが、しかし(それを言うことなしに)彼が彼の解釈全体の地位を低下させるであろう一つの決定的な文言を書き落としているのは何故かを説明してくれるように彼に頼んだだけである。私の書物におけるこの「風変わり」(多くのもののうちの一つ)を報告することによって私は何らかの可能な手段によってこの高位聖職者の誠意を救おうと試みた。しかしベルトーネ枢機卿はその書物の中で単にそれに対する何らの説明も与えることがないだけでなく、同じ仕方で「修正された」手紙を再び引用している。われわれはものが言えなくなった。そのような仕方で文書を用いることは単純に可能ではないのである!あなたはただあなた御自身を不利にしているのだ!
論争の中核 しかしわれわれの論争の中核は何であろうか?それはこの問いのうちにある:すなわち、ファチマの「第三の秘密」- 非常に近い将来に教会と世界に起ころうとしていることに関する預言を含んでいる - は2000年に完全に公表されたか?私が自分の研究を始めたとき、私はヴァチカンが実際それをすべて公表したということを確信していた。しかしそれから私は諸々の事実が私に反対のことを告げているということを理解した。公正さの問題として私はこれらの事実を注意しなければならなかった。そして公式のバージョンのうちに含まれている信じられないほどの多くの「穴」や矛盾を述べ指摘しようと決めた。第三の秘密は数十年間マスメディアの内部に(そして諸政府や諸諜報機関内部にさえ)真の精神異常を引き起こしてきた一つの神秘、キリスト教徒にとって(そしてわれわれの未来にとって)最も重要性を持った預言的テキスト、その歴史のうちでも最も重要なマリア御出現と認めた後に教会がそれに信憑性を与えたテキストであるので、私はヴァチカンが公式のバージョンのうちに含まれているすべての非常に大きな「困難」("pasticci")を明らかにするか、それとも(ソリデオ・パオリーニによって教皇に宛てて書かれた最近の請願が求めているように)隠されたテキストを公表するか、そのいずれかの必然性を指摘した。私の探求の間に、私は大司教として2000年6月26日の秘密の公表において指導的な役割を持っていたベルトーネ枢機卿との個人的な会見を求めた。彼は私をよく知っていたけれども、私とのインタビューを断った。しかも(編集者注:2006年11月22日に出版された後に)*彼は、2007年5月13日(5月13日は御出現の90周年記念日である)ファチマの90周年記念日に間に合うように、これらの過去数日間の間に彼が完成された一冊の書物を私の書物に対する回答として直ちに出版する活動を始めたのである。
いかなる誠実な解答もなし 問題はこの書物が私が提出した諸々の質問に対してたった一つの解答をも与えていないということである。その反対にそれはそれ以上の諸問題を引き起こしている。私はそのような混乱したそして自らを傷つける回答を読んでいる間にまったく困惑させられるのを感じた。どの著作家にとっても、ヴァチカンの国務省長官によってひとかけらの証拠もなしに個人的に攻撃されことは注目すべき成功であろう。しかし私にとってはそれは一つの大災難である。なぜなら、私は自分自身を一人のジャーナリストである前にまず第一に一人のカトリック者であると考えているからである。私は自分が恐ろしく間違っていて、そして論駁される方を選んだであろう。あるいは私は、聖座が最終的に - 聖母が要求なさったように - 今なお隠された部分を公表することによってファチマの第三の秘密についての真実全体を公表するよう決断するであろうと望んでいた。もしそうでなければ、私は無視され、すげなくはねつけられ、ボイコットされることの方を選んだであろう。しかし唯一の誤り、避けるべき唯一の事柄はまさに、何一つ答えることなしに、そしてむしろ彼自身にとっても、またヴァチカンにとっても破局的である新しい諸項目をつけ加えながら、まさにベルトーネが彼自身を公的に曝したことであった。
彼らは何を恐れているのか? まず第一に、ファチマの証人、シスター・ルチアの「処置」の問題がある。数年以上の間、1960年以来ヴァチカンによって沈黙を守るように命令された彼女以外には誰もがファチマについて公然と語ることができた。彼らは何を恐れていたのか?2000年のテキストの公表の前に教皇はコインブラのシスター・ルチアのところにベルトーネを遣わされている。教皇は2001年11月に再びベルトーネを遣わされるであろう。結局この高位聖職者は2003年12月に彼女のところに戻るであろう。これら三回の個人的な会合は、歴史における最も重要なマリア御出現についての彼女の完全なそして最も貴重な証言をキリスト教世界と全人類に残すことをほとんど百歳にもなる最後の生きている幻視者に許す最大の機会であった。それは世紀を画する一つの機会であった。
単に多くの噂や伝説化した話を沈黙させるためばかりでなく、またヴァチカンをごまかしの非難から守るためにも、ベルトーネはこれらの例外的なインタビューを後世に残すために記録する(あるいはさらによいことは映像に収める)べきであった。あるいは、少なくとも、彼は質疑応答の完全な書写 - それに幻視者は将来のそして予見可能などんな論争をも避けるために署名したであろう - を手配すべきであった。
しかし、まったく信じられないことであるが、- この高位聖職者が言っているように - 「少なくとも十時間」続いたこれら3回のインタビューは記録されず、映像に収められず、書写もされなかったのだ。今日この高位聖職者は彼が「ノートに取った」と説明している。それゆえ、ファチマの公式的な文書においては、シスター・ルチアに帰せられるただわずかの短い文言だけが報告されている。それらは不確かな信憑性を持つ文言であり、満足できるものでは全然ない。なぜなら、彼は彼女に決定的な質問、何らかの疑いを明確にするために用いられ得るであろう質問をしなかったからである。あるいは少なくともそれらのベルトーネによっては報告されていないのである。私の書物の中で、私は彼に、なぜ10時間のインタビューからあなたはシスターのたった二三の文言 - それは多く見積もっても4分しかかからない - しか報告しないのか?と尋ねた。それらのすべての時間の間彼女は他の何を言ったのか?なぜあなたはシスター・ルチアに基本的な質問をしなかったのか、あるいはなぜあなたは彼女の諸々の答を報告しなかったのか?と。彼の書物の中で、ベルトーネはこのすべてのことについていかなる説明も与えていない。そして最悪の事柄は彼が2000年の公式的な文書においては一度も報告されなかったいくつかの文言をシスター - しばらくして亡くなり、そして何事をも否定することができない - に帰しているということである。
ベルトーネによれば、2000年のテキストに関してシスターは「これが第三の秘密です」「唯一のテキストです」そして「私は他のことは何も書いたことは一度もありません」と言ったというのである。なぜベルトーネは彼の公式の出版物においてそのように重要な文言を一度も報告しなかったのか?そしてこの高位聖職者はなぜ幻視者に、彼女が聖母によって言われ、あの「等々」(「ポルトガルにおいては信仰の教義は常に保たれるでしょう、等々」)によって指摘されたそれらの不可解な言葉の続きを書かなかったかどうか、尋ねなかったのか?その「等々」はファチマ学者たちによって常に第三の秘密の始まりの部分だと考えられてきたものである。それは実際奇妙である。それは、今や - そして幻視者がすでに亡くなっている今だけ - この高位聖職者が彼女に帰している他の新しい陳述のようである。
この新しい陳述に従えば、シスター・ルチアは、1981年の教皇(ヨハネ・パウロ二世)の暗殺未遂について知らされたとき、「第三の秘密の預言が実現されたと直ちに考えた」というのである。なぜ一体そのような重大な確証が公式文書において一度も報告されなかったのか?なぜ(「殺される白い衣服を纏った司教」を伴った)幻視のテキストを含んでいたヴァチカンによる註釈において誰も - シスター・ルチアも、ソダノ枢機卿とラッツィンガー枢機卿も、ベルトーネ自身さえも - 1981年の教皇(ヨハネ・パウロ二世)の暗殺未遂が第三の秘密の実現であったと明白に書かなかったのか?
いかなる「公式的な解釈」もなし そしてなぜラッツィンガー枢機卿は、今日ベルトーネがそれを公式的なバージョンとして押しつける振りをしているのに、そのような解釈は単なる一つの仮説であり、そして教会による「公式的な解釈」は存在しないと言ったのか?そしてヴァチカンの註釈に付加され、そして暗殺未遂の翌年である1982年に書かれた教皇宛の手紙の中で、なぜシスター・ルチアは(第三の秘密の)「この預言の最終的な実現を私たちはまだ見ていません」 しかし「私たちはそこに少しずつ大股で近づいています」と説明したのか?教皇宛の手紙の中でなぜシスター・ルチアは、もし実際その暗殺未遂が秘密の実現であったならば、まさに起こったばかりの教皇の暗殺未遂に言及さえしなかったのか?
ある人々はベルトーネが幻視者とのインタビューを記録もしなかったし書写もしなかったのは、このことがいくつかの見解を是認するよう彼女を説得するために修道院の囲いの中にいるシスターに対してなされた心理的な圧迫を示しただろうからであると主張した。これらの考えは私がベルトーネの書物の一節を読んでいた間に私の精神に戻ってきた。その書物の中で枢機卿はある点において幻視者が「苛立っていた」ということ、そして彼女が彼に「私は告解をしているのではありません!」と告げたということを思い起こしているのである。
シスター・ルチアはいかなる種類の質問にそのように強く答えることができたのか?おそらくある人は聖職的な力を持った年老いたシスターを思い起こし、そして彼女は「罪の赦免を得なかった」であろうと示唆しているのではないか?われわれは知らない。なぜならこの高位聖職者 - シスターの(まったく気の強い)答を非常に良く知っている - は彼の質問が何であったかを文字通り「忘れた」と言っているからである。
イエズスは「疑っているトマス」に信じるようにお求めになった。
今日多くの疑っているトマスたちが第三の秘密において教皇と
われわれすべてに対して述べられたイエズスの聖なる御母の緊
急のファチマ・メッセージを信じないで無視している。第四の秘密は存在する ファチマの「第四の秘密」(第三の秘密の隠された部分)が存在するということは明らかである。そして私は私の書物の中でそれを証明したと考えている。単に例外的な証人、ヨハネ二十三世(第三の秘密の開示に立ち会った)の秘書であるカポヴィッラ大司教の決定的なすっぱ抜きがあるだけではない。彼の言葉はソリデオ・パオリーニによって集められた、そしてそれについて - 信じられないことであるが - ベルトーネ枢機卿は彼の書物において何も言っていないのである。しかしまた私の書物の他のこともある。あの「検閲された」部分に関して、われわれはそれが一枚の紙に書かれているということ、そして2000年に公開されたバージョンのテキストの[述べている]ような4枚の紙に書かれたものではないということを知っている(この事実は教皇ピオ十二世およびヨハネ二十三世の右腕であったオッタヴィアーニ枢機卿によって明らかにされた。そして今日ベルトーネはそれを次のような仕方でうまく処理している:すなわち、「私はオッタヴィアーニ枢機卿の言葉が何に言及しているのか知らない」)。しかしわれわれはその紙の大きさ(9x14cm)を知ってさえいる。われわれはその紙が 12x18cm の封筒に入れられていたことを知っている。われわれはテキストが 20-25 行であったということを知っている。われわれはその封筒がヴァチカンにおいて受け取られそして数人の教皇たちによって読まれた日付(幻視に関するテキストとは違った)を知っている。そしてわれわれは - ピオ十二世に始まって - それが(2000年に公表された幻視のテキストの[言っている]ように)聖座に保管されていたのではなくて、教皇のアパートメントに保管されていたということを知っている。ロベール・セルーによって『パリ・マッチ』誌1958年10月18日号において公表された写真による証拠がある。ピオ十二世の最も信用のおける協力者、シスター・パスカリーナの証言(「その中にファチマの第三の秘密があります。」)がある。そしてカポヴィッラ大司教の証言がある。(私は公文書保管所からのその文書を公表した。)カポヴィッラ大司教は1963年6月27日に教皇パウロ六世によって呼び出された。なぜなら教皇は「ファチマの一括書類」がどこにあるかを彼から知りたかったからである。カポヴィッラはこう答えた:「それは寝室の中のバルバンゴと呼ばれる机の右側の抽斗の中にあります。」そして実際それはそこに見出された。
これらの証言のすべてに対してベルトーネは彼の書物の中で一つの答えも与えていなくて、あるインタビューにおいて(こう言っている)。「教皇の右側のテーブルの中に隠された封筒という映画的な再現はまったくの幻想である。」そしてそれはなぜそうなのか?彼はそれを説明していない。彼の書物の中で彼は私に対する一つの攻撃をつけ加えている。なぜなら私が、秘密は「ローマ教会の背教」そして上層のヒエラルキアの背教を予見していると示唆したであろうからである。まず第一に、ベルトーネはイエズスが1931年8月にその御出現においてシスター・ルチアに何と言われたかをもう一度注意深く読むべきである。さらに、背教について語ったのは私ではなく、オッタヴィアーニ枢機卿とチアッピ枢機卿である(「第三の秘密において他のこともいろいろあるが、教会における大きな背教が上層部で始まるということが予告されている。」)類似した考えはフエンテス神父に対するシスター・ルチアの言葉、そしてラッツィンガー枢機卿の二つの陳述のうちにも現れている。私は、多くの人々が第二ヴァチカン公会議の諸結果への関連においてこの背教を解釈しているということを説明しながら、ただ一人のジャーナリストとしての私の役割を果たしたにすぎない。
数多くの誤り もちろん私はこの書物のすべての失策を枚挙することはできない。なぜならここには十分な紙数がないからである。しかしそれらのいくつかを報告する余地はある。ベルトーネは例えば「シスター・ルチアはパソコンを一度も使ったことがない」ということをわれわれに知らせている。それは情報の貴重な一片である。なぜなら、2005年2月17日付けの『レプブリカ』Repubblica へのインタビューの中で彼はルチアが「最終的にパソコンすら使った」と述べたからである。そのときは、1989年のシスター・ルチアによる手紙 - それは彼女自身の手で書かれたものではなく、また彼女が「ロシアの奉献」について以前に述べていたことと矛盾したものであった - に信憑性を与えるという目的を持っていた。
奇妙なことに、彼の書物の中で国務省長官は1989年12月1日にウォイティラ教皇[ヨハネ・パウロ二世]への歴史的訪問の間にゴルバチョフが教皇の前で「メア・クルパ」[罪の告解のときの告白の祈りの一部]という文言を発したという噂をさえ信じている。その一方で、この証拠のない申し立ては1998年3月2日にヴァチカン報道局(サラ・スタンパ)によって公式に否定されているのである。他方において、今日ベルトーネは、1980年11月にフルダにおいてヨハネ・パウロ二世に帰せられた第三の秘密についての爆弾的な声明をさえ絶対的に真正なものだと主張しているが、その一方でヴァチカン報道局そしてラッツィンガー枢機卿さえがそれらを否定している(「フルダにおけるこの会合は偽りである。それは決して行われなかった。そして教皇はそれらのことを言われなかった。」)
さらに、ベルトーネは第三の秘密についての「ラッツィンガー枢機卿の解釈」は「信仰の教義ではなかった」と注意して言っている。しかし彼はそのインタビューの相手にベルトーネの考えを次のように導入させている:「聖母のメッセージについてのそのように多くの解釈の後に彼の言葉は...一つの決定版の是認である。」
絶対的にラッツィンガーよりも上位である。明らかに高位聖職者宛の教皇の手紙が、たとえ教皇が事柄一般について書いているにすぎないとしても、書物の中で一つの序論として用いられている。私としてはベネディクト十六世が「それを鼓舞した情調」に対して私に感謝を書かれた私の書物に関する手紙を私自身のために取って置く。これらの言葉は私に慰めをもたらす。一方で私は「フリーメーソンのゲーム」をしているという痛ましい非難によって侮辱されているのである。
訳者注:この論攷はファチマ・ニュース2007年5月29日号の再録である。
2007/09/01 三上 茂 試訳
Dear Cardinal Bertone:Who Between You and Me is Deliberately Lying? And Please Don't Mention Freemasonry へ
作成日:2007/09/01
最終更新日:2007/09/23
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