現代のための預言--好結果の聖母とファティマの聖母

The Fatima Crusader Issue 62 Winter 2000

マリアン・テレーゼ・ホルヴァート、哲学博士

 16世紀の終わりに、聖母は、当時スペイン統治の植民地であったエクアドルのキトの無原罪のおん宿り修道会員のシスターに、好結果の聖母という称号のもとに、御出現になり、御像を造るようにお命じになりました。聖母はこのことを単に修道院やエクアドルの国民のためばかりでなく、全西欧のため、そして全世界のために、大きな善を行うことをお望みになりました。聖母がこのことをお望みになったのは、その修道院が植民地のあの初期の日々に聖母の特別の御保護を必要としていたからですが、しかしまた、20世紀に起こるであろう教会と社会における大きな危機の間介入することをも望まれたからです。

 堂々とした威厳と超自然的な雰囲気を備えている好結果の聖母の女王らしい像は普通の像ではありません。その像は1611年に大天使ミカエル、ガブリエル、ラファエルによって奇跡的に完成されました。「カトリック・ファミリー・ニュース」に載せられた物語を読まれた読者はその美しい物語を知っています。そしてそれ以外の人はその物語を『好結果の聖母、現代のための預言』という表題の私の書物の中に見出すことができます。

 この小さな書物はまた、マザー・マリアナ・デ・ヘスス・トッレス(1563-1635)の驚くべき物語をも告げています。彼女は、見ることを許された20世紀に起こるであろう教会における危機のためにその苦しみと生涯を捧げました。マザー・マリアナはキトにある無原罪のおん宿りの王立修道会(フランシスコ会派)設立を助けるために13才でスペインから新世界に旅した無原罪のおん宿り修道会員のシスターでした。天から多くの並はずれた賜物を恵まれて、この選ばれた魂の持ち主は多くの未来の出来事、特に現代の教会の状況を知らされました。ここは彼女が経験した驚くべき生涯、多くの試練や苦しみについて述べる場所ではありません。むしろ、私がここでしようとしていることは、われわれ自身の時代に関係しており、また聖母が1917年にファティマでなされたもっとよく知られた預言にそれらがいかに完全に調和しているかを示す、彼女に明らかにされた預言のいくつかを告げることです。

 聖母はマザー・マリアナに、われわれの嘆くべき時代に、諸々の異端が多くなり、風俗習慣の堕落がほとんど完全なものとなり、信仰の光がほとんど消えているであろうと告げられました。多くの冒涜や悪用を償い、勝利に満ちた回復の日を早めるために、この17世紀の宗教者はわれわれの時代のための償いの犠牲となるよう頼まれました。このように、ある特別な仕方で、マザー・マリアナの使命は、われわれが今日目撃しているということをほとんどの人が否定しないであろう教会と社会における危機に結びついています。

10年以上前に私は好結果の聖母の奇跡の像を見るために巡礼しました。そしてフランシスコ会管区長マヌエル・スーザ・ペレイラ神父--彼自身聖性の香りのうちに亡くなった--によって、マザー・マリアナの死後100年に書かれた500ページの伝記に出会いました。彼はその著作を、修道院古文書の記録、キトの第10代司教ペドロ・デ・オヴィエド閣下の認可を受け、マザー・マリアナ自身によって書かれた自伝および1635年彼女の死後間もなくその生涯を書いたフランシスコ会管区長ルイス・カテナ神父の伝記に基づいて書きました。

 私はペレイラ神父の著作を英語に翻訳しました。その仕事を進めて行くにつれ、聖母が3世紀も前に認可された御出現において、われわれの時代の諸問題を述べておられることを見出して驚きましたた。1600年代のスペインの一修道女が今世紀に起こるであろうことについて何らかの観念を持ち得たなどということは絶対にあり得ません。しかし、それがあり得たのです。聖母はマザー・マリアナに、秘蹟が乱用され、無視されるであろう、カトリックの学校や修道院での貧弱な教育のゆえに召命がなくなるであろう、不潔が汚れた大洋の水のように町々に溢れ、その結果「ほとんど処女の魂の持ち主はいないであろう」と警告されました。

 しかし、そこにはファティマ・メッセージへのもっと深い関係さえ存在しました。聖母はマザー・マリアナに、彼女の名前がただ20世紀の終わりになってはじめて知られるであろうと告げられたのです。ファティマの第三の秘密は1960年に世界に明らかにされると考えられていました。不思議なことに、それは明らかにされませんでした。1960年に教皇ヨハネ23世は、神の御母の命令に真っ向から反する次のような理解不可能なメッセージを出されました。すなわち、"Questo non e per i nostro tempi"[この問題はわれわれの時代のためのものではない]と。「教会の善と人類の福祉」のために、ヨハネ23世の後の三人の教皇たちは、天上の女王からの命令に従うよりは、むしろヨハネ23世の例に従われました。

 しかしながら、キトの聖母のメッセージは教会および聖職者--在俗および修道会のいずれの--における危機について繰り返し警告しています。これは今日なお明らかにされていない1917年のメッセージの第三の部分であり得るでしょうか?すなわち、聖職者階級における棄教、信仰の光の一般的な消滅、教会に対する陰謀、サタンの支配。私の見解では、ファティマとキトは、アティラ・シンケ・グイマリャエスが私の書物の序文において述べているように、「同じゴシックのアーチの二つの側面」をなすものです。「それは現代の危機におけるカトリック者に対する宇宙の女王のメッセージです。」

ファティマと対応する三つの点

 

1.償いの犠牲の必要性:十字架の愛

 私たちは、あらゆる快楽を抱きしめ、60年代の格言、すなわち、「禁止することだけが禁止されている」という格言を採用した、人間の世紀、20世紀の終わりに近づいています。ファティマとキトのメッセージが人間に償いの犠牲と十字架の愛の必要性を語っていることは適切なことです。 1917年5月ファティマにおける聖母の最初の御出現において、聖母は子どもたちにお尋ねになられます。「あなたたちは、神に背く罪の償いの行為として、また罪人たちの回心のための嘆願として、神があなたたちに送るようにお選びになるすべての苦しみに堪えるために自分自身を神に捧げることを望みますか?」

 聖母は神の御計画における人間の協力をお求めになります。そして子どもたちはそれに同意しました。ルチアは言いました。「はい、望みます。」「それでは、あなたたちは大いに苦しむことになるでしょう。でも、神の恵みがあなたたちの慰めとなるでしょう」と聖母は彼らに告げられました。  同様に、キトにおいても、聖母は現代のわれわれに関係する彼女の大きな使命においてマザー・マリアナの協力をお求めになりました。1582年、マザー・マリアナは、御聖体の前で祈っていたとき、最初に、20世紀において罰として世界に押し寄せる異端、冒涜、不潔を見せられた。聖母は彼女にこうお尋ねになりました。「娘よ、あなたはこの時代の人々のためにあなた自身を犠牲にすることを望みますか?」マザー・マリアナは答えました。「望みます。」現代の惨事を予め見せられたショックの激しさのためにマザー・マリアナは意識を失って倒れました。

 歴史的、文書的な証拠はこの聖なる修道女が1582年に本当に死に、そして二日後に復活したということを記録しています。神の法廷の前で、彼女は天にとどまるか、それとも世間で苦しむために戻るかの選択をさせられました。まだ未熟な教会のこれら困難な最初の数年の間その子どもたちを保護するために天の栄光を去られた聖母の例に従って、マザー・マリアナはわれわれの時代の大きな罪を償うために生命へ戻ることを選びました。

 ファティマの子どもたちとマザー・マリアナが十字架を受け入れ、そして抱きしめたその仕方にはまた、われわれに対するある特別なメッセージがあると思われます。神は、人間の協力を、神の怒りをなだめるために苦しむ同意を、命じてはおられないが、求めておられます。十字架の神秘は、永遠の智慧であられる神がその最善の友人たちにだけお与えになるような非常に特別な恵みです。聖ヨハネ・クリゾストムスはこう書いています:「聖ペトロにとって、イエズス・キリストのために投獄されることは、タボル山上でキリストの栄光のうちにキリストと共にあることよりも大きな幸福である。彼にとって、囚人の鎖を身につけることは、天国の鍵を手に持つことよりも大きな光栄である」と。

 永遠の智慧であられる神は愚者の数は無限であるとわれわれに告げておられます。聖ルイ・ド・モンフォールはこう言っています:「その理由は、十字架の価値を知らない人々の数が無限だからである。そして彼らは彼ら自身にもかかわらず、十字架を担う。あなたは喜びでぞくぞくすべきである。」彼はこう言います。「なぜなら、あなたが担う十字架は非常に貴重な賜物だからである。十字架は、もし祝された人々が妬むことができるならば、その妬みを引き起こすであろう。」(『永遠の智慧の愛』p.97)

2.地獄の存在

 ファティマの第一の秘密は、地獄は存在しないという神話、20世紀の嘘をうち砕いています。1917年7月13日に、聖母は10才、8才、7才の三人の子どもたちに、「多くの霊魂が地獄に行きますから、祈りなさい、たくさん祈りなさい」と告げられました。それから聖母は両手を拡げて、三人の子どもたちに、地上の一つの穴、一つの場所を示されました。ルチアはこう言いました。「その穴は火の海のようでした。私たちはその中に男と女の、人間の形をした霊魂たちが、燃え、絶望のうちに叫び、泣いているのを見ました。」マリアは子どもたちに言われました:「あなたたちは罪人たちが、悔い改めないときに、行く地獄を見ました。」これは、一つのローマ・カトリックの教義:地獄の存在です。

 マザー・マリアナはその生涯の間、われらの主に修道院の中の一人の反抗的なシスターの霊魂を救ってくださるように懇願しました。われらの主はこの反抗的なシスターが、世界の終わりまで煉獄にとどまることを要求されるであろうけれども、救われるであろうと同意なさいました。マザー・マリアナはその償いとして、地上で5年間地獄の苦しみを受けなければなりませんでした。5年の間彼女は、あの恐ろしい場所で霊魂たちのために取っておかれた諸々の感覚のすべての苦しみと、神の喪失の感覚という最も強烈な苦しみを受けました。

 聖母が、フォン・バルタザール--彼は公会議以後の教皇たち、そして私たちの現在の教皇ヨハネ・パウロ二世に大きな影響を与えました--の普遍的な救いという誤った”理論”に直面して、地獄は存在する:それは一つの場所であって、空虚ではないということを20世紀の人間に理解させようと望まれたと思われます。

3.道徳および慣習のほとんど完全な崩壊

 1920年リスボンの奇跡の聖母孤児院にヤチンタが滞在している間に、聖母は彼女にこう告げられました:「より多くの霊魂たちを地獄に導く罪は肉の罪です。」聖母がこの少女に明らかにされた他の預言がありました:

 「流行の服装がわれらの主をたいそう不快にさせるようになるでしょう。神に仕える人々は流行の服装に従ってはなりません。教会は流行の服装を持っていません。われらの主はいつも同じです。」 聖母は、不潔の罪が非常に大きくなって、ほとんど処女の魂を持つ人がいないでしょうと言われました。

 聖母は、多くの結婚はよくない、それらはわれらの主を喜ばせず、神からのものではないと言われました。

 最後に、ヤチンタはルチアとマザー・ゴディニョに繰り返しこう言っていました:「司祭と修道者のために祈ってください。司祭は純粋、非常に純粋であるべきです!」

 1610年1月20日、エクアドル、キトで、3世紀前に、聖母は右手に司教杖を持ち、左の腕には神の御子を抱いて、マザー・マリアナに御出現になりました。それは「すべての人が私[聖母]が憐れみに満ち、理解に富んでいるということを知るようになるためです。なぜなら、私は彼らを御子のところへ導くからです。」聖母はマザー・マリアナに、20世紀には、「諸々の情欲が噴出し、慣習の完全な堕落が起こるでしょう、なぜなら、サタンがフリーメーソンの諸々の分派によってほとんど完全に支配するでしょうから。彼らはこの総体的な堕落を完成するために特に子どもたちに焦点をしぼるでしょう。この時代の子どもたちに禍あれ。」と言われました。聖母は明らかに、われわれの時代の世俗的および宗教的な制度に完全に侵入した世俗的人間的革命--それについては非常に多くのことが書かれてきましたが--について話しておられます。

 聖母は秘蹟の一つひとつを攻撃するであろう乱用について述べながら、こう続けておられます:「この時代の子どもたちに禍あれ。なぜなら、洗礼の秘蹟、また堅振の秘蹟を受けることが困難となるででしょうから。」聖母は、悪魔が告解と聖体の秘蹟を破壊しようと絶え間なく努めるであろうと警告なさいました。聖母は起こるであろう多くの神聖冒涜と聖体の乱用を嘆かれました。終油の秘蹟はほとんど尊重されなくなり、多くの人々がその秘蹟を受けないで死ぬでしょう。このようにして、「時間から永遠への大いなる飛躍」のために必要とされる援助を彼らは拒否するでしょう。

 品級の聖なる秘蹟は嘲笑の的となり、抑圧され、軽蔑されるでしょう。悪魔は聖職者を堕落させるために休む間もなく働くでしょう。そして彼らの多くの者を堕落させることに成功するでしょう。そしてこれらの「キリスト教の人々を憤激させるであろう堕落した司祭たちは悪しきキリスト者たちとローマの、カトリックのそして使徒的教会の敵どもの憎しみを刺激してすべての司祭たちを攻撃するようそそのかすでしょう。サタンのこの見せかけの勝利は教会の良き牧者たちの上に非常に大きな苦しみをもたらすでしょう。」

 キリストとその教会との一致を象徴する婚姻の秘蹟について、聖母はこう言われました:「そのとき勢力を得ているであろうフリーメーソンは、すべての人にとって罪のうちに生活することを容易にしながら、この秘蹟を廃止する目的をもって邪悪な法律を制定するでしょう。....キリスト教的精神は、ほとんど全体的、一般的な慣習の堕落が存在する点に達するまで信仰の貴重な光を消しながら、急速に崩壊するでしょう。」

 「この不幸な時代には、失われてしまうであろう無数の軽薄な魂たちを支配する拘束のないおごりが存在するでしょう。子どもたちのうちにはもはや無邪気はほとんど見出されず、女性のうちにもはや慎み深さはほとんど見出されないでしょう。教会の危急のこの至高の瞬間に、話すべき人々が沈黙に陥るでしょう。

 この前もっての警告はファティマの御出現に従ってきた人々の耳に声高く響きます:「教会の危急のこの至高の瞬間に、話すべき人々が沈黙に陥るでしょう。」次のように尋ねないことは不可能です:なぜ、天の御母の命令に従って、1960年にファティマの第三の秘密は明らかにされなかったのですか?なぜ、天の御母の命令を前にして、公会議中の、そして公会議後の教皇たちは沈黙したままだったのですか?さらに、このように多くの冒涜とあくどい乱用を前にして、なぜ権威ある地位にいる多くの人々は沈黙したままなのですか?伝統、教導権、そして基本的共通善感覚に対するそのように多くの違反に対する健康な反応はどこにあるのですか?

教会における危機:聖櫃のランプが消される

 マザー・マリアナへの好結果の聖母の最も重要な御出現の一つは、彼女の死の前年、1634年に起こりました。マザー・マリアナは、2月2日(われらの主の清めと神殿への奉献の祝日)に御聖体の前で祈っていたとき、至聖所の光が、祭壇の場所を完全に暗くしながら、消えたのを見ました。

 聖母はそのとき、マザー・マリアナの目の前で消えた聖櫃の灯りの五つの意味を説明なさいました。

 

第1の意味:

「19世紀の終わりそして20世紀へ入ると、さまざまな異端がこの地に広められるでしょう。....これらの異端が広まり、支配するにつれて、信仰の貴重な光が慣習のほとんど全体的な堕落によって霊魂たちのうちで消されるでしょう。この時期の間、公的にも私的にも、大きな自然的および道徳的な惨禍があるでしょう。」

しかしながら、忠実なままであり、信仰の宝と諸徳を保つ霊魂たちがいるでしょう、と聖母は約束なさいました。しかし、これらの人々は残酷な、筆舌に尽くし難い、長引く殉教を経験するでしょう。

 「人々をこれらの異端への奴隷状態から解放するために、回復を成就するよういとも聖なる御子によって選ばれた人々は意志の大きな力、志操堅固さ、勇気、神への信頼を必要とするでしょう。正しい人のこの信仰と信頼を試すために、すべてのものが失われ、麻痺させられると思われる機会があるでしょう。これは、そのとき、完全な回復の幸せな始まりでしょう。」

 教会の健康を回復させるであろうこれらの選ばれた霊魂たちは、聖ルイ・マリー・グリニョン・ド・モンフォールによって予言された終わりの時代の使徒たちに非常に似ていると思われます。

 

第2の意味:

それは在俗および修道会の両方の、聖職者階級における危機を象徴しています。多くの召命が失われ、不正と悪が、霊魂たちを荒廃させながら、「誤った寛容」を装って、男女の修道会に入ってくるでしょう。聖母はこう言われました。「在俗の聖職者は多く望まれたあり方から離れるでしょう。なぜなら、司祭たちは彼らの聖なる諸義務において不注意となるでしょうから。神的な羅針盤を欠き、彼らは司祭の職務のために神によって見取り図を描かれた道から迷い出るでしょう。そして彼らは富や豊かさに愛着するようになるでしょう。彼らはそれらを得ようと不当に努力するでしょう。」

 「この暗い夜の間教会はどのように苦しむことでしょう!....父のような愛、優しさ、強さ、智慧そして思慮をもって彼らを導く高位聖職者や師父を欠いて、多くの司祭はその霊魂を大きな危険の中に置きながら、その精神を失うでしょう。」

 

第3の意味:

不潔が環境に浸透し、世界にはほとんど処女の霊魂が存在しないようになるでしょう。それはファティマの聖母がヤチンタになされたのと同じで警告です。

 

第4の意味:

「すべての社会階級に侵入したフリーメーソンの諸々のセクトは、子どもたちを堕落させるために、家庭環境の中にその教えを巧妙に導き入れるでしょう」と聖母は警告なさいました。それはフリーメーソンの世俗的ヒューマニズムと共産主義の誤謬の侵入です。しかし、聖母は、「勇気と霊魂たちの救いに対する私心のない熱意をもって働こうとする宗教共同体や個人がいるでしょう」と約束なさいました。「彼らに反対して不敬虔な者が残酷な戦いを挑むでしょう。」

 

第5の意味:

聖母はこう言われました。「ランプが消される第5の理由は、大きな富を所有している人々の弛みと無視によるものです。彼らは、その富をこの悪の破壊と信仰の回復のために敬虔に用いることなく、抑圧される教会、迫害される徳、悪魔の勝利を冷淡に傍観し、目撃するでしょう。」天の元后はまた、聖櫃の灯りが消えることはまた、神の御名が徐々に消されることに同意することにおける人々の無関心、そして悪徳や情欲に自由に身を委ねながら、悪の精神に執着することにおける人々の無関心による、と言われました。

聖母がその敵に打ち勝たれるという確実性

 好結果の聖母とマザー・マリアナ・デ・ヘスス・トッレスのこの物語にとって英語圏の人々にもっとよく知られるようになることは都合のよい機会であると思われます。なぜなら、そこでは、ファティマでなさったのと同じように、祝せられたおとめはこの不幸な世紀の多くの侮辱と乱用に対する償いをするために祈りと犠牲をお求めになったからです。しかしまた、キトにおいては、ファティマでそうなさったのと同じように、天の元后はその幸いな介入と勝利について私たちに確証なさっています。

 なぜなら、好結果の聖母のメッセージは、ファティマの聖母のメッセージと同じように、大いなる希望のメッセージだからです。聖母は幸いな回復を成就するよう援助する、信頼に満ちた勇敢な霊魂たちの群れに約束なさいました。聖母は、悪が勝利者であると思われるまさにその瞬間に、そして権威がその権力を乱用するまさにその瞬間に、その介入を約束なさいました。これは、「驚くべき仕方で、私が高慢で呪われたサタンを、私の足の下に抑えつけ、彼を地獄の深淵に繋ぎ止めながら、王座から引き下ろす、私の時の到来」を特徴づけるでしょう、と聖母は言われました。これらの言葉は1917年にファティマで聖母が3人の子どもたちにお告げになった希望のメッセージと完全に一致します。すなわち、「最後に私の汚れなき御心は勝利するでしょう。」

成功の秘密

 これは忠実なカトリック者の成功の秘密です。すなわち、聖母が約束なさった勝利について確信すること。単に苦しむ堅い決心を維持することは十分ではありません。より口あたりがよい一方でより厄介な何かあるものを持つことが必要です。それは、最後に事柄が成功のうちに終わるという確信を持つことです。

 聖母が予言なさった成功、勝利に値する者となるために、私たちはひとつの超自然的な信頼を必要とします。私たちはあの勝利--「最後に私の汚れなき御心は勝利するでしょう」と、1917年のファティマでの御約束--を完全に確信する必要があります。私たちは幸いな回復:すなわち、1634年のキトでの聖母の言葉「正しい人のこの信仰と信頼を試すために、すべてのものが失われ、麻痺させられると思われる機会があるでしょう。これは、そのとき、完全な回復の幸せな始まりでしょう」を完全に確信する必要があります。

 最後の考察があります。ファティマの聖母のお顔を眺めながら、私たちは懲罰の聖母を見ています。聖母の母としての眼差しは苦しんでいる人類、苦悩する人類を、大いなる憐れみをもって、しかしまた、深い悲しみをもって見下ろしておられます。ルチアは第3回目の御出現のことを述べていますが、聖母はその御霊魂における悲しみを明らかにされ始めました。ルチアは、最後の御出現において、祝せられた御母の表情は、次のように言われたとき、より悲しくさえなった、と述べています。「彼らにわれらの主にこれ以上背かせてはなりません。なぜなら、すでに彼らはあまりにも主に背いているからです。」この顔の中に私たちは懲罰の預言者を見ます。

聖母の勝利

好結果の聖母は母として御出現になりますが、しかし、勝利者として御出現になります。母--そして女王です。聖母の眼差しはイエズスとマリアの汚れなき御心の勝利、お二人が霊的および現世的領域における王および女王として再び支配なさる「幸せな回復」について私たちに確証します。聖母は明らかにマリアの治世の女王です。聖母は大いなる試練、懲罰、聖母の勝利の瞬間に私たちに確証なさいます。聖母は、私たちの道が、困難ではあるけれども、正しい道であるということを私たちに確証なさいます。聖母は私たちの時代になお来るべきあの信頼、あの平和、あの勝利のために祈り、そして戦うよう私たちを元気づけられます。聖母は、それがどれだけ小さなものであろうとも、この勝利の達成において私たちのために与えてくださった預言的な役割を果たすように招いておられます。

 聖母御自身がこれら数世紀の古い預言とマザー・マリアナ・デ・ヘスス・トッレスの生涯は20世紀の終わりになってはじめて知られるようになるだろうということを預言なさいました。読者はまた好結果の聖母が、20世紀の間に聖母のこの信心を促進する「忠実な霊魂たちの慰めと保護」を約束なさったということを知ることに関心があるでしょう。なぜなら、それは聖母のお望みだからです。そして聖母が、そのように約束に満ちたこの呼び名:すなわち、好結果の聖母という呼び名の下に知られることが御子のお望みだからです。この称号の下に聖母に寄り頼むすべての人が聖母の母としての慈愛を感じ、彼らのすべてのよき努力と必要において「好結果」を受け取りますように。この信心の知識が、聖母が、キトとファティマで預言なさったように、いたるところで天と地の女王として知られる日が早まりますように。

Our Lady of Good Success and Our Lady of Fatima by Marian Therese Horvat, Ph.D. へ

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作成日:2002/01/07

最終更新日:2005/03/30

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