ファチマの聖母マリア

世界の奴隷化か、それとも平和か...
それは教皇にかかっている

第 IX 部

ニコラス・グルーナー神父と他のファチマ専門家たち

教皇はバチカン・モスクワ協定から離れることを望んでおられる - しかしそれをなお放棄しないように強制されておられる

親愛なるイエズスとマリアの友人よ、

教会は戦闘状態にある。それは教会によって選ばれた戦争ではない。それはむしろ悪しき人々が教会を挑発するために選んだ戦争である。それは何よりもまずファチマの聖母と聖母に従う人々に対する悪魔とその追随者たちの戦いである。祝せられたおとめマリアは悪魔に勝利されることが定まっており、聖母は蛇の頭を砕かれるであろう。聖母の最終的な勝利は確保されている。「最後には、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。ロシアは回心するでしょう。そして平和の一時期が世界に与えられるでしょう。」

共産主義の諸勢力との教会の戦いは教会 -- 新しいエルサレム -- が罪を避けるよう人々を促進し、育て、教えるという事実に基づいている。すなわち、罪、悪魔、悪魔の高慢な振る舞いと仕事、肉の欲望、そして罪の追求に身を捧げた人々との戦いである。教皇ヨハネ・パウロ二世はわれわれがマルキシズム、そして共産主義に対する戦闘状態にいることを知っておられる。彼は1986年に公表された彼の回勅の中ではっきりとそう言われた(適切な節のテキストのためにこの書物の p.350 以下を見よ)。

今日あるいは昨日に出発したのではなく、何年も前に出発した組織化された戦闘的無神論に対するこの戦闘に直面して、教会、すなわち、教皇、司教たち、司祭たちそして平信徒は、異なった選択肢 -- それは本質的に二つの選択肢に分けられる -- すなわち、戦うか、それとも戦うことを放棄するかのいずれか -- に直面する。他の選択肢があるように見えるが、しかしこれはただ見かけ上のことにすぎない。

まず何よりも、教会が一つの強力な敵に直面しているということを思い起こそう。悪魔のすべての諸勢力そして悪魔の追随者たちのすべての勢力が結局は様々の仕方でこの敵に彼らの支援を送っているのである。敵は国内的にもまた国際的にも力、影響力、金銭、政治的力を持っている。それは社会のあらゆる段階に強力な共鳴者たちを持っている。それは軍事力を持っている。それはそれをバックアップするための拷問と秘密警察を持っている。

物理的な力に対して -- 教会は何も持っていない。教会の財政力は共産主義体制が世界中に持っている数千万ドルに比較すれば無である。教会は今なお高く評価されている道徳的な声をもっている。しかし、これに対して、北アメリカにおける、また世界中の戦闘的無神論者たちはメディアの大部分の支配権を持っている。その結果、教会および教皇のメッセージは非常に明瞭には伝わらない。さらに、教会がその地盤を失い続けるようにその道徳的権威に対して隠微な攻撃が為されている。

世俗の権威の役割は神の律法を擁護すること、そして教会の、神から与えられた諸権利を守ることである。無神論者たちがロシアにおいて権力を握って以来、教会は、それをロシアの軍事力から護るために「自由な」西側に依存している。しかし1917年以来、そして特に1945年以後、-- 教会はロシアの鉄のカーテンの背後の羊の群を護るために西側に依存することができなかった。

実際、ソビエト支配の前進はますます続いている。今や、ニカラグア、アフガニスタン等々がある。15億人の人々が捕らわれた民族を解放する準備のある自由国家を持つことなく奴隷化されている。世界のおよそ三分の一がすでにソビエトの支配下にあり、そして世界の残りの部分も安全ではない。実際、われわれは非常に大きな危機に直面しているのである。ソビエトの人間たちがもっと多くの場所を間もなく支配下に置く準備ができているという証拠がある。

例えば、ニカラグアの共産党大臣トマス・ボルヘは、彼らがすべての中央アメリカ諸国を侵略する意図があるということを公的に述べた。そして、メキシコを含むそれらの諸国すべてを奴隷化した後に、彼らは数百万のアメリカ市民を殺すという公言された意図をもってアメリカ合衆国を侵略しようと意図している。そのような見通しに対して、共産主義ロシアは変化しているがゆえに、われわれは心配する必要はないのだという考えをもって自らを、そして彼らの追随者たちを欺いてきた人々がいた。ロシアは回心しつつある。そのようなナンセンスは新しいものではない。1950年代のおそらく敬虔なファチマ・サークルにおいてさえ、ロシアは残りのわれわれの世界的な奴隷化というその目的を放棄したのだと言う少数の無分別な楽観論者がいた。しかし、1960年以来、非常に多くの人々がソビエト・ロシアとその手先どもによって奴隷化され、拷問を受け、殺されてきた。多くの国々が全部奴隷化されてきた。

共産主義ベトナムに留まるよりは、生命を危険にさらして海へ逃げた(数千人もの多くの人々は海で死んだ)1970年代のベトナムのボート・ピープルの例を思い起こしなさい。その国の全人口の半分を殺した共産主義者の主人公たちによって1975年から1978年の3年間に殺された300万人のカンボジア人を思い起こしなさい。明らかにロシアと共産主義者たちは変わらなかった。しかしカトリック教徒やファチマを促進している振りをしている人々さえからのそのような宣伝はソビエトのプロパガンダ機構が当時いかに効果的であったかを示している。

ソビエト・ロシアが今日変化しなかったし、またその宣伝も変化しなかったということは今日もなお真である。この古い嘘を広めることに最近の号の多くのページを捧げているある「カトリック」雑誌が存在するという事実を1987年に観察しよう。にもかかわらず、戦争がアフガニスタンで荒れ狂っている。貧しいアフガニスタンの人々に対する拷問、残酷、殺人が衰えることなく続いている。共産主義ロシアによる主権国家アフガニスタンの軍事侵略は止まなかった。むしろそれは続いている。いかなる弁解も存在しない、ソビエト軍隊のいかなる撤退もない。犠牲者たちや難民のいかなる停止も存在しない。そして "Soul" magazine はロシアが回心しつつある、とわれわれに告げている!注1)ニカラグアにおいては、モスクワはそのサンディニスタの傀儡政権を通じて今なお教会と戦っている。軍事力、財政援助、国営テレビおよび新聞によって、サンディニスタ傀儡政権は新しい大衆教会を「創設する」ことによって教会を攻撃している。この戦略によって、共産主義者たちはカトリック教会を共産主義者たちの道具である傀儡教会と置き換えることによってカトリック教会を滅ぼそうと努力している。そこではサンディニスタは司教たちを怯えさせるために彼らを攻撃している。

サンディニスタは、ニカラグア・カトリック司教会議議長であるニカラグア人ヴェガ司教が1986年7月に強制国外退去させられた後、ニカラグアに戻ることを、1987年3月現在、許さなかった。もし主張されているロシアの回心が本当のものであったならば、そのときヴェガ司教は帰国することを許され、そして「大衆的」サンディニスタ教会は解散させられていたであろう。そのとき、現在ソビエトの刑務所にいるリトゥアニアや他の諸々の場所のカトリック司祭たちは釈放されたであろう。彼らは釈放されなかった。彼らは今も尚不当に刑を宣告され、そして苛酷に取り扱われている。

ウクライナにおいて、そこの東方典礼カトリック教徒はすべてソビエト人たちによる公共政策の問題としてひどい扱いを受けている。1946年リュヴィヴの偽の司教会議(ファチマ・クルーセイダー、第22号、p. 30*を見よ)とK.G.B.によって公式に認められたスパイロシア正教会を押しつけることによって、ロシア共産主義者たちは東方典礼カトリック教徒が彼らの信仰を実践しローマに忠誠であり続けることを非合法化した。

* この書物の p.347 を見よ。

彼らはこの偽の司教会議によって、もしあなたがウクライナにおいて東方典礼ならば、そのときあなたは分派的なロシア正教会へ行かなければならないと決定した。にもかかわらず、ロシア人たちは、ウクライナ人たちは彼らの宗教を実践する自由があると主張している。このことは今日までなお続いている。教皇はこのことを知っておられる。そしてロシア共産主義者たちによって押しつけられたこの偽の司教会議を公然と非難された。

教皇はこのすべての迫害を止めるために彼がファチマの聖母に従うべきであるということを知っておられる。しかし、彼はもっと多くの助けを必要としていることを感じておられる。彼はあなたたちの祈りとあなたたちの道徳的支持を必要としておられる。しかし教会が存在している大きな諸領土に対する共産主義者たちの力のゆえに、教皇はいかにひどく彼があなたの助けを必要としているかをあなたに知らせるために非常に声高に、明白にそして繰り返し声をあげることがおできにならないのである。

彼は今なお(全教会からの -- 特に「自由世界」と呼ばれているところに住んでいる地域における -- 十分な支持を彼が感じるまで)共産主義者たちと交渉することを強いられておられる。なぜなら、彼は鉄のカーテンの背後の人々を助けようとしておられるからである。モスクワとの交渉の諸項目の一つは、教皇と司教たちが共産主義の諸々の誤謬を公然と非難しないということである。

この沈黙は残りの人々を偽の安全において生活させている。なぜなら、見張り番(教皇と司教たち)は沈黙を守ることを強いられてきたからである。このようにして、共産主義者たちはずっとわれわれすべてを奴隷化しようと望んでいる。なぜなら、われわれの指導者たちの大部分は沈黙させられてきたからであり、羊の群はずっと、その沈黙がすべてがうまく行っている指標であると理解しながら、遅すぎるようになるまで彼らが陥っている危険を理解することなしに進んで行くだろうからである。

一方において、ソビエトのプロパガンダは沈黙していない。いわゆる「カトリック」諸新聞と諸雑誌は疑うことを知らない信徒の精神の中へそっと共産主義的諸観念を導入している。ソビエト人たちはプロパガンダ戦争に勝利することを望んでいる。 -- それによって、信徒はいつか目覚め、そして共産主義を歓迎するであろう。なぜなら、彼らは共産主義がキリスト教と両立可能であると信じるように導かれてきたからである、と。司教たちによって反対されない一方で、十分にしばしば繰り返されてきたそのような嘘は、すでに数百万の人々を誤り導いてきたし、またもしそれが続くならば、さらに数百万の人々を誤り導くであろう。

そのことは、アメリカ合衆国やカナダにおいてさえ起こっていることである。司教たちでさえがマルキシズムをあたかもそれが良いものであるかのように、促進しているのが見られる。他の人々はこのことを言わずに、教会の名声と金を共産主義運動に与えることによって共産主義を促進している。このことは教会の中に存在するようになったさまざまのグループを通じて為されている。(ファチマ・クルーセイダー、第19号、p. 7 におけるこのことに関するハーミッシュ・フレイザーの論考を見よ。)*

* この書物の p. 336 を見よ。

教皇と司教たちがロシアを奉献せよというイエズスの命令に従わないならば、もう間もなくわれわれは皆奴隷化されるであろう。そのとき、カトリック司教たちは、1931年にスペイン、リアンジョにおいてシスター・ルチアに与えられた恐るべき預言においてイエズスが指摘なさったように、投獄され、処刑されるであろう。

簡潔に言えば、そのとき、教会は戦うか、共産主義について沈黙を守るか、それとも戦いを放棄し、共産主義を受け容れるかのいずれかが可能である。もし教会が諦めるならば、われわれは皆共産主義者となり、カトリックであることを止めるであろう。

このことは共産主義を受け容れる教会の明白な結果であろう。この明白な結論に対して、教会は時の終わりまでとどまるであろうとイエズスが語られたがゆえに、共産主義ロシアの支配下に落ちる教会について心配する必要はないと暗示する人々がいる。これに対しては、われわれは、イエズスがまた、自分が戻って来る前に信仰からの大きな離脱があるであろうとも告げげられたということを指摘 しなければならない。

聖書は大棄教があるであろうとわれわれに告げている(1テサ2:11)。それゆえ、少数の人々が忠実なまま残り、そしてそれゆえに、最後の審判の日に、教会は実際時の終わりまで残るであろうという真理を証明する一方で、世界的なソビエトの抑圧下での大多数の人々にとっては、彼らは棄教し、そしてそれによって彼らの霊魂を失うであろう。

もし教会が沈黙することを選ぶならば、われわれはそのうちに皆、上に説明したように、共産主義者になるであろう。もし教会が共産主義と戦うならば、単に教会の貧弱な自然的手段でもって共産主義に反対することは十分ではない。教会は神の武具を用いなければならない。教会は神のこの計画に従わなければならない。

モーゼにとって旧約聖書における神の民の選ばれた指導者であることは十分ではなかった。彼と民とがエジプト軍の軍事力を逃れる前にモーゼは神を信じ、神に従わなければならなかった。彼は彼に要求された信仰と従順の単純な行為をしなければならなかった。彼は紅海の上に彼の手を伸べなければならなかった。教皇と司教たちはファチマのメッセージを通じて与えられ、聖母によって表明されたものとしてのイエズスの命令に従わなければならない。注2)

しかし、われわれはわれわれの役目を果たさなければならない。教皇は現在のところ、聖母が求めておられることをしようと望んでおられる。同時に彼はそれをまだできないと感じておられる。そうしているうちに、彼は共産主義と交渉しなければならないと感じ、そしてこのようにして必要なだけ繰り返し声をあげることができないのである。

このようにして、われわれは結局のところ彼の政策が最後には屈服へと導くということを見る。しかし彼は逃れるためのはかない望みを抱く。逃れるための神の摂理における一つの計画があると思われるであろう。

世界を救うその計画は天の平和計画:すなわち、ファチマの聖母のメッセージである。他のいかなる計画も働かないであろう。教皇が、すべての司教たちと一緒に、マリアの汚れなき御心にロシアを奉献されるとき、そのとき(そしてただそのときのみ)神は全世界に平和の一時期を与えられるであろう。絶え間なく祈ろう。そしてバチカン・モスクワ協定の拘束から教会を自由にするために教皇を援助し、ファチマの聖母の要求を満たすための努力を惜しまないようにしよう。

  1. "Soul Magazine" はこのことをさまざまの号において示唆した。例えば、1987年3月・4月号を見よ。
  2. この書物の p. 90 以下を見よ。また第 V 部全体もまたこの点をさらに説明している。

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2005/01/27 三上 茂 試訳

作成日:2005/01/27

最終更新日:2005/01/27

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