「真咲君っ!!」
背後からする声にはっとした時は時既に遅く
目の前にチカチカと火花が散っていた。



++Angraecum(アングレカム)++



ててて・・・。
おでこを押さえて顔を上げると、くらりとした。ぶつけた所がズキンズキンと脈打つ。
考え事をしていた。胸に植木を抱えたまま。
そのおかげで半開きになっていた入り口のドアに思いっきりぶつかってしまったのだ。
一つの事に夢中になると周りが見えなくなるのは昔からの悪い癖・・・。

ドアは・・・大丈夫、壊れてない。
植木も・・・大丈夫みたいだ。
弁償なんて事になったら、バイト代が全てパーだ。これは一大事。
車があるから余裕のある生活をしていると思われがちだが
一人暮らしの俺はれっきとした貧乏苦学生なのだ。
「大丈夫なの!?」
心配そうに駆け寄る有沢に苦笑いしながら無事である事を告げた。


今日もさんはアンネリーに顔を出さなかった。
今日も、だ。
時計は既にバイト終了の8時を回っている。
2週間程前にさりげなく誕生日の事をアピールしてみたんだけどな。
日にちが開き過ぎてるよな。
2週間前の事なんて覚えていないだろう。

俺の事なんか、やっぱ眼中にないのかな・・・。








さんは俺よりも少し年上の人。
店長の昔ながらの友人らしくたまにアンネリーに花を買いに来る。
独身で若王子の住んでるボロアパートの近くに一人で住んでいるらしい。
(この事を聞き出すのに3ヵ月かかった)
これだけしか・・・これだけしか彼女の事を知らないけど
俺はさんに恋をしていた。
やはり年下には興味がないのだろうか、とか
既に彼氏がいるのかもしれない、とか
悪い方へ悪い方へと考えが行ってしまう。
今日一日、そんな事ばかりを考えていた。

あぁっ、ダメだ、ダメだ!!!

誕生日に何凹みモードになってんだ、俺!
さんとはまだ店員と客でしかないのだから仕方の無い事。
今度会ったら
俺、この前誕生日だったんですよ〜なんてアピールして
強引に食事にでも誘ってみよう。
レッツポジティブだ。
輝かしい未来の為にパンパンと頬を叩き気合いを入れた。

明日朝一でお客さんに渡す植木を店先に運び終え
今日の仕事はこれで完了となる。
「有沢、先にあがるぞ。お疲れ〜。」
「お疲れ様。おでこ、すぐ冷やした方が良いわよ。」
「おう、そうする。」
ジンジンと熱を持つおでこをさすりながら俺はスタッフルームへと向かった。








裏口のドアを開けると冷たい風が頬を刺した。
あまりの冷たさにダウンジャケットに首を沈め、一歩踏み出した。
社員用の駐車場、一番奥に停まる愛車の後ろに見えた人影。
まさか車上荒らし・・・!?
急いで走った。
鼻から入るピリリとした空気に鼻の奥がしびれる。
距離を取り、ゆっくりと近付くとその人影もゆっくりとこちらへ向かって来る。
緊張が走った・・・。
そんな中、隣にあるマンションの明かりに照らされたその人物に
俺は目を見張った。


さんっ・・・!?」
「お疲れ様、真咲君。」
「いや、お疲れ様って・・・何でここに!?」
頭の中はすっかりパニックだ。
「お茶のお稽古の帰りなの。」
「・・・。」
「ほら、今日誕生日って言ってたからご飯でもご馳走しようかなって思って。
こんな時間だし、お店に行くよりはここに居た方が早いかなって。」
と照れくさそうにほほえむ。
赤い唇から言葉と一緒に流れる白い息。
どれだけの時間、この人はここで俺を待っていたのだろうか?
思いっきり抱きしめたい衝動にかられたが
それをぐっと理性で押さえ込んだ。
「ここじゃ風邪ひいちまう。早く車に乗って!」
とにかくこの寒さからさんを守る事が何よりも先だ。


2人乗り込んだ小さな車は思いの外寒くて、まだ外に居るのと同じ感覚がする。
急かしたせいか、助手席でふぅとため息をついたさん。
「すみません、バタバタさせちゃって!」
「違うの、帯がね。ちょっと苦しくて。」
帯・・・?
足下まである長いコートを着て
ピンクのマフラーを巻いていたから良く分からなかったが
間近で見るとさんは確かに着物姿だった。
マフラーを取り
V字になったコートの襟から見えるえんじ色の着物地。
思わず見とれた。
「最近お茶を習い始めて・・・ね、真咲君、何かおでこ腫れてない!?」
「ははは・・・やっぱ腫れてます?ちょっとぼーっとしててぶつけたんですよ。」
あなたの事を考えてドアにぶつかった、なんて理由を話せる訳がなく。
これ以上腫れる事が無い様祈りながら駐車場を後にした。


「何が食いたいですか?」
「何でもいい!じゃ、真咲君のお薦めの店に連れて行って。」
そんな会話から
行き先は車で20分程走った所にあるパスタの美味い店に決定した。
一昨年タウン情報誌で見つけた店で
初めて行ったその日に店長とどんぶり料理の話で盛り上がった。
歳は一回り以上離れていたが全くその差を感じなかった。
料理の腕前もさることながら、見習いたい程のポジティブさにも惚れ込み
その後も足繁く通う事になる。
今では急なバイトを頼まれたり、秘蔵レシピを教えて貰ったりと
とても親しくさせて貰っている。

さんは俺お勧めのカルボナーラを頼み
俺は店長お勧めの和風パスタを頼んだ。
ニヤニヤする店長からパフェのサービスがあったりと
ちょっとしたサプライズもあり、楽しい時間を過ごした。

そして車は今、さんの家へと向かって走っている。
(とても名残惜しいが・・・)
「ごめんね、誕生日なのにプレゼント無くて。
何か欲しい物があったらプレゼントするよ?」
「全然!!ご馳走して貰っただけで十分ですよ!」
俺にとっては食事以上に
2人きりでドライブ出来た事が一番のプレゼントなんだけど!!
このまま時間が止まってしまえばいいのに・・・。


外はいつのまにか降り出した雨。
「この寒さだと山は雪かもしれねぇな。」
赤信号の下、フロントガラスをのぞき込みながらつぶやいた。
「ね、今から行かない?山に!!」
「え・・・えぇっ!?」





正直驚いた。
外見はとても大人しそうな人に見えるのだ。
喋りだっておっとりしていて決して行動派には見えない。
お茶を習っている事を知り、お淑やかな人だと思った。
それが、こんな破天荒な人だとは・・・。
もう10時を過ぎている。
明日の仕事に差し支えがあるんじゃないのか?
俺は学生だから何とでもなるけれど。

「大丈夫なんですか?仕事。明日まだ金曜日ですよ?」
「大丈夫。明日有給取ってるから。」
ドクンと心臓がはねた。
さんは今夜、誕生日の俺を誘い食事をご馳走してくれた。
10時過ぎた今から男と2人雪を見に行こうと言う。
そして、明日は有給を取っての休みだと言う。

男として期待してしまう俺は浅はかだろうか・・・?

握るハンドルに自然と力が入った。




窓の外に人工の光は無くなり
ヘッドライトに照らされるのは白い粉雪と木々ばかりの山道。
「これ積もるかな?」
「このまま朝まで降り続けば可能性はあるかな。」
さっきから緊張しっぱなしの俺をよそに
子供の様に窓に両手を付けて外を見ているさん。

「車停めて!!!!」
急にした大声に急ブレーキをかける。
ガクンと激しい衝撃と共に、シートベルトがロックされた。
「どうしたんですかっ!?」
「ゴメンっ、今光る目が見えたから!!」
興奮した様子で俺の顔を見る。
「イタチかウサギかもしれないな。出てみます?」
「出る出る!!」
全くこの人は・・・その無邪気さに怒る気すら失せて
笑いがこみ上げてきた。


さっきまで吹いていた風は止み
小さな雪がふわふわと落ちてくる。
パキパキと踏み折れる小枝の音がエコーをかけたようにこだまし
さんと2人、不思議な空間に居る様な気になる。
「光る目、見えない・・・。」
「車に気付いてもう逃げちまったんだろうな。」
「そっか、残念。」
「また来ればいいじゃないですか。俺、付き合いますよ。」
「ホント!?じゃ、また一緒に・・・くしゅん!」
俺とした事が何という事だ。
さんは今、着物姿なのだ。
「早く戻りましょう。着物じゃ寒いでしょう!?」
「あら、着物って案外洋服よりも暖かいのよ?」
「へぇ・・・知らなかった!
そうだ、着物の下ってどうなってるんですか?
どうなってるのか一度見てみたいなぁって思ってたんですよ!」
俺の質問に驚いた顔のさん。
何か変な事言ったか・・・・・・・はっ!!!!
調子に乗って今凄い事口走った、俺。
まずい。この空気、どうすればいい!?





「真咲君になら・・・。」
かすかに聞こえた声。
だけど、確かに聞こえた声。
対向車線の車のライトが
黙ったままの俺達をすべる様に照らし走り去った。
雪の降る音さえ聞こえそうな静寂の中
ドクドクと早鳴る鼓動が聞こえてしまうんじゃないかと思った。
この思いはもう自分の中に留めておく事なんて出来そうにない。



「それ、冗談なんて言わせませんよ?」
目の前に居る愛おしい女性(ひと)を引き寄せ
力一杯抱きしめた。

「誕生日のプレゼント、あなたを下さい。」

口に触る髪の毛がさらさらと揺れた。
「でもあたし、真咲君より年上よ?1つや2つじゃないのよ?」
「そんなの関係ない。俺は・・・さんが欲しい。」
「・・・。」
さんの手がゆっくり背中に回るのが分かった。

「・・・真咲君より先におばあちゃんになるんだから。
あたしワガママだし、すぐ怒るしすぐ泣くし、きっとすぐに嫌われちゃう。
それが嫌だったから・・・だから最近はアンネリーに行かない様にしてたのに。
残業も進んでやって、お茶も習い始めて
好きにならない様に一生懸命我慢してたのに
お誕生日だったって思い出したら顔見たくなっちゃって・・・。
どうしても・・・会いたくなっちゃって・・・。
・・・何であたしなんか好きになっ・・・」
「もういいから。」

さんの唇はとても冷たくて、そしてとても柔らかかった。















「元春君!」
「いらっしゃい、さん。」
あの日から俺達は彼氏彼女と言う仲になった。
まだ少し自分が年上だと言う事を気にしているみたいだけど
そんな事はすぐに俺が忘れさせる。
「ほい、これがお茶の先生に頼まれていた花束。」
「ありがとう。相変わらず綺麗に作ってるね!」
今からお茶会に行くと言うさんは着物姿。
淡いオレンジの着物地に梅の花が描かれていた。

「すごく綺麗だ。」
耳元でささやくと「もう!」と恥ずかしそうに笑った。
そんな笑顔を見ながら、俺はある事を思い付く。
「店長、アナスタシアと珊瑚礁に集金に行って来ます!」
(すんません、ちょっとだけ時間貰います・・・)
店の奥で作業をしている店長に了解を貰い
「悪ィ、集金のついでにさんを送って来るわ。」
と有沢にも断りを入れる。
「まったくどっちがついでだか・・・。」
ため息をつかれたがここは聞こえないふり。

「ゴメンね、志穂ちゃん!」
両手を合わせるさんに
「集金が終わったら真っ直ぐ帰る様に釘を刺しておいて下さい。」
と有沢は笑った。


大きな花束を抱え
陽の落ちた紺色の世界の中、社用車のある駐車場へと向かう。
雪こそ舞っていないが
あの日と同じ様に今日も冷たい風が吹いている。
愛おしい人の熱を感じたくなった俺は空いている左手を伸ばし
さんの右手をダウンジャケットのポケットへ突っ込んだ。
俺の行動に少し驚いて立ち止まってしまったが
すぐにぴったりと寄り添い歩き出す。

今年の誕生日プレゼントは一生の宝物になりそうだ。
いや、そうするから。
これから先、絶対にあなたを離さないから。

ずっとずっと一緒にいような、さん。
心から愛してる・・・。



エンジンをかけ、ちょっとだけのプチデートがスタートした。
それは2人だけの甘い甘い時間。



















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