SVAカンボジアNOW

アジアの子どもたちに教育を

〜共に学び、共に生きる〜  

 〜今月の目次〜

第2号 2006年7月25日

 

▼ 所長のミバド
 ▼ 図書館ニュース
 ▼ カンボジアスラム
 ▼ SVAカンボジア年次セミナー
 ▼ スタッフインタビュー第一回
 ▼ クメール・ルージュ裁判
 ▼ SVAインターン
 ▼ 事務所の動き

日本では暑い日が続いていることと存じますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。カンボジアでは雨季の最中です。田舎では田植えが行われ、プノンペンでは道路が冠水することもあります。お伝えしたいことがたくさんあり、今号は大変長くなってしまいましたが、すべてに目を通して頂けたら幸いです。カンボジアNOW第2号をお届けいたします。

所長のミバド(ミッション、パッション、ドリーム)

外務大臣表彰の決定の報告

今年度の国際協力の分野に貢献した団体及び個人に贈られる外務大臣表彰の決定の報告を6月28日に、カンボジアと共に兼任するタイの在タイ日本大使館よりカンボジアにて受けました。今回の同表彰は、八木沢の個人名でした。SVAが団体として、既に表彰されています。個人名でも秦専務理事が表彰されています。

改めて今回の表彰決定をSVAの関係者に報告させて頂くともに、個人名で表彰を受けることに恐縮しています。今から26年前の1980年、7月9日に、カンボジア難民キャンプのボランティアとして、SVA(当時は、JSRC・曹洞宗東南アジア難民救済会議)のタイ事務所に赴任したのがきっかけとなりました。

その後、タイ・カンボジア国境のカンボジア難民キャンプ、ラオス国境の難民キャンプ、タイの農村、バンコクのスラムの活動等に関らさせて頂きました。そして、米国への留学研修、二度の東京事務所勤務。さらに、タイ、ラオス事務所勤務、そして、現在のカンボジア事務所の勤務をさせて頂いています。

今回の外務大臣表彰の決定は、SVAの各国のスタッフ、東京事務所のスタッフ、関係者、協力者、会員の皆様のご支援とご協力無しには、ありえませんでした。海外の各国の現場と東京事務所と会員及び関係者の三位一体の26年間の支援のお蔭の賜物だと感謝しています。

これからも(みばど)を、常に心に刻みながら、SVAの活動の原点を忘れず謙虚且つ地道にSVAの活動の現場の最前線で関られて頂く心算です。この度の同表彰の決定に対して、皆様に対する御報告と御礼を心より申し上げます。

八木沢克昌

図書館ニュース

国境での活動

2004年からプノンペンから北へ360キロ、タイに国境を面したバンテイミンチェイ州で図書館活動を行っています。バンテイミンチェイ州にある85の小学校を対象に、図書館員育成研修会の開催、移動図書館、絵本及び紙芝居の出版と配布、謄写版・紙芝居の三脚舞台・移動図書箱の製作と配布、州教育局職員の育成を行っています。

バンテイミンチェイ州は「最後の戦闘地」と呼ばれ、1998年まで内戦状態にありました。現在では国境の町ポイペトに巨大なカジノが立ち並び、その富と欲の象徴の脇で、国境を越える50円の通行費を払えずに川の下を重い荷物を持って素足で渡る子ども達の姿が見られます。ポイペトから南には地雷ベルトが広がっています。2005年は139件の地雷被害が報告されています。北には80年代に難民だった人たちが帰還してできた村が点在しています。まだ竹の柱にからぶきの屋根の家が大多数です。

このような中にでも「私は文字を覚える前に戦火を生き延びねばならなかった。子どもにはちゃんと教育を受けさせたい」と強く願う親。「子ども達に笑顔を取り戻してもらいたい」という先生。「難民キャンプに行く時にバンテイミンチェイを横切った。そこで生きることができたことに感謝したい。ここで本を配布したい。」と強い思いを持った当事業課のスタッフがいます。過去を学び、未来につなげること。次世代を担う子ども達への活動を行うことは、SVAの使命だと思っています。

バンテイミンチェイ州にはSVAの地方事務所があります。その地域で活動を成功させるには、事務所を作り、駐在して、いつでも出動できるようにすることが不可欠だと思いました。「共に生き、共に学ぶ」意識を態度で示すことにより、「この人たちは我々と一緒に作り上げようとしてくれている」と思われるのではないでしょうか。

道のりはまだ険しいですが、学校関係者、行政と手に手を取って進んでいくつもりです。

鎌倉幸子

バサックスラム強制移転のその後


1000人近い武装警官を導入した6月6日の第2回目の強制移転から早2ヶ月が経とうとしていますが、移転地はまだ混沌とした状態が続いています。と言うのは移転させられた1820世帯には土地の配分目当てに紛れ込んできた人もいるようで、確かにバサックスラムにいたかどうか、ほかに土地を所有していないか、などのインタビュー確認作業が続いているからです。これまで確認された306世帯に対し、プノンペン市は土地(4mX6m)を分配し、水や米などを配給していますが、まだ1000世帯を超える家族がテント住まいに耐えながら確認作業を待っています。しかも、現在の移転地は777世帯分の面積しかないため、これ以上になった場合の目途はまったく立っていません。

移転地の生活環境は依然として劣悪でトイレなども不足しており、人々の健康状態は悪化しています。6月6日から28日まで、現場に医療チーム派遣したカンボジアの人権NGO「LICADHO」によると患者数は1716名にのぼり、うち子どもが663名(そのうち50%が5歳未満の子どもたち)だったそうです。区画整理は進んでいますが、インフラ整備はこれから。また、住民リストもできていないため、子どもたちの教育などの問題をどうするのか、まったく目途も立っていません。

一方、5月3日からの第1回目の強制移転で移された人々は移転地でようやく自分たちで家を再建。企業が建てた小学校では、現在までに約300人が登録を済ませ、10月からの新学期が来るのを待っています。上水道も引け、小さな市場もできています。何もない第2回目の強制移転地に比べてずっとよいと思いますが、大きな問題があることがわかってきました。本来この移転地はバサックスラムの住民のために用意されたものであったはずですが、住民調査を行ったある地区は分配された区画が459区画。このうち本当にバサックの住民に分配され、住民が住んでいるのが138区画。分配されたがまだ来ていないか、放棄したかで実際に住んでいないのが51区画。分配されたものをまた貸ししたものが2区画。残りの268区画はなんとはじめから外部の者に配分されていた!!!ようです。

バサックスラムの強制移転が引き金となったのでしょうか、カンボジアの人権NGO団体の懸命な訴えにもかかわらず、その後もプノンペン市内や地方で武装警官を導入した強制移転が続いています。そして、スラムは今やプノンペンだけでなく、タイとの国境貿易で沸くポイペトにも国境のゲートの両側に大きなスラムがあり、観光産業で活気づくシェムリアップもスラムが増えています。また、プノンペンの川沿いには少数民族のスラムもあります。スラムはカンボジアの問題の縮図であり、スラムを考えることははまさにカンボジアが抱えるいろいろな問題、貧困、民族、汚職、人権、環境などの問題を知ることであると言えるのではないでしょうか。

手束耕治

SVAカンボジア年次セミナー開催


さる、6月28日-30日の3日間、今年のアジア子ども文化祭のキャンプ予定地であり、その下見も兼ねてシハヌーク・ビル特別市でSVAカンボジア事務所スタッフ全員が参加して2泊3日の年次セミナーが開かれました。

来年度の各事業の基本方針・計画の話し合いとスタッフ間のチームビルディングを目的としてこのようなセミナーが開催されたのは1998年以来実に8年ぶり。今回はカンボジア人スタッフ4名がそれぞれプログラム作りだけでなく、レンタカー、ホテル、食事の手配を分担してスタッフ手作りのセミナーとなりました。場所が海に面したシハヌーク・ビル特別市のシーサイド・ホテルに決定すると、日ごろは遠い海にほとんど来る機会のないスタッフはみんな大喜び。

28日初日、早朝に事務所を出発し、4時間あまりでホテルに到着。午後からセミナー開始。スタッフがほかの国の事業をほとんど知らないことから、先ず八木沢所長からスラムのビデオ、各国事業の写真紹介をした後、基本方針の発表があり、そこで強調されたのが、「ミッション」「パッション」「ドリーム」の哲学。略して「ミ・パ・ド」。これなくしてはSVA、いやNGOで活動をしているとはいえないとの一言に参加者全員納得。

翌29日は朝6時から、おじ様、おば様スタッフも混じってみんな元気に砂浜でエアロビクス。この日は一日かけて各事業課よりの基本計画の発表と活発な意見交換となりました。充実した1日が終わり、明日は最終日ということもあって、夕食の時は歌や踊りも出て、大盛り上がりの懇親会となりました。

最終日の30日も朝6時からみんなでエアロビクス。朝食の後は、車座になって今回のセミナーの感想とそれぞれの夢を発表。「SVAのそれぞれの活動が良くわかった。」「SVAで働いていることに誇りを感じる。」などの感想のほか、ポルポト時代を生き抜いたスタッフからは「あの時の地獄の苦しみを受けた者として、われわれの子どもたちには平和な社会に生きてもらいたい。そのためにもこの活動を続けてゆきたい。」との夢が語られた。「家族みんなで参加したい」との声もあり、「来年もまた必ず年次セミナーの開催を!!!」を合言葉に閉会。スタッフのSVAに対する愛着を深めるすばらしいセミナーとなりました。

手束耕治

スタッフインタビュー第一回

副所長、文化事業課調整員 イー・トン

1. いつSVAに入りましたか?入るきっかけは何ですか?
私がSVAとパートナー事業で仕事を始めたのは1993年からです。当時、宗教省の仏教の復興支援プロジェクトにおいて、アドバイサーとして勤務していました。私はSVAの代表に出会った時、難民キャンプでカンボジア人が助けを求める中、とりわけ平和構築や文化・宗教の保護、仏教の再構築に関わるSVAの活動と理念に感銘をうけました。私もまた、その頃からカンボジアの人々のために、数十年にもわたる内戦の間に深刻なダメージを受けたクメールの文化・伝統の魂である仏教を復興するという同じ夢をもっていました。そのため、私達のゴールは一致したのです。その時から私の行っていたプロジェクトのいくつかSVAに支援してもらいました。例えば、1994年に、日本の皆様からのご寄付によりトリピタカ(南伝大蔵経)のクメール語版の再版するという大変重要な支援を受け、1995年には、SVAが協力して立正佼成会により大規模で長期的な仏教研究所の復興プロジェクトを支援してもらうことになりました。

2. 今、どんな仕事をしていますか?
現在、SVAのプノンペン事務所の副所長に任命されるとともに、文化事業課の調整員も兼ねています。一般的に、私の職責はSVAの所長をサポートすることです。しかし、とりわけ文化・伝統に関連するすべての事柄に責任をおっています。

3. SVAに入って、良かったことは何ですか?
私にとってSVAで働くことは、教育に関する幅広い領域や一般的な知識において私自身を磨くよい機会です。また同様に、支援されるべき他の困った人々を支援することも自分を磨くよい機会です。

4.仕事で大変なことはなんですか?
日本人同僚、カウンターパート、ドナーとの日本語でのコミュニケーションに問題があります。私はこの問題は資金調達に不利益を引き起こす私の弱点であると考えています。他方で、10年前と比べると文化・伝統活動に興味をもつ支援者が減っていると気付かされます。

5. 将来の夢はなんですか?
将来、多かれ少なかれ、カンボジア社会はとりわけ教育や文化の分野において発展するでしょう。少なくとも、SVAの対象地域においてはそうでしょう。私はたとえSVAがプロジェクトを打ち切ったとしても、クメール文化遺産保護の分野、ならびに農村部の平和構築の分野で働き続けたいです。

6.あなたの趣味は何ですか?
私は読書と植樹することが好きです。また、写真を撮ることも好きです。

7. モットー(座右の銘)は何ですか?
私のモットーは貧しい人々や弱い立場にある人々と幸せや悲しみを分かち合うことです。そして、私が他人からしてほしくないことを他人にしないようにすることです。

カンボジアの現状

クメール・ルージュ裁判

1975年4月17日からの3年8ヶ月のポル・ポト時代。SVAにも親や兄弟を失い、過酷な経験をしてきたスタッフが多くいます。仏教や伝統文化、教育も破壊されました。そのポル・ポト政権を指揮した元幹部を裁く国際特別法廷が国連の支援により進められています。

7月3日、国連によって選ばれた国際司法官とカンボジア人司法官による宣誓就任式がプノンペンの王宮で行われました。裁判に関わる国際司法官の中には日本人で元東京地検検事の野口元郎氏も選出されています。特別法廷は2審制で行われ、期間は3年間の予定。日本政府はこの裁判の国連負担分予算(4,300万米ドル)のうちの2,160万米ドルを拠出しています。法廷は10日より捜査判事による証拠収集が開始され、本格的に動きはじめました。今後は証拠の収集と検証を経て複数の元幹部が訴追され、来年には1審が行われる見通しです。

しかし、すでに30年近い年月が経過しています。ポル・ポト元首相は98年に死亡し、存命しているイエン・サリ元副首相やヌオン・チア元人民代表議会議長などの元幹部の多くも80代をむかえる高齢であり、なるべく早期の裁判開始が望まれます。

そのような状況の中で、21日、タ・モク元参謀総長が80歳で死去。タ・モクはポル・ポト派の中でも最強硬派として恐れられ、最後まで軍を統括していた人物でした。このような重要な証人がまた1人いなくなってしまったことは裁判にとって大きな痛手となってしまいました。彼は「世界に対して、私は誰も殺してはいないと言いたい。」と語っていたといいます。元幹部は法廷で真実を言うのだろうか、どのような成果が得られるのだろうか、とカンボジア人スタッフは話しています。

カンボジアでは15歳以下の人口が全体の約40%を占めます。この裁判によりなぜ、どうしてあのようなことが起こったのか明らかになることは、次の世代に対しても大きな意味があります。今後も裁判の動向に注目していきたいと思います。

青島寿宗

SVAカンボジア・インターン

私とカンボジア

私は7月19日から一ヶ月間、SVA(シャンティ国際ボランティア会)のカンボジアのプノンペン事務所でインターンをしています。SVAの理念と活動内容に興味をもったからです。僧侶、寺院への支援などを行っている文化事業課に所属しています。

私とカンボジアの出会いは3年前に遡ります。友人が所属していたNGOでスポーツ大会を催すということで、事前打ち合わせに同行したことがきっかけでした。友人が仕事をしている間、私の方はもっぱら観光にあけくれ、アンコールワットの遺跡めぐりをし、カンボジアを満喫しました。一方で、地雷による犠牲者、物乞いをする子ども達などのカンボジアが抱える負の遺産に触れ、カンボジアの開発について考える機会でもありました。帰国後は研究地域をカンボジアとし、これまでカンボジアの復興支援などについて考察してきました。現在の関心の所在は、内発的発展論と上座仏教の役割です。カンボジアの復興・開発を考える上で、仏教の役割を看過することはできません。カンボジアでは13世紀以来、上座部仏教が国民の生活の間で主要な位置を占めており、社会、教育、モラル・価値において中心的な役割を担ってきました。しかし、ポル・ポト政権下では徹底的に弾圧され、わずか4年程度の間に寺院も僧侶もほぼ完全に消滅させられました。ポル・ポト政権崩壊後、寺は人々の自発的な行為によって再建され、仏教は着実に復興しており、現在では内戦前の数を上回っています。さらに、農村復興はまず寺の再建から行われており、全国的に同じ現象が見られます。現在ではカンボジア国民の95%が上座仏教を信仰すると言われており、仏教は人々の生活空間を取り戻す上で非常に重要な役割を担ったと考えられます。

  今日、「もうひとつの開発」が求められていますが、カンボジア国内の格差も広がりつつあり、スラムなどの問題も顕著になっています。しかし、一方で内発的な試みが現れています。開発僧の指揮するローカルNGO「サンセテナ」の活動は注目に値します。仏教の役割を過信することは危険ですが、カンボジアの将来を考える上で、仏教は重要な鍵を握るのではないかと考えています。

名古屋大学国際開発研究科
博士課程前期2年
久野加奈子

事務所の動き

  ■ 7月28日-8月2日 八木沢 タイ事務所出張
  ■ 8月6日  チャトラー日本から帰国
  ■ 8月7日  ラオス国境のストゥントレン州 「トリビタカ」贈呈式 伝統・文化事業 八木沢同行
  ■ 8月9日  鎌倉日本から帰国
  ■ 8月11日 月例コーディネーター会議
  ■ 8月17日 森を再生する会 ボットム小学校贈呈式 鎌倉 八木沢同行
  ■ 8月16日 久野加奈子 インターンシップ終了
  ■ 8月21日 山室仁子、横井佐奈、三成里世 インターンシップ開始         

※ 各事業課ではデジカメ、ビデオカメラ、ノートパソコンなどが不足しています。中古でもお使いになられていないものがありましたら、是非、事務所で活用させていただきたいと思います。 寄付になる方は、東京事務所カンボジア担当の白鳥まで、ご連絡お願いいたします。

※ 八木沢克昌所長のバンコク週報(バンコクの日本語新聞)での連載(カンボジア紀行)「カンボジア東西南北」がインターネットで読めます。下記のアドレスからどうぞ
http://www.bangkokshuho.com
※ 配信お申し込み、取り止めは、SVAカンボジアの編集部にご自分のメールアドレス、氏名を書いて下記アドレスに送付して下さい。

  SVAカンボジア事務所(担当:チェア・パル)
  P.O.Box 02, Phnom Penh Cambodia
  TEL: 855-23-219080
  FAX: 855-23-216924
  Email: sva.news@online.com.kh