北高22回生の仲間たち


22回生 妄島康晴


 私たち22回生が高校生活を送った1967年から1970年という時期は東京オリンピックが終わり、大阪万国博に何けて、日本が経済力の高度成長を成し遂げていた時期でした。一方では日米安全保障条約、沖縄返還問題などで学生運動が一気に盛り上がった時期でもありました。

 音楽の世界ではビートルズがあっという間に世界のロックシーンを席巻、アメリカでは反戦意識からフォークソングが流行しました。
受験勉強の傍ら、ラジオでオールナイトニッポンなどの深夜放送のDJに夢中になった時期でもありました。

 福沢諭吉を輩出した我が故郷は昔から教育熱心なのか、当時は俗に南北戦争と言われるほど北高と南高の進学競争が激しく、進路指導、課外授業など厳しいものがありました。私は同しクラスの数名と結託して、敢えて進路指導教師の意見を無視して、自分たちが選んだ大学を受験するという暴挙を行いました。

 中津駅を出立する夜行列車を見送りに来ていただいた先生からの「玉砕するなよ−」の声を後目に、我々は全員志望校に合格し、自らの判断と、小さな反体制行為との正当性を勝ち取ったと喜んだものです。

 ことほど左様に私たちの学年は、何かと言えば北高の自由を重んじる校風を逆手にとっていた節があり、先生方の評判はあま芳しくはなかったのではないかと自認しています。

 昨年、関東支部同窓会の当番幹事に当たり、30年ぶりに集ま「た顔を見ると、お互いに齢を感じさせるものがありましたが、すぐに昔通りに。大学の同窓会ではこうは行きません。どうしても現実の生々しさがつきまとってきてしまうのです。

 来年は21世紀、これを記念して関東在住の22回同窓生で何かイベントを組もうという話が持ち上がっています。基本的に同一性を嫌いながら、結託することは大好きというのが我々の仲間のようです。末筆ではありますが、本年度の関東同窓会の盛会を祈念し、筆を置きます。