
「青年文明号」北安機務段 1999.3.20
| 1995年にC62ニセコ号が走行を止めて、ぽっかりと空洞が空いた。ポストC62を模索していた時、友人に連れられて1996年12月、中国・叶柏寿(イエバイショー)に行った。そこには24時間、当たり前のように蒸気機関車が走る別世界があった。C62よりも遙かに大きい前進型が重連で走る、走る、走る。少々DLが入ってはいたが、その迫力に圧倒された。すでに中衛はなく、南岔、三峰洞、大観嶺といった名所は行かずじまい。それでも、薄給から旅費をひねり出しては年に2、3回渡航している。まずは叶柏寿と包神鉄路から。 |
| 叶柏寿
遼寧省の叶柏寿は、承徳・赤峰・朝陽と3方向から鉄路が集まり、機務段には前進型が50両近く配備されていた。初めての中国蒸気撮影行がここ。1996年月だった。行きがけのバスから見た承徳製鉄公司専用線のヤードにたむろする蒸気機関車の群には正直興奮した。
マイナス10〜20度での撮影も初めて経験。なにより、撮影初日、日がな一日飽きるほどやってくる重連貨物と客レにヘキヘキして、中国行きは最初で最後と思っていたが、日没間近の夕まぐれに、石脳のサミットで遭遇した重連貨物の空転にど迫力に一変した。翌日の波羅赤では丘の上から俯瞰。これぞまさに中国という雄大な光景に目を見張った。
その後、叶柏寿は翌年の5月と12月に再訪した。3度目に体験した列車の旅も忘れがたい。カーテンがなく、むき出しまま寝る硬臥寝台も面白く、座席車も探訪。食堂車の中華料理もおいしかった。日本の列車食堂がほとんど皆無に等しくなった今、ごとごと揺られながらぬるいビールを飲み、料理を食べるのも楽しみの一つになった。
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![]() ■錦承線・公営子〜波羅赤の重連貨物 1996.12.23 |
![]() ■叶赤線・石脳〜沙海の貨物 1996.12.22 |
![]() ■錦承線・公営子〜波羅赤の三重連回送 1996.12.22 |
![]() ■叶赤線・沙海〜石脳の貨物 1997.12.21 |
| 包神鉄路
内蒙古自治区の包頭から南に伸びる地方鉄路。前進型が真冬に長大な石炭列車を牽引するプッシュプル変則3重連が走る。中国鉄の間では話題の路線に2000年1月末に行った。いつもの中国撮影行は気の合った仲間連れだが、この時は諸般の事情で一人旅をした。天津空港で出迎えてもらい、北京西駅で列車に乗せてもらう。包頭東までは一人きり。
寂しさと不安、期待が入り交じった複雑な心境で列車の人となった。翌早朝、何ごともなく包頭東に到着。ホームで待機していた現地ガイドと合流し、ほっと胸をなでおろした。車に揺られること3時間。目的地に到着し、小山に登る。この地方では滅多に降ることがない雪が積もり、一面の雪景色。遙か彼方に3条の煙があがった。いきなり変則3重連だ。初日は日没までに3本の変則3重連をゲット。客レや単機牽引貨物、回送もあり、大収穫。翌日もめいっぱい撮りまくった。
3日目は東勝機務段を訪問後、鳴砂に移動。蒸気列車と砂漠を絡めた風景をものにするつもりだったが、あいにくの雪野原。丘の上に吹き上げてくる砂混じりの強冷風 には参った。砂漠にはつきものの駱駝がいて、雪と駱駝の珍しい写真を撮ることができた。現地で喜びを分かち合うことができないのはさみしいし、なにより料金が高くなる。中国鉄は2人以上に限るようで…。
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![]() ■沙沙勾台(ササクト)〜敷垉勾(オボウグ)の変則三重連貨物 2000.1.27 |
![]() ■敷垉勾〜東勝の客レ 2000.1.28 |
![]() ■鳴沙湾の橋梁を走る貨物。 2000.1.29 |
![]() ■沙沙勾台〜敷垉勾の変則三重連。 2000.1.28 |
![]() ■敷垉勾〜沙沙勾台の客レ 2000.1.27 |
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