| 2002年暮れ以来、1年2カ月ぶりに内蒙古の黄土高原に立った。同鉄路の発見者でモンゴル人の好漢ガイド、センチョクト氏の運転する「金杯号」は北京から約9時間で准格爾に到着。早速、前回行けなかった福興城駅に向かう。沿線はすでに電化用のポールが立っているが、同駅周辺だけは未工事。撮影ポイントが点在している。勇躍乗り込んだ、まではよかったが、なんと当日未明に、駅構内で4両の貨車が脱線事故を起こし鉄路は不通になっていた。唖然呆然。何という不運。短期決戦が裏目に出た。明日の夕方は現地を引き上げなくてはならない。一刻も早い復旧と走行再開を祈り、待つしかない。ところが、「天はわれを見捨てなかった!」。翌日、復旧した鉄路の線路際で重車を待っていると2本目にとんでもない超大物がやってきた…。
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![]() ■2004年1月30日午前8時ごろC地点(羊肉さんの「STEAM IN CHINA―准格爾」の地図参照)。重車を待つが来ない。福興城駅に待機する空車もなかなか出発しない。駅に情報収集に行ったセンさんから「シャクドを発車した重車が途中で引き返す。4重連だよ!」と興奮の連絡。慌てて山道をシャクドに向かう。 |
![]() ■シャクド駅構内(9時すぎ)に着くと重車がいた。4重連は8分前に駅に到着。後部の前進2両はすでに虎石に戻った後だった。しばらくすると、さっきまで福興城にいた空車が接近。重連同士の交換を撮る。 |
![]() ■重車を撮るべく、通称「パンク山」の撮影ポイントに移動。沿線は既にポールが立っているが、カーブの橋梁だけはポールがない。11時前に重連のカマだけが通過。「あれっ?、貨車は?」。引き続き重車が来るのを待つが、2時間以上待っても上下とも1本も走らない。このあと、福興城駅に行って初めて事態が把握できた。事故現場では作業員が必死で復旧作業に当たっていた。撮影を止められたので、周家湾の機務段に行く。 |
![]() ■周家湾の機務段には6台の前進がいた。 |
![]() ■うち1台は庫の中で検査修理中。夕方まで時間をつぶし、早めにホテルに引き上げ食事。飲んで寝るしかない。 |
| 31日は午前3時にホテルを出て福興城駅に向かう。作業は徹夜で行われていた。まだ2両が脱線のまま。夜景は光量不足でダメ。かなり時間が掛かりそうなので車の中で寝る。9時ごろ、ようやく復旧。待機していた前進重連が4両の貨車を虎石へ回送した。さあ、これからが本番!。来るかな? |
![]() ■K地点で重車を待つ。11時すぎ、やっと来た。給水を終えた重連貨物が発車。コンクリート橋を渡る。晴れて気温が上がったせいか、地表付近は薄靄がかかってすっきりしない。 |
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■しかも風が強く、絶好の後追いも煙に巻かれて見えずじまい。「最悪!ついてネー」。 |
![]() ■遠景をあきらめ接近戦に作戦変更し、Fポイントに移動。12時半すぎに2本目の重連が来た。ここからは駅構内が見通せない。やがて発車の汽笛とタイフォン。小高い丘の陰から顔を出した重連の先頭を長玉でゲット。 |
![]() ■長い貨車の最後尾、丘の向こう側に煙が…。「えっ?。後部補機?。やった!」。と小躍り。 |
![]() ■「あれ、後部補機も煙が2本? なんじゃこりゃー? 変則4重連じゃん!」と驚きながらシャッターを切り続ける。この時カメラを持っていなかったセンさんは携帯電話で撮影。さすが!。 |
![]() ■思ってもみなかった変則4重連。事故によるカマと乗務員の運用の関係で、重車の後ろにくっつけたという偶然のたまものだったのだろうが、多分これから先、2度とみることのできない光景だろう。 |
![]() ■2台の後部補機が目の前を通過。すげーっ!。こんなの初めてっ! |
![]() ■興奮冷めやらないまま、E地点に移動。帰る時間が迫ってくるので駅の近くに陣取る。14時すぎ、3本目が来た。今度は普通の重連でした。 |
![]() ■通過後は丘の上を頂上目指してダッシュし、後追いをシューティング。このあと、16時すぎまで待ったが、列車は来なかった。 |
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| 准東鉄路は春になると電化工事が再開。DLが投入され今秋には完全電化する。多分もうこの地に足を踏み入れることはないだろう。短かったけど、楽しい思い出と貴重な写真をありがとう。 |
おまけ
![]() 呼呼浩特駅始発のK90次は、若くて可愛いい服務員がモンゴル族の民族衣装で出迎えてくれた(車内では普通の制服。北京西駅でまた着替えて見送ってくれた)。再見! |
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