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歌舞伎・劇作家 YUKIKO IWAGO

丁稚部屋Agarikamachi

丁稚の戯言


No.7〜No.12

■7

OBS大分放送

 こゆき&丁稚の「はちゃめちゃトーク」 オン・エアー!
OBS 「リバーソング 海と空と人と道」 パーソナリティ松村さん
2004年9月○日
こゆき&丁稚は地元ラジオ放送局OBSに招かれ、番組収録と言う貴重な体験をしてきました。これは二人で作った「津久見の子守唄」と言う曲が、パーソナリティ松村紅実子さんのOBS「リバーソング 海と空と人と道」と言う30分番組で取り上げられ、その収録のためでした。



 松村さんとは2年前の県芸術文化祭オープニングステージと、大友宗麟のイベントで繋がっていたこともあり、初対面ではありませんでしたが、緊張の解けぬまま、局内の一室に案内されました。
消音用の布が貼られた大きなテーブルにマイクが数本立ち並び、この前に座った私たちの向こうには、音声ミキサーの機械が物々しく並び、この調整室のガラス越しにマイクを通してこちら側に指示が伝えられました。マイクテストも簡略で、すぐさま本番に突入です。
新聞やテレビ、FM番組などで、メディア出演過多のこゆきさんと違って、丁稚にとってラジオは初体験。前の晩は、遠足を待つ小学生の心境でした。
 こう聞かれたら、こう応えよう。ああ聞かれたら、ああ応えようと台詞は準備していったものの、こちらの台本どおりいくはずもない。
「生でないので、幾らでも編集できます」とのことで安心していましたが、実際は14分の通しで収録は終わり、「はいOK」でした。
カットされた部分は殆どないもようで、「津久見の子守唄」の演奏だけはしっかりお耳に届くことと思います。
昔の力士のインタビュー並み 「あー、うー」 ばかりではなかったものの、すっかり言いたいことが話せず、帰宅直後は落ち込み、何を喋ったのかも思い出せない始末。
 唯一覚えているのは最後の質問。
松村さんの右手人差し指が「巻き」の合図を描きながら、「最後に一言」と振られて、反射的に「・・・水晶山が懐かしいです?」
意味不明だったよと、後でこゆきさんが言ったものの、これは丁稚の持参したA4用紙にぎっしり箇条書きしてあった文章の一行がとっさに目に飛び込んだからに他なりません。
30分番組の半分を私たちの話題で占領したため、準備していたリクエスト曲を流しながらのオープニングは中止されました。「何か思い出の1曲を」と事前に言われ、前もって長時間の考慮の末、二人で出した「さだまさし」さんの1曲はかかることはありませんでした。
 実は「さだまさし」さんは、こゆきさんの最も会いたい芸能人の一人で、数ヶ月前、人を介して会える手はずでした。でもこの時もこちらの都合で会えなかった経緯もあるのです。
よほどタイミングが噛み合わない相性なのでしょうか。
「恥ずかしいので放送は聞かないでね」と、この晩から親戚、知人、友人に電話をかけまくる自分が可愛く見えてきます。
そう言えば、「♪丁稚だって〜丁稚だって〜」と言う歌が相当昔ありましたが、丁稚だって、人の子です。たまには公共電波に乗って美声?をお届けしても悪いことはないでしょう。
帰りには録音用のカセットテープをしっかり購入していました。ハイ!

さて、放送日はその四日後。
♪もう会えないけれど〜忘れないわ〜心 雨がつたう〜♪
「麦焼酎○○ちこ」○○酒類さん提供の、私も大好きなビリーバンバンの優しい旋律で番組はスタートします。
皆さんの反応が気になるところですが、事の顛末は日を改めて・・・。
感激のメールはお早めに、苦情電話は控えめに・・・・。丁稚からのお願いです。

OBSその2 放送当日!
こゆき&丁稚の「はちゃめちゃトーク」 オン・エアー!
9月○日、放送日当日こゆき茶屋丁稚部屋にて
 初めて二人で一緒に出たラジオ。放送30分前からソワソワ落ち着きません。
こゆきさんは隣の部屋に避難したり、丁稚は意味もなく屈伸運動などして緊張を解そうとしていました。
ラジオの電波の状態を確かめながら録音準備も抜かりなし・・・のはずでしたが、5時の時報と共に録音開始したものの、ピ〜とノイズが一瞬にして入り、あれ〜何だこの妨害電波は!
慌ててラジカセをベランダに運び、電波状態の良い場所を探し、おろおろすること数分、番組はどんどん進んでいきました。
ご近所さんにこの放送は聞かれたくないために、ボリュームは絞り、代わりに室内では最もちゃちなラジオでモニターする羽目になりました。
多少つまり気味な点もありましたが、何とか番組の流れにはなっていたと思うのですが・・・偶然聞かれた方にとりまして、如何でしたでしょうか。
冷や汗たらたらの15分が過ぎ、担当の時間帯がやっと終わりました。
 あと後半15分間は他の話題も放送されるのですが、私たちに関係ない内容と分かると、直ぐに電話が掛かってきました。
親戚からでした。「う〜ん、良かったよ」
まずまずの内輪の好意的な感想にほっと一息。
続けさまに友人から数本。
「聞きましたよ〜。アナウンサーが上手くリードしてましたね。良かった〜。」
この「良かった〜」の一言で我々は十分救われます。
お褒めのお言葉に、ついほろりとしそうになる自分をぐっとこらえました。
 しかし、30分後どうしても外出せねばならなくなり、帰宅したのはシンデレラ同然でした。
メールは数件あったものの、留守電には一件も入ってなかった。
「きっと留守電に入れるのが恥ずかしかったり、面倒だったのでしょう」 なんて勝手に思うのですが、本当のことは分かりません。
いったい何%の友人知人が聞いてくれたのか大いに気になるところです。

 番外もいました。
普段NHKしか聞かないこゆきさんのご親族は、地元放送局にダイヤルを回すことなく、放送されなかったと憤慨していました。
また、メールでお知らせした知り合いの一部の方々は地元テレビ放送にチャンネルを合わせ、今か今かとテレビの前で1時間半座って待ってくれたそうです。
「あの〜ラジオなんですが〜」
申し訳ないやら情けないやら・・・。

 総括
 隠しておきたい人に限って、「ラジオ聞きましたよ〜」と、「よ〜」に力を込めて私の顔を覗き込みます。ご近所から3人同じ発言がありました。
こんなときは年甲斐もなく、りんごのほっぺになりました。
聞いて欲しい人は
「あ〜ごめん、その日は仕事で・・・・」
「来客中で・・・」など。
「すっかり忘れていました」とは決して言いません。
大丈夫です。
当方は、しっかり録音したCDを毎日持ち歩いては、さりげなくこの話題に振ってから、あたかも今日偶然この録音CDを持っていますので、よろしければどうぞこれを・・・なんて、相手の迷惑も顧みず、CDを押し付けている僕です。
え?貴方もお聴きになりたいんですか?ご連絡くだされば直ぐにでも送料着払いで・・・・。

■8

 こゆきと丁稚の神戸・姫路参り

 2004年もあと二週間余りという暮れも押し迫ってから、急遽神戸、姫路へ出かけました。
神戸大震災の犠牲者鎮魂を祈って、被災地復興を願う光のイベント神戸ルミナリエと、こゆきさんの舞台脚本デビュー作の舞台となりました姫路の訪問が、今回の旅の主たる目的であることは、別途丁稚別館の日記にも予告いたしました通りです。こゆきさんのお供をしながら、一年間の丁稚奉公のご褒美を満喫したいと思います。

1.船旅
 こゆき茶屋から別府国際観光港まで、夕刻の渋滞に捕まり、自らが乗るべくフェリーを危うく見送ることになりそうでした。
ともあれ、関西汽船にて一路瀬戸内を阪神へ。
チープで疲れるだけの劣悪な環境の二等室の船旅を予想していましたが、これがなかなかオツなものです。気の会う仲間となら、修学旅行パートUとして、学生気分を味わえる格好の旅行ではとお勧めしたいところです。
ロビーやレストランなど設備は質素ながらも納得のいく綺麗さでした。船内レストランでのリーズナブルな夕食後、お風呂を覗いてみたり、あちこち船内探索。
デッキに立ち、頬に受ける潮風に映画の一シーンを勝手にイメージしたり、黒い島影や、遠くの漁火に悠久の時へ染み入ってしまいます。心配された船酔いは取り越し苦労でした。何しろ穏やかな海上を進む一万トン・フェリーは殆ど揺れを感じませんでした。
 かつて瀬戸内海を旅したのは30年以上も前のこと。当然ながら、当時は四国と本州を結ぶ橋は一本も架かっていませんでした。地続きということは、四国はもはや海外ではない・・・のですね。
船内の灯りが落ちた後も、こゆきさんはロビーで、非常灯の下で書きかけの原稿にペンを走らせておりました。

2.姫路

 こゆきさんが学生時代過ごしたこの町は、何と言っても世界遺産となってますます人気の出ました国宝姫路城がシンボルです。姫路市制100年シロトピア演劇祭「新天守物語うわさの女たち」の脚本執筆、1999年日本演劇興行協会「第四回脚本募集・歌舞伎部門」で「お菊虫」優秀作入選も、全てこの姫路の歴史と伝説がベースとなっており、長い時間をかけて、熟成していったのでしょう。少女こゆきは文学、歴史に親しみ、毎日、部屋の窓から天守閣を眺めては、叶わぬ夢を膨らませていたと言います。
 姫路城は今更ご説明するまでもございませんが、専門的なHPも数多くございますので、そちらでご参照下さい。お城は段々と狭くなる通路と階段で、まるで迷路のようです。履物をビニール袋に入れてスリッパに履き替えて登りつめると、そこは五層七階の天守閣最上階。
窓越しに市内を一望して、こゆきさんは、かつてあったであろう自分の住居の方向を見つめては感慨深げです。、変わってしまったもの、変わらないものの対比を記憶の中から色分けしているかのようです。心は学生時代にタイムスリップしていたはずです。
姫路城前のお土産屋さん「高田の馬場」も改装後同じ場所にありました。
 市内北部にある標高370mの山上の書写山円教寺は、時間があれば是非訪問したいと思っていました。大河ドラマ宮本武蔵やラストサムライのトム・クルーズのロケも行われた人気のスポットです。

3.明石海峡大橋
 世界最長吊橋3911メートルの明石海峡大橋は勇壮でダイナミックで素晴らしいの一語です。
よくぞ作ったものだと、人間の能力に驚嘆します。青い海を走る白い船は海峡大橋とマッチして、切り取った視界のフレームは絵葉書そのものです。
「言葉で表現できない・・・」とか、「絵にも描けない・・・」と言う修飾語句はプロには禁句だそうですが、単純な美しさほど、ぴったりの形容は浮かびません。
毎日この眺めを満喫できるロケーションにある人は、何か特別な課税がなされても良いのでは?
 大震災の震源地の一つでもあった淡路島は藩政時代は徳島でしたが、現在は兵庫県に属します。当地で取れたお勧めの味と言われる鯛茶漬けにこゆきさんも納得顔です。

4.神戸

 北野町異人館を散策したあと、ルミナリエ会場近くで下車しました。
南京町でも格安中華コースに舌鼓。店の大小に係わらず、やはり人気のお店には多少の時間待ちも気にせず列をなすのは、横浜中華街と同じです。横浜との違いは、皆さんお味の事を申しますが、丁稚の感覚では、お店の人の言葉と接客に対比を感じ取りました。

5.ルミナリエ

 1995年1月の阪神・淡路大震災の犠牲者の鎮魂の意を込めて、被災地の復興・再生への希望の象徴となって、毎年12月に開催される光の祭典は今年で10回目を迎えます。
数十万個の豆電球が織り成す光のファンタジーを観に、いったい一日に何万人の人が押し寄せるのでしょうか。会場入口にたどり着く為の行列が延べ1キロメートル以上。それも往復6車線の道幅一杯に満員電車状態で一寸ずり。(大分弁で渋滞などでほんのわずかずつしか前進しない様子を言い表します)
 立ち並ぶ光のアーチに照らされたペイブメントを歩く家族連れ、友達、恋人達のクリスマス。
神戸の冬の風物詩としてなくてはならないものになりました。
メリークリスマス!


丁稚撮影とFlash制作

■9

「こゆきさん・回顧2004年」

 県芸術祭オープニングステージ上演脚本、「天領ラプソディ人形師三吉の恋」の執筆で幕を開けた2004年はあっという間に駆け抜けて行きました。
01年、02年に引き続き今年三作目は、天領日田を舞台にした、江戸時代の町民パワーを表現したエンタテイメントでした。グランシアタで満員の客様にご覧頂き、思いで深い舞台となりました。
その節は峰岸徹氏には大変お世話になり、厚くお礼申し上げます。次年度以降、県文化振興の方向性が大きく変わってくることが予想され、文化祭も変革の年となりそうです。
 こゆきさんの書くことの原点は、歌舞伎であると再認識したきっかけは博多座訪問でした。
色々な舞台原作脚本に追いまくられた一年でしたが、やはりメインは歌舞伎です。中村梅玉丈、片岡孝太郎丈と、一年ぶりの再会で、これからの脚本のヒントを頂いたと思います。先ずは地元博多を舞台、題材に書くことから始めました。さ らに、「斑雪」再演の夢も必ずやつなげてゆきたいと思います。
 また、4月より、県内B大学で脚本研究の講座を受け持つようになりまして、その準備や講義に多忙を極めた感じがします。
慣れない仕事ゆえ、目に見えないプレッシャーに押しつぶされそうになることもあったのでは・・・。また、若い学生達の若く鋭い感覚に良い刺激もあったのではないでしょうか。教えることは学ぶこと・・なんて丁稚が言う台詞ではありませんが、とても良い経験をさせていただいたのではと思います。
 本年は一年を通して、大変素晴らしい出会いの多い年だったのではないかと思います。
映画監督大林宣彦氏初め、歌舞伎俳優中村福助丈、映画監督高山由紀子氏、ジャーナリスト筑紫哲也氏、歌手の松原のぶえさんや、金子みすゞ記念館館長矢崎氏など。それぞれの分野の一流の方との出会いは、より大きな世界へ飛翔する力をいただいたのでは? 県内にあっても、文化、芸術に携わる指導者や研究者、それらを支える逞しいスタッフ達の熱意と
推進力に圧倒されたことでしょう。
 さらに、同人誌日田文学への寄稿文が偶然にも文芸専門誌「文学界」で、嬉しいコメントをいただき、感激しました。 未開発の小説の分野も遠く視野に入れておく必要もあります。また、秋からはミュージカルの台本にも意欲的に挑戦しています。作詞の分野では「津久見の子守唄」が樫の実少年少女合唱団でお披露目され、大きな感動を頂きました。
 一年間で何を書いた、何が上演されたと言うことを並べ連ねるだけでは一年の重さは計れないかも知れません。花開く年もあれば、深く根を張ることへ専心する年もあると思います。いくつかの新しい種を蒔き、水をやり、その芽の出るのを辛抱強く待たなければなりません。来る2005年もまた、充実した年でありますように期待したいと思います。

■10

「昭和の町・豊後高田」

 昭和の町並み、文化を残そうとする大分県豊後高田市の町おこしは、確実に人々の心を掴みつつあります。小雪舞う寒い二月末、宇佐別府道路が通行止めになりはしないかと心配しながら車を走らせました。一歩踏み入ったその町並みは、懐かしい故郷の情景が浮かんできます。
明治や江戸時代を偲ばせる歴史的、文化的匂いの漂う臼杵、中津、日田といった県内の城下町の風情とは一線をなします。この豊後高田は自分自身の体験に密着した、高度成長期目前の町の息吹や、人々のバイタリティに富んだ動的な時代変 化を感じずにはおれません。

「昭和の町・豊後高田」 その1

昭和30年代と言えば丁稚の小中学時代そのものです。
思いつくまま、ちょっとだけ振り返ってみます。
 近所に自家用車なんて殆どなかった時代に、昆ちゃんのCMでお馴染みのミゼットが近所のお店に来たと聞いて、驚いて、すぐに見に行く始末。それまで見かけるのは青いバスと石灰石を積んで走るトラックくらいでしたから。
 街頭テレビは力道山の大活躍の模様を伝え、丸いブラウン管に目を丸くしたものです。我が家には当然テレビがなく、当時の皇太子殿下美智子様のご成婚の模様はご近所のテレビで見せていただきました。
この頃の番組では、お笑い三人組や事件記者などが記憶に残っています。
 やっと我が家にテレビがやって来た日のことは忘れられません。
プロ野球のオールスター戦の直前でした。オリオンズの山内選手がオールスター男として有名でした。テレビを観終わったあとは、ブラウン管の前には厳かに緞帳のようなカーテンが掛けられておりました。 食事の時も、家族全員がテレビの方に向かって座りました。
 当時住んでいた我が町に芝居小屋のような映画館がありました。今で言う福岡の嘉穂劇場を彷彿させるような作りで、一階はマスで仕切られ、畳敷きで寝転がって観れるのです。座布団持参の映画見物です。小学校からの引率で50円を握り締め、何度もこの映画館に足を運びました。当時のヒーローは何てたって「赤銅鈴之助」でした。主題歌は今でも歌えます。地元の英雄、神様仏様稲尾様の大活躍は映画にもなりました。

 

 

 芸能界ではクレージーキャッツが一世を風靡して、歌謡曲御三家が登場して、新幹線が開業、日本は一気に東京オリンピックに突き進みました。ラジオから流れるプレスリーに耳を傾ける姉の気持ちはまだ理解できませんでした。
 中学に上り、ビートルズの歌詞を聞こえるままにデタラメに歌い始めた丁稚は、この頃もう初恋を知ったのでしょうか。劣等感に苛まれた少年が、それでも輝ける未来を信じて夢を描いていたことでしょう。
 激動の昭和30年代。紙芝居、ダッコちゃん、フラフープ、ゴジラ、鉄人28号、月光仮面、即席ラーメン、太陽の季節、上を向いて歩こう、南極観測隊、人工衛星、ケネディ米大統領暗殺、家電三種の神器・・・思いつくまま羅列するだけでも一晩かかりそうです。
 中学校では、クラス50人で10クラス500人ほどの学年は、とても全員の名前など覚えられるはずもありません。この中で丁稚など、な〜にも目だったものなどなかったでしょう。

 もはや昭和30年代ははるか彼方に追いやられた気がします。帰らざる日々はセピア色のフィルターを通し、甘酸っぱくほろ苦い思い出は永遠の美として、わが胸に昇華しました。当時を語るとき、その時代を共有した者にしか理解しがたい感覚を伝える事は、容易ではないと思います。しかし、誰もが今と言う瞬間をつなぎ合わせて生きてきた。その一つ一つの断面には張り裂けるような熱い思いが埋め尽くされてるよう
な気がします。
 すっかり丁稚の思い出話になってしまい、誠に恐縮です。
ではでは、これからは豊後高田で撮りましたスナップをどうぞご覧下さい。
何か発見があるかもしれませんね。

■11

 丁稚のゴタク ラジオにオンエアーされるの巻



 ひょんなことから久々のラジオ番組に出演となりました。
「マーサーとカレイなる仲間たち」は3月のこゆきさん出演と同番組です。
パーソナリティはお馴染みFM大分のDr.マーサーさん、今週のゲストはゴスペルクワイアーJOYの首藤早苗さん。
アラカンおやじバンド代表として、丁稚はお二人と音楽談義に花を咲かせたのです。
初めはど〜なることやらと心配をしましたが、お二人の気さくな会話についつい乗せられてしまい、木に登ってしまいました。
なるべく不細工な丁稚の顔が見えないようにと配慮したつもりですが・・・
大分市今津留のOBS本社のスタジオでして、その内容と申しますと・・・

 丁稚にとりまして、やはりベンチャーズとの邂逅がポピュラー音楽にのめり込む原点となりました・・・てな ことをベラベラと調子にのって語ったのでございます。
そのほか、ど〜たら、こ〜たらと、丁稚のゴタクがかれこれ30分番組からはみ出しそうな勢いでした。多少反省している次第です。へい。



 会話のバックには軽快なベンチャーズサウンドがずっと流れておりましたが、エンディングのリクエストにはシャドウズの「アパッチ」をかけて頂きました。
Dr.マーサーさんの音楽の守備範囲の広さ、深さには驚きです。
どんな変化球も受け止めてくださいます。
北原謙二の「北風」の特徴までご存じとは、参った参った。
首藤さんは毎年大分市の七夕のイベントでお馴染みのパワフルなゴスペルを聴かせて下さいますし、この秋の「おおいた夢色音楽祭」の仕掛け人のおひとりなんです。
わがチンドンバンドも出演を確約してきた次第です。

 この日ばかりは立場は逆転して、こゆきさんはジャーマネー兼カメラマンでした。
ガラス越しでのスタジオ内の撮影は、若干身長不足が影響を及ぼし、適切なアングルがとれなかったと反省の弁です。
で、放送はと言いますと、6月6日、土曜日OBS大分放送にて午後5時から30分間、大分県内にオンエアーされたのでございます。120万県民の中で、さていったい何人くらいの方がお聞きになったのでしょうか?
すっかり出べそになってしまった丁稚ですが、英語のことわざに、Curiosity killed the cat.「好奇心は猫をも殺した」というのがありますが、ミーハーもほどほどにしないと、こゆきさんのご迷惑にもなるばかりでなく、自ら命を縮めることになるのでと・・・。

■12

 佐田京石で「米神山巨石祭り」

地元新聞社関連の月刊誌「セーノ!」に2009年4月から2010年3月まで1年間連載させていただきましたこゆきさんの小説、「夢はちまん〜甘酒屋うさぎ双紙〜」はお陰様で、過日全12回(最終回)を無事完結いたしました。
お話は、宇佐八幡宮参道で甘酒屋を営みながら夫を待つ「月世」さんと、不思議な霊能力を持つ少女、そして二人を取り巻く人々が織りなす大人のファンタジーという狙いでした。
さてこの物語のクライマックスに登場する宇佐・安心院周辺のロケーションの一つに「佐田京石」という心霊スポットのような史跡が登場します。いわゆるミステリーサークルです。
昨日(3月14日)、この宇佐市安心院の米神山の麓の「佐田京石」で「米神山巨石祭り」が行われました。
「夢はちまん〜甘酒屋・・」に出てくる米神山の京石に興味を抱いた知人が、祭りとは知らずにご夫婦で訪れ、ラッキーにも年に一度のこのお祭りに遭遇したと教えてくれました。
こういう話が何より好きな、こゆきさん「事実は小説より奇なり!」と大喜び。

さて、ご夫婦が車で到着したときは餅まきの真っ最中! 
驚きながらも「それっ」とばかり駆けつけ、二人して「しらしんけん」餅拾いに燃えたとのこと。
こゆきさんもその半分をお裾分けとして頂戴しました。
また、振舞われた甘酒がおいしかったとのことで、「安心院のあまざけ」もお土産に買ってきてくださいました。
「夢はちまん」の月世さんは甘酒造りの名人という設定だったので、ここにも嬉しいシンクロニシティの連鎖がありました。

アルコール分はゼロ、運転も大丈夫です。
夏は冷やして、冬は暖めてと書いてあります。
そして今日、甘酒とお餅を届けてくださった折、私たちが何気なく目にした新聞に、春の訪れを伝える話題として昨日のお祭りの記事が載っていました。そこには知人が昨日一緒に写真を撮らせてもらったという巫女さんが、京石でお祝いの「浦安の舞」を舞った巫女さんとして紹介されていました。
「小さな奇跡の玉が繋がって夢色のネックレスが一つ出来上がったような気がするね」とは、こゆきさんの弁です。