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歌舞伎・劇作家 YUKIKO IWAGO

悠々人report

こゆきが出会った素晴らしき人々をご紹介します。


仲野哲雄さん



 東京在住の仲野氏は、丁稚くんの高校からの親友である。
この日、津久見市にある仲野氏の実家を訪ねた。
彼お得意の日曜大工で、納屋をリフォームしたアトリエの二階に上がると、壁一面に掛けられた捕鯨の写真が目に飛び込んできた。

 息を呑んだ。
仲野氏が過去に捕鯨の写真を撮影されたことは以前聞いていたが、この日偶然にも貴重な写真を間近で見せてもらえる幸運にあずかった。
数日後に地元で開催される写真展と講演のための準備をしていたということだった。

 紺碧の海の上、躍り上って鯨の体に銛(もり)を撃ち込む半裸の男、暴れ狂う鯨にひっくり返される寸前の小船、鯨と男たちの壮絶な死闘、切り裂かれたマッコウクジラの巨体から流れ出る鮮血、血の匂いに集まってくる鮫、闘いに勝って感謝の祈りを捧げる男たち、その静と動の対比。
浜に曳かれてきた鯨の上に乗ってはしゃぐ子供たち・・・心臓がドキドキしてきた。

 大自然という人知を超えた大いなるものに捧げられる生贄は「鯨」か「人間」か。
今日、この海が呑み込むのはどちらの血なのか。
赤く染まった波の上で、ルリという鯨を切り裂くための細長い包丁を立てて並ぶ男たちのシルエットはまるで儀式のよう だ。「厳粛な祝祭」 命を賭けた男たちの祭だ。

 十数年前、インドネシアのスンダ列島を旅行していた仲野氏は、「手銛(てもり)で鯨を獲っている村がある」と聞いて、いくらなんでも今時そんな原始的なことをしているはずがない と思ったものの、イメージはどんどん膨れあがり、どうしても行って見たいという衝動に駆られたという。


 そこはスンダ列島東端にあるロンバタ島南岸の村、ラマレラという。
近くの海峡がマッコウクジラの回遊コースになっており、村人は昔から手銛による勇壮な鯨漁に生きてきた。人口約2000人。100年前に伝えられたカトリックを信仰し、美しい教会も建てられている。と同時に鯨に対する畏怖の念は強く、アニ ミズムの慣習も色濃く残っている。




(村人が作った狩猟船(プレダン)の模型。実物は全長10メートル、最大幅2メートル。)

 インドネシアの中でも、この地方はもっとも雨量が少なく乾燥している。
そのうえ海岸から山へせり上がる地形のラマレラは耕作地もなく、農作物はまったく自給できないという。そのため村人 は鯨の干し肉を市場に運び、山間の種族とイモ、野菜、トウモロコシなどと交換する。鯨猟が村人の生活基盤を支える唯 一の手段なのだ。

 鯨が回遊してくるのは5月から9月、この間に獲った鯨が1年間の生活を支えている。
ラマレラの捕鯨は、IWC(国際捕鯨会議)で、生存捕鯨としての存続が認められている。
しかし鯨猟の衰退にともない 、若者は職を求めて村からでていくようになり、いま伝統捕鯨を支えているのはほとんどが年配者だという。

 彼らは喜びも悲しみもすべて歌にする。
漁に出たまま帰らぬ人を思う歌は哀切だ。
「何故、この村の人はこういういい顔をしているんだろう、と不思議に思ったんです。おそらく心を揺り動かすようなドラマがあるからなんでしょうね」
仲野氏は遠くラマレラに思いを馳せ、口をつぐんだ・・・。


仲野氏のロンバタ島の関連記事
1987年 6月号「アニマ」
1987年 8月号「旅」
1987年 2月号「毎日グラフ」


 
No.1 トーマス・バラ (左)
仲野氏が「惚れてしまった」という印象深い人物。
18歳からラマファー(銛手)としての才能を発揮し、これまで100頭ちかい鯨を仕留めたという村きっての名手だ。銛撃ち はまず目がよくなくてはならない。仲野氏が会った当時彼は57歳、目の衰えから銛手を引退せざるを得ない時期にきてい た。船の上では激しい形相に変わるというが、この写真では物静かな哲学者のようだ。

No.2 イトマキエイを仕留めたところ(右)
このあと、船にのせて解体する。エイ用の銛は鯨用よりいくぶん小さいが重量感があり、撃ち込んだあと抜けないように 「戻り」を45度ちかい鈍角に作ってある。もともとはエイ漁を生業としていたので、船の航行中はエイ用の銛と銛綱をセ ットしている。浜に戻ってきて沖に鯨を見つけたときは「バ・レオ!(レオをかつげ)」と叫ぶ。このレオというのはエ イを仕留める銛綱のことなのだそうだ。


No.3 プレダン(船)
舳先から長さ1.5メートルのはしごのような銛撃ち台が張り出している。舳先の先端はメヌラと呼ばれ、船に宿る霊の象徴 として目と口を表す彫刻が施されている。帆はグバン(ヤシの一種)の葉で編まれた四角帆で、30センチ四方のものを325 枚縫い合わせてある。航行中立てている帆は、鯨の発見と同時に下ろされ、後は櫂を漕いで鯨を追う。ラマレラには26隻 の狩猟船があり、新しく造り変えても、船名は同じものを受け継ぐ。


No.4 ラマファー
銛撃ち台から銛手(ラマファー)が跳躍し、体重をかけて獲物に銛を撃ち込む。銛は5メートルほどある銛竿の先に差し込 んで使う。事故が最も多いのはこの直後、走っていく銛綱に体を巻かれたり、暴れる鯨の尾鰭に船体ごと叩き潰されるこ とがあるという。ラマファーは原則として世襲だが、才能のある若者はラマファーとして採用される。子供たちは浅瀬で 銛撃ちの真似事をして遊ぶ。


No.5 鯨の解体
浜がまな板となる。村中総出の作業で、久々の収穫に沸き立っていた。昔から定められた分配法によって公平に分けられ 、肉は30センチほどの短冊形に切って干肉にするため吊るされる。主人を失った未亡人は米やトウモロコシの粉で作った
菓子を籠に入れて船小屋の前に座る。分配を受けた者は肉片を未亡人に与え、お礼に菓子を受け取る。働き手を失った家族への思いやりの習慣が今も残っている。


No.6 浜に曳かれてきた鯨。
解体は翌朝の引潮を待って行われるので、鯨は一晩このまま浜に置かれたままだ。13メートルほどのマッコウクジラ。分 厚いゴムのような感触とともに生きもののなまめかしさがある。無残な銛の跡と切り裂かれた傷口がいたるところに残さ れ、血走った目は見開かれたまま。波が打ち寄せるたびに尾鰭が生きているように揺れる。



キヤノン・フォトコンテスト グランプリ受賞  2005.2
 こゆき茶屋「悠々人」のコーナーでもお馴染みの仲野哲雄さん(津久見市在住)が、国内最大規模を誇るキヤノンフォ トコンテストでグランプリを獲得されました!

 第38回キヤノンフォトコンテストの応募総数はなんと12506点。
その中から見事グランプリを獲得したというニュースを丁稚から聞き、
「す、すごい!」のひとこと。

 その作品は、台風さなかの臼杵の坂道で撮影したとのことで、遠景にシルエットのように津久見島が浮かび上がってい ます。
こゆきには専門的な感想は書けませんが、文芸作品に例えるならば、微妙な心の襞(ひだ)や陰影を映し出ている純文学作品という感じがします。きっと哲学的なものを感じる方もいらっしゃると思います。
 丁稚とこゆきが「すごい!すごい!みんなに知らせなきゃ!」と騒いでいるのに、ご本人は飄々として「まあ、ひとり 密かに祝うからいいよ」とのこと。

 俗世間のこゆきや丁稚君と違い、仲野さんは宇宙的ともいえる視野から森羅万象をとらえている哲人のように思われま す。彼はまた、古代の遺跡や神秘的なものに想いを馳せるロマンチストでもあります。
若い頃、たった一人で世界各地を放浪した仲野さん。今でもサハラの月を夢に見ることがあるでしょうか。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~nuatapo



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