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歌舞伎・劇作家 YUKIKO IWAGO

これまでに出会った素晴らしい人々や楽しい出来事を・・・今更日記にアーカイブ!

「ふうちゃんとの出会い」


雨粒が一瞬煌いたかのような、ときめきに出会った日

 〜ふうちゃんとの出会い〜
8月下旬、台風16号が大分方面を直撃すると報道されていた日の前日、佐藤義美生誕100年記念事業の一つとして、豊後竹田市の市民ギャラリー水琴館で、稗田宰子さん(童話作家・佐藤義美記念館名誉館長)と矢崎節夫さん(詩人・長門市立金子みすゞ記念館館長)による「佐藤義美と金子みすゞ〜詩と童謡の世界〜」というトークイベントが開催されました。
 竹田出身の佐藤義美は「いぬのおまわりさん」「アイスクリームのうた」をはじめとする童謡、童話作家として知られています。
金子みすゞは明治36年山口県仙崎に、佐藤義美は2年遅れて明治38年、竹田に生まれました。
ともに同時代に童謡詩を投稿していましたが、みすゞは26歳の若さでこの世を去り、二人は生涯相まみえることはありませんでした。
二人は志を同じくする仲間として、お互いを高く評価し、尊敬し合っていたということです。
みすゞが自作の童謡詩を書いた三冊の手帳を、西条八十に渡していたことを知った義美が「みすゞの作品を埋もれさせてはならない」と何度も西条八十を訪ねていたことを、稗田宰子さんの文章によって知ることができます。
生前出会うことのなかった二人が、平成の現代にこうした形で邂逅するなんてロマンチックだと思いませんか?映画にしたら素敵だろうなあ・・・なんて勝手に想像しています。



 講演より先に佐藤義美記念館に行ってみました。
伊豆にあった自宅を竹田に移したものだそうで、二階には書斎があり、廊下には義美の横顔のシルエットをステンドグラスでデザインした飾り窓があったりして、ユーモアのある義美の人柄を彷彿とさせるような空間でした。
 その建物を出て、講演会場の水琴館に行くため、雨の中を駐車場に向かおうとした時、一台の車が目の前に停まりました。
降りてこられたのは、なんと、1時間後に水琴館で講演をされるはずの金子みすゞ記念館館長・矢崎節夫さん。
こんな偶然があるのかと一瞬呆然として見ていると、続いて降りて来られたのは・・・
「あっ!」
雑誌の特集に写真が掲載されていた、みすゞの一人娘、ふさえさんに似た面差し・・・もしかするとご本人では?!
「まさか」
ふさえさんが竹田に来られるなどという事前の報道もなく、確か関東在住のふさえさん
がわざわざ豊後竹田に来られるわけがない、と打ち消しながらも、記念館に隣接する「ことりのアトリエ版画展」に入って行かれる一行の後ろ姿に目が釘付けになっていた時、
「あの方がみすゞさんのお嬢さんのふさえさんですよ」
と、声をかけてくださったのは、ふさえさんと同じ車から降りてきた方。
「えっ、あの、ふうちゃんですか!」
「そう。版画展を御覧になりたいと仰って。ラッキーですね。ご一緒に版画展を見に行きましょう」
私たちにとっては劇的な展開でした。
ふさえさんご本人だったということに胸が高鳴ると同時に、主催者側の方が見ず知らずの私たちに温かく声をかけてくださり、ふさえさんにご挨拶できるよう、さりげなく計らってくださったことに感動したのです。
声を掛けていただかなかったら、私たちは「もしかして」「多分」「きっと」と思いつつ、後ろ姿を見送って駐車場へ向かったことでしょう。



   〜何故私たちが 「奇跡だ」 と叫ぶほど感動したか〜

「津久見の子守唄」を作ったあと主人は、今度は金子みすゞに捧げる歌を作ろう、と言い出しました。
みすゞは私の好きな詩人だし、両親の実家が下関ということもあって、親近感も人一倍強く持っているつもりです。
 でも、みすゞの童謡詩は他に追随を許さない作品ですし、近年、その詩に曲をつけたものも多く世に出ているようです。
みすゞの唄を作ることは、みすゞの詩の表現をその一部でも借りてくることになりはしないか・・・
そんなことはできるはずもありません。
考えあぐねた主人は「みすゞと、ふうちゃんをテーマに歌を作れば」と提案しました。
みすゞは夫から詩作を禁じられた後、3歳のふうちゃんのカタコトのお喋りを書き留めた手帳を『南京玉』として遺しています。
 
 みすゞの生涯を綴った本をめくっていくうち、目に浮かんだ情景は、みすゞが憧れの西条八十に会うために、1歳のふうちゃんを背負って坂や石段を駆け登って下関駅まで走っていく姿でした。
「先生に会いたさに、あの山を越えて参りました。これからまたあの山を越えて家へ帰ります」
これは、みすゞが黒い瞳を輝かせながら西条八十に言った言葉です。

 そうしてできた歌のタイトルは「あの山越えて」。
「背中のふうちゃん泣かないで 泣けば先生に嫌われる」
から始まる歌詞は、最愛のふうちゃんを守るために26歳の若さで生涯を閉じた、みすゞへのレクイエムとなりました。
写真で見るふうちゃんは、優しく穏やかな微笑みをたたえていました。
歌を作りながら、その写真を何度も見ていたので、竹田でふさえさんご本人だとわかったのです。

 「ことりのアトリエ版画展」で、胸をドキドキさせながら、ふさえさんにご挨拶しました。
子供の頃から下関に親しんでいて、みすゞがいた上山文英堂があった西南部(にしなべ)もよく知っているとお話しすると、「ええっ、そうですか。ご両親はお幾つ?私ももう随分下関には行ってないけど、西南部って聞いてドキッとしちゃった」と、とても親しげに、そしてお茶目にお話ししてくださいました。
それから、火の山、日和山、唐戸・・・下関の地名が次々に飛び出し、ほんの短い時間でしたが、ふうちゃんに会えた喜びで舞い上がってしまいました。

 水琴館での稗田宰子さんと矢崎節夫さんのお話は、心に書き留めておきたいくらい佐藤義美と金子みすゞの真髄に迫るお話でした。
「生前、会うことのなかった二人が、天国で喜んでくれているような気がする」 と微笑まれた稗田先生のお顔が印象的でした。
最後に矢崎先生が 「皆さん、今日は特別に、みすゞさんの娘さん、ふさえさんが会場にいらっしゃってます」とご紹介され、会場から驚きの声と拍手が湧き起こりました。
花束を受け取って、頬をポッと赤らめたふさえさんが、
「今日は矢崎先生に誘っていただいて竹田に参りました。きのうは荒城の月の岡城に行き、あちこち見て回りました。
私と一緒に台風まで来てしまって、明日帰る予定が、明日は飛行機が飛ばないと言われて今日帰らなくてはいけなくなりました。とても残念です」とご挨拶されました。

 そのあと、私たちは控え室で、ふさえさんと一緒に記念撮影をしてもらって大満足。
「ふさえさん、是非また近いうちに大分へいらしてくださいね!」



 この奇跡の出会いに興奮さめやらぬ私たちは、台風の風雨が次第に強くなる中、酔狂にも閉園寸前の岡城へ登って荒涼たる景観に身をさらし、ほてった頭を芯まで冷やした後、帰路につきました。


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