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歌舞伎・劇作家 YUKIKO IWAGO

これまでに出会った素晴らしい人々や楽しい出来事を・・・今更日記にアーカイブ!

「喜劇・地獄めぐり」


 梅雨の晴れ間、別府のビーコンプラザに「別府温泉狂騒曲・喜劇地獄めぐり―生きてるだけで丸もうけ」という欲張りなタイトルの芝居を観にいった。
芝居といっても新橋演舞場の舞台を巨大VTRで再現したもので、生の舞台の臨場感はないものの役者の表情や細かい仕草がよくわかった。

 欲張りなタイトル通り、内容も「これでもか×3」くらいのコテコテの喜劇で、全編これ別府の宣伝というもの。それもそのはず、別府温泉の発展に尽力した実在の人物、油屋熊八の波乱万丈の物語なのだ。
主演の中村勘九郎を中心に柄本明、藤山直美、波乃久里子、渡辺えり子などの芸達者が入り乱れ、舞台上に狂い咲きの地獄の花をみごと花開かせた。

 折りたたみイスの客席は、私・小雪納言や賢好法師がひよっこに見えるくらいのお達者世代が手弁当と自家製の漬物を持ち込んでつまみ合っている。
シマッタ。歌舞伎などの観劇は場内での飲食を禁止しているから、食べ物を持ち込むなどの知恵は二人とも持ち合わせていなかった。
あわてて出てきたので朝から何も食べていない。場内は飲み物しか売っていない。
歌舞伎も昔は飲み食いしながら楽しめた時代があったのだ。
後ろの座席のおばあちゃんたちのように、楽しんで観ることを思いつかなかった我々は、ちょっと「負けた」という気がした。
おばあちゃん達はお義理で笑ったりはしない。おかしい時はシンケン笑う。ゲタを叩きつけるような笑い声。
芸術論などはお呼びでない。その笑いの大きさ、えげつなさこそが芝居の成功を物語っている。

 さて、目玉は特別ゲスト中村勘九郎のトークショー。
生の勘九郎を見るのは初めて。ドキドキ、ワクワク。
家を出るとき賢好法師が言った。
「お前な、いやしくも歌舞伎を書いてるんなら勘九郎さんに挨拶しとくのが筋ってもんじゃないか」
「で、でも、アポだってとってないし、会ってくれるかどうかもわかんないし・・・」と私。
実は小雪納言は対人恐怖症なのである。
まして、芸能人や歌舞伎俳優などは神様のように思っているフシがある。
「そりゃ会えたら奇跡だけど、生の勘九郎が見られるンだもん、それだけで充分だよん・・・」
 したたかな、或いはプロ意識の強い人間であれば、糸のようなコネでもたぐり寄せて利用し、もぐり込むことができるのだろうが、それは私の最も苦手とするところだ。

 トークショーは上映後に予定されていたが、上映前にも勘九郎さんはステージに上がって短い挨拶をした。
『元禄繚乱』の時よりずっとスリムになって、グレイの髪にグレイのスーツ。数々の華々しい浮名のイメージとはほど遠い地味ないでたち。
が、その人当たりの良さの中に、いったん大きなイタズラッ子が顔をのぞかせると、それは皆の警戒心を溶かし、「一緒に何か面白いことをやろうよ」という気にさせてしまう。
それが遊びの深さ、芸の深さなのだろう。
 「こんな大きな画面で見るのは初めてなので今日は私も楽しみです」と言って彼はステージを降りた。
二階の招待席で観るのだろうと、私はときどき遠くの後部座席を振り返ってみた。

 3時間半の長丁場。笑いに時間は止まっても生理現象は止まらない。
化粧室に行こうとして角を曲がろうとした時、1階の後ろの壁に並べたイスに勘九郎さんが座っているのが目に飛び込んできた。
薄暗いので、先に勘九郎さんをステージで見ていなければ、気づかなかっただろう。
明るい水色のカーディガンが目を引いたのか、勘九郎さんもこちらを見た。一瞬、血が逆流する。
化粧室で名刺を出したりひっこめたり。口の中でモゴモゴ言ってみる。
 「あの、私、えっと、6年前に国立劇場で『大力茶屋』を上演していただきました、い、岩豪友樹子と申します。お、大分で歌舞伎を書いておりまして・・・主演は富十郎さんで・・・」
支離滅裂。

 しかし、こんな千載一遇のチャンスは二度と巡っては来ないだろう。こんな場合、自分を売り込もうという欲は毛頭ない。ファンの一人として声をかけることだけで天にも登る気持ちになれるのだ。
意を決して化粧室を出ると、スタッフ証を下げた青年がすぐ横に立っている。近くにはスタッフが何人もいる。つまみだされたりしたらどうしよう。また、スゴスゴと化粧室に戻る。
何をやってんだ。帰りが遅いので賢好法師は心配し始めているだろう。
よし、まだあの青年があそこにいたら諦めよう。

 行ってみた。ヤッタ! 青年はいない。
それでも10分くらい迷って、劇の合間の暗転を待った。
舞台が一瞬暗くなったとき、角からのぞいてみたら、偶然また、勘九郎さんもこっちを見た。
今だ!
震える声で化粧室でのリハーサル通り言って名刺を差し出した。
勘九郎さんは丁寧に名刺を受け取ってくれて、6年前の『大力茶屋』上演のことも、「ああ、あの・・・」というリアクションをしてくれた。記憶になくても彼なら知ってるふりをしてくれたはずだ。
 ほんの30秒くらいだっただろうか。席に戻って賢好法師にささやいた。
「あのね、奇跡は起こったんよ」





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