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歌舞伎・劇作家 YUKIKO IWAGO

歌舞伎KABUKI

大力茶屋


国立劇場新作歌舞伎

花形若手歌舞伎
(平成八年三月) 国立劇場 新作歌舞伎脚本 入選作
岩豪友樹子=作  織田紘二=演出

【大力茶屋】
主演 中村富十郎
中村翫雀 尾上松助 片岡亀蔵 坂東吉弥 片岡芦燕

  

(あらすじ)
瀬戸物商に姿を変えて敵(かたき)を尋ねる源吾は、但馬の国、出石(いずし)で、容貌はひどく悪いけれど、心の優しい大力無双のお力に出会い夫婦となる。
江戸へ出て半年、お力は自分の不細工な顔のために美男の夫が世間の物笑いになっているのを知り、手鏡を見て、「どっから見てもアンコロ餅。こんな顔でも、いとしいと言うてくれはる旦那様。コリャ女冥利につき餅やけど、美しければなんぼよかろ・・・」と溜息をつく。
そのお力の前に、自分の大事なものと引きかえに何でも願いをかなえてくれるという壷が出現し、お力は思わず、
「この顔を近頃お江戸で評判の笠森お仙なんぞより、もっともっと美しゅうして三国一の、天下一の、いえなァ、三千世界にただ一人の器量良しとならしめ給え。捧げまつるは我が身にそなわるこの大力・・・」と願をかけ絶世の美女となる。
そこへ現れた夫の敵。大力を失って夫の手助けができないお力は、自分の浅はかな女心を悔やむ。
壷に潜んでいた源吾の前世の恋人、龍女の手助けで源吾は敵を討ち果たすが、龍女は源吾を冥界に連れ去ろうとする。
龍女と戦い壷を割ったお力の顔は元に戻っていた・・・


歌舞伎との出会い


 平成8年、3月5日〜17日に東京・国立劇場、20日〜25日に大阪・国立文楽劇場で、私が初めて書いた歌舞伎脚本「大力茶屋」が畏れ多くも人間国宝・中村富十郎主演で上演された。
これは、国立劇場が昭和53年から毎年行っている「新作歌舞伎脚本募集」の平成3年度の佳作入選作である。
舞台化の知らせを受けたのは忘れもしない前年の5月の雨の午後。
その日の日記を読み返すと「とにかくすごい。これは奇跡以外にないぞ」と書いている。

 私は昔、大河ドラマのシナリオライターにあこがれて通信講座でシナリオの書き方を覚えた。
それ以来、公募雑誌に載っているいろんなジャンルの募集に挑戦してきた。いわば、私の師匠は公募雑誌といえる。あるとき目にした新作歌舞伎募集の文字。
好奇心がふつふつと湧いてきたものの本物の歌舞伎に接したこともなく、いわんや歌舞伎脚本など読んだこともない。図書館にズラリ並んだ全25巻の歌舞伎全集を横目に睨んで通りすぎようとした時、ふと、「新作というのなら何も古典の真似をすることはないんじゃないか」「確か三島由紀夫も新作歌舞伎を書いていたはずだ」と思い、探してみた。

 あった。「鰯売恋曳網(いわしうりこいのひきあみ)。鰯売りの声に恋して城を抜け出し、今は遊女となったお姫様と、その遊女に一目惚れして大名に化けて廓に乗り込む鰯売り。なんともメルヘンチックで面白い。
三島は「新作歌舞伎を作るにあたっては封建道徳と義理人情を取り去って、すべてを人間的動機からだけ組み立て、人間的な悲劇、人間的な喜劇を創造すべきだ」といっているではないか。

       

 書くにあたっては岡本綺堂などの新作をいくつか読み、喜劇でいくことに決めた。
力持ちの遊女を主人公にするつもりが、書いているうちに何故か、主人公は飯盛り旅籠(めしもりはたご)の下女になっていた。
・・・ある日鏡をのぞいたら絶世の美女になっていた。
お伽話の中でしか通用しない話だが、大切なものと引きかえに美しくなることができるなら私は何を犠牲にして美を得ようとするだろうか。
お力は夫を愛するがゆえに自分の醜さを恥じ、天下無双の大力と引きかえに絶世の美女となるが、夫の危機に面しては美しい顔など何の役にも立たず、自分の愚かさを悔やむのである。舞台では、芸域の広い富十郎丈が、お力を人間味豊かに演じてくださった。




制作発表の記者会見で。
中央が中村富十郎先生、右が演出の織田紘二氏