○ 「みそ」について


      インテグレーションをする場合の理由として、よく「社会性を身に付けるため」と
      言われてきました。  それは、事実なのか?  この点を鋭く指摘しています。


2802.「配慮なしに」とは 投稿者:にこにこおに  投稿日: 7月31日(月)09時52分43秒 アースさん: >ここでおっしゃられる「配慮なしに社会に参加するため」とは >どういう意味でしょうか? 子ども集団に入るにあたって、「みそ」にならない、ということです。 「みそ」という言葉は地域によっていろいろかもしれませんが、 子どもが集団遊びをする時に、ルールが理解できない小さい子どもを 遊びの中に特別に入れてあげる時の、あの「みそ」です。 子ども集団には、それなりに厳しい規律があって、 その規律に従ってうまく行動できない子どもは、 攻撃されるなり排除されるなりして、一定の社会的制裁を受けます。 そういう集団の中で「もまれる」ことによって、人間は社会性というものを 身につけていくわけです。 通常「みそ」というのは、正規のメンバーになる前の「見習」期間なのですが、 耳の聞こえない子どもは、「万年みそ」になりかねない。 そのような状況では、社会性を身につける機会を失ってしまいます。 つまり、私が書いた「配慮なしに」は「みそにならずに」と言い換えてもいい。 ろうの子どもは、ろうの子ども集団の中でこそ、「みそ」にならずに 社会の一員になれる(正確にいうなら、「みそ」を経て「正規メンバー」になれる)。 そのような機会を子どもに与えるには、手話とろう児集団が不可欠だと書いたわけです。
2810.社会の一員 投稿者:にこにこおに  投稿日: 7月31日(月)17時21分59秒 アースさん: >ろうの子供はろう児の社会でこそ社会の一員になれる。  よく分かりました。 >しかし、ろう児の集団はそんなに長く続きません。早ければ小学校、遅くても >高等部を卒業すればまったく違う世界に飛び込むことになります。 >それ以降はその社会の一員になれない。そう見えるのですが? 子ども時代に、ひとつの社会で正規のメンバーになるということが、 決定的に重要だと考えます。 ひとつの社会で正規のメンバーとして認められた人だけが、 別の社会でもうまくやっていくことができるのです。 子ども時代に、どの社会でも正規のメンバーとして扱われなかった人は、 大人になってからも、どの社会にも属することができないということに なりかねません。 これは子どもに背負わせるにはあまりに大きなリスクです。 この件については、「子ども時代に」というのがポイントだとご理解下さい。 ここで「子ども時代」とは、6歳から12歳くらいまでを想定しています。
2811.にこにこおにさんへ 投稿者:アース  投稿日: 7月31日(月)19時29分02秒 これを見ると、一種のエリート主義に感じますが? 一つの社会で認められた人だけが別の社会でもうまくやっていけるというのは エリート主義にも通じるような言動ではないでしょうか? また、「一つの社会で認められた人だけが別の社会でもうまくやっていけると言いながら も認められなかった人はどの社会にも属することができないことになりかねません」とい うのは矛盾しています。なりかねませんではなく、できないと言うべきでは? 子ども時代は6歳から12歳ということですか。つまり小学校時代ですね。 とすると、この私はどの社会にも属することのできない人なんですねぇ。 なんせ、小学校は難聴学級にいたのですが、親学級でのいじめが原因で 4年生からずっと登校していないんですから。いわゆる登校拒否です。 その状況は4年生から卒業するまで続きました。3年間で登校したのは 半年間ぐらいだったと思います。小学校という社会で正規メンバーになれなかった私 ですから、今でもどこにも属せない人間ということになるんですね。 この考え方はちょっとおかしいのではないかと思いますが・・・。
2820.アースさんへ 投稿者:にこにこおに  投稿日: 8月 1日(火)00時41分30秒 その社会の規律を乱せば等しく社会的制裁を受けるという意味では、 正規のメンバーだからこそ「いじめ」という制裁にあう、 とも言えると思います。むしろ私は、 「いじめ」さえもうまく機能しないような状況を問題にしているのです。 アースさんが「エリート主義」と指摘するような、 社会的勝者だけを評価するような議論をしているつもりはありません。 いじめられない者だけが正規のメンバーとして認められていて、 いじめられている人は正規のメンバーとしては認められていない、 と言っているわけではないんです。 それから、アースさんが矛盾と指摘された部分については、 次のようなことが私の頭の中にあったのだと思います。 人間は子ども時代に経験すべきことを経験できなかった時に、 大人になってからそれらの経験を取り戻すことができるのか、 ということを考えた時に、それはまったく不可能だとは 言い切れないと思うのです。 アースさん自身が、いまどのような状況にあるかは、私にはわかりませんが、 いまうまくやっていけているなら、 登校拒否という形で「問題にうまく対処した」と言えるのかもしれないし、 子ども時代の「問題」を、大人になってから、何らかの形で「解決」した ということかもしれません。 まあ、私はできるだけ多くの子どもたちが「それなりにうまくやっていける」ことを 願っているので、その願い自体が、現実に「どうしてもうまくやっていけない」子どもを 否定するという側面をもつ、ということ自体を「エリート主義」と批判されるなら、 その批判は甘んじて受けるしかないのかなあ、とも思います。 でも、やっぱり、うまくやっていけたほうがいいじゃないですか。 なら、どうしたらうまくやっていけるのか、ということを考えていくほうが 建設的ではありませんか。
2834.「取り戻し」体験 投稿者:にこにこおに  投稿日: 8月 1日(火)23時50分20秒 アースさん: >私は子ども時代に経験をしたとはいえないのですが、いまでは十分に今の社会の >正規のメンバーとして認められていると思います。 アースさんは中学部から聾学校なのですね。 そこで、子ども時代(小学校時代)に体験すべきだったことを 取り戻せたということではないでしょうか。 そして、それが可能だったのは、アースさんがデフファミリーの出身で、 聾学校の社会の共通言語(手話)をすでに習得していたからではないのでしょうか。 アースさんのような「取り戻し」体験は、デフファミリー出身ではなくて、 聾学校社会の共通言語を中学部になるまで習得していなかった人にも 可能なことなのでしょうか。 アースさんはどのように考えますか。
2851.聞こえない子はどこに行けば? 投稿者:ゴジモンの母 投稿日:8月 2日(水)12時06分11秒 にこにこおにさんへ 書いていらっしゃること、よくわかります。アースさんが書いていたように エリート主義だなどとはけっして思いません。 ゴジモンはまさに「おみそ」でした。小学校時代の担任の先生にも、何度も その点が一番大きな問題だと訴えました。でも分かってはもらえませんでした。 低学年では遊びの場でのみそっかす、かくれんぼでゴジモンが鬼になると他の子 全員が一生懸命探しているゴジモンを残して、他の場所に移動して別の遊びを 始めてしまう。回りの状況がわかりにくい聴障児はみんながいなくなったのに 気づかず、いつまでも探していたり、四年生くらいになると、グループ学習が 始まり、図書館で調べ学習のとき、「ゴジモンは来なくていいよ。あとでうつ させてあげるよ」と言われたり、なにか大きなミスを犯してもみんなからの非難が なかったり、いろいろありました。でも、担任にはその問題が見えなかったですね。 「それは、回りの子のやさしさですよ。」と、子ども性善説に乗っとった考え方を 変えようとはしなかったですね。我が子の成長に大きな影響があったなと思えるのは 三〜四年生の頃のギャングエイジと言われる群れて遊ぶ悪ガキ時代がなかったこと ですね。そういう集団をつくろうと大学生のボランティアに毎週来てもらい、集団 遊びを続けてもらったのですが、大人が入ることはやはり大学生とはいえうまくいか なかったのかな、と感じます。難聴児の幼児期から継続しているグループ活動が なかったら、ゴジモンの学童期はずいぶん寂しかったなと思います。 そして、中学校に入って、テストの点数で評価されるという状況になったら、今度は いじめがはじまりました。同じ土俵で闘いうる相手だと認識されたのでしょう。 学校全体にオープンにしてくれ、いじめの全容を明らかにしてくれという私たちの 要望で担任はもちろん、やられていたゴジモンにも分からなかったいじめの実体が やっと解明されました。今はとりあえず落ち着いています。 にこにこおにさんの言われるとおりかも知れません。でも、6歳から12歳の間の 集団体験が将来的に大きな影響を及ぼすと書かれるととても悲しくなります。 そして、アースさんが書かれたように中学部からろう学校に入ってきた生徒は そこでも最後まで仲間はずれだったと知らされると、我が子のような難聴児の 行き場はどこにもないのだな、と改めて思ってしまいます。 にこにこおにさんの書かれているは真理かもしれませんが、真実ではないと 思いたいです。難聴児の教育についていろいろ書かれているある先生が言われた 「たった一人でいいんですよ。その子のことを分かろうとする、分かってくれる 人が一人だけでもいれば、その子は自分を保つことができるのですよ。それは、 教師でも回りの大人でも同年の友達でもだれでもいいんです。たった一人いれば いいんですよ。」その言葉を信じたいと思います
2873.ゴジモンの母さんへ 投稿者:にこにこおに  投稿日: 8月 3日(木)12時59分54秒 ゴジモンの母さん、ありがとうございました。 この発言を読むと、教育方針に関わる発言をするということは、 常にデリケートな問題を抱えているということを改めて思います。 ろう幼児を抱える親御さんに、こうしたほうがいい、と ある特定の選択を勧めるということは、 別の選択をして、いま中学生くらいになっている お子さんをもつ親御さんには、「あなたの選択は間違っていた」と 非難していることになってしまいますね。 でも…、そうだとしても、 私はいろいろなろう者やインテ者に会ってきて、 ずっと教育問題について考えてきた立場から (実は私、もともと教育学が専門だったんですね(汗))、 また、手話研究の専門家という立場からも、 自分が知っている情報や、その情報から導き出した自分の主張は、 明快な態度でもって、示していきたいと思っています。 他人である私の意見に耳を傾けるかどうかは、 みなさんがそれこそ自由に選択できるわけですから。 ただ、一連の主張が、結果として「あなたの選択は間違っていた」と 言っているのと同じことになって、誰かを傷つけることもあるかもしれない、 ということについては、つねに忘れないようにしたいと思っています。 そういうことを承知の上で、改めて私の意見を述べさせていただくと、 耳が聞こえない子ども(=聴の子ども社会で「みそ」になる程度の 聴覚障害をもつ子ども)には、ろうの子ども社会が必要で、 そういう子ども社会が、ろう学校にしかなければ、ろう学校の教育方針や 教育内容にどれほど不備があろうとも、 子どもはろう学校に通わせたほうがいい、というのが私の意見です。 その部分については、「バイリンガル教育か、聴覚口話法か」という 教育方法の議論を超越しちゃってるんですね。 もちろん教育方法に関してはバイリンガル支持者ですが、 仮に聴覚口話法のろう学校であっても、インテするくらいなら、 ろう学校に通わせたほうがいいと思っているわけです。 子どもが幼児であれば、親御さんにはそのようにアドバイスして、 「じっくり考えて下さい」と言うでしょう。小学校高学年だったりすれば、 「一刻を争いますよ!」と、かなり強く説得しようとするかもしれません。 子どもが中学生になっていたら? 「まだ間に合いますよ。ぜひろう学校へ」って言うでしょうね。 ただ、難しいのは、中学生くらいの年齢になってしまうと、 子どもにも「プライド」があって、これまで築き上げてきたものを崩して、 最初からやり直すということがかなり難しくなっている、ということです。 ここのところがうまく乗り越えられなくて、結局 ろう学校の子ども社会に受け入れられなかった、 ということになってしまったら、もともこもありません。 「自分の求めていた世界が、ろう学校にあった!」と、 子ども自身が心底思うような、そういう状況がないとうまく行かないでしょう。 体験入学制度とかほしいですよね。短期留学みたいな感じでもいいし。 龍の子のようなところも、そういう役割を果たせるかもしれません。 長文になってしまいました。 今後ともよろしくお願いします。
2880.みその話 投稿者:いのししの娘  投稿日: 8月 4日(金)01時23分00秒 いのししの娘です。 「みそ」についての話題、乗り遅れたけれども、私も一言。 ろう学校小学部低学年の頃までの話ですが、ろう学校から帰ったら、地域の子ども達 (聴者)と遊んでいました。でも、常に「みそ」状態だった・・。いつまでも「みそ」 扱いされるのが嫌になって自然にその集団から離れていったのは高学年に入ってから でした。これ、当たり前の現象だったのね、チョット安心しました。あ、もちろん、 にこにこおにさんの言葉を借りれば、ろう学校の子ども集団の正規メンバーだったか ら、地域の子ども集団の正規メンバーでいなければならない理由がなかったというの もありますけど。(いまでは大人になった地域の人たちと会えば挨拶は交わしますけ ど・・)もし、ろう学校に通っていなかったら、いつまでも「みそ」状態になってい たかもしれないな〜と思います。でも、インテした高校時代を振り返ってみると・・・ やっぱり「みそ」になっていたね〜。ま、高校生ともなるとみんな一応「大人」?に なりますから、そう露骨にはなりません けど。私自身もそれを覚悟していたという 部分もありますけど。やはり「みそ」にならないためには、お子さんは全員ろう学校 に〜♪ (といっても話はそう単純でない、複雑な事情をそれぞれ抱えていると いうのが悲しい・・・)
2883.みそ時代 投稿者:ちひねこ  投稿日: 8月 4日(金)02時05分14秒 「みそ」私もちょっと一言。 ろう学校幼稚部でははっきり言ってみそではなかったです・・・が!地域学校に 通ってた頃はみそでしたねぇ。 小学1.2年の時は露骨なくらいいじめられたし、 好奇の目にさらされたりしましたから。子供って素直な分残酷ですし。そんなとき にろう学校の同級生と会うとほっとしたり難聴学級の友達と遊んだりして、 随分救われました。 ですが、そのろうの友達と会っていて「みそ」だと感じ始めたのは、友達が手話を 使い始めてからでした。 私には理解不可能な言葉でしゃべっている!!言い様の ない疎外感を感じましたよ。 私は相変わらずキュードでしかコミを取れなかった んですね、その時は。 それが手話を覚えるきっかけになったとは思います。 で、「みそ」脱出できたかというと残念ながらそうとは言い切れません。 例えば、彼らがろう学校の思い出話で盛り上がっていて、私にはその内容が分かった としてもその味を知らないから話の輪には入り込めないのです。 「ろう学校かよっときゃ良かった」と思ってしまうのはこんな時ですね(苦) 自分の居場所をはっきり確定できないのって、実はとっても辛いことだと思います。 難聴者や中途失聴者の苦しみも、そこにあるのではないでしょうか?
2886.「みそ」と選択 投稿者:ゴジモンの母  投稿日: 8月 4日(金)11時41分19秒 にこにこおにさんへ ご返事ありがとうございます。「あなたの選択は間違っていた」と非難されたと 感じたのではないのです。ただ、私自身でも気づかないうちに、13年の子育ての 間にいつとはなしに涙の溜まった小さな風船というかヨーヨーのようなものを、 自分の回りにいくつもぶらさげていたのでしょうね。その一つがたまたま、ちょっと したでっぱりにぶつかり、飛び散ってしまったのかも知れません。感情的な書き込み で、お恥ずかしい限りです。 基本的にはにこにこおにさんの書かれているとおりだと思います。大杉豊さんや 上農先生にいろいろ指摘されているとおり、インテには大きな問題があります。 「こどもの権利条約」の特記事項として、なぜ聴覚・視覚障害が別学を認められて いるのか、その理由もよくわかっているつもりです。(生半可かも知れませんが・・・) ただ、一つだけ、学童期に大きな問題があっても、子どもは(大人になっても) 変わりうると私は思いたいです。人間は変わりうるのだと思いたいです。 ゴジモンは聞こえにくい子です。最近何かと話題になっている65dB(良耳聴力) です。電話も使えますし、補聴器がよく使え、静かな教室環境やFMがあれば、授業 内容にもほとんど困りません。でも、聞こえる子ども同士のグループ内でのやりとり、 遊びの中での変化の多い素早いコミニケにはついていけません。 また、彼が「みそ」になったのは、聴障だったというだけでなく、運動が不得手で、 動作がのろいという点と、聴力のわりに発音が厳しかった(構音器官の関係で)と いう点が大きかったかなと思います。<耳の聞こえない子ども(=聴の子ども社会で 「みそ」になる程度の聴覚障害をもつ子供)>と、書かれていましたが、聴力レベル だけではなく、その子のキャラクターも大きく関係があるかと思います。 我が家では、就学時や中学進学時にも、ろう学校を見学はしても選択はできません でした。子ども集団の大切さを親が本当には理解していないからだと、言われれば それまでですが、学習面でのネックは大きかったです。ゴジモンの聴力では 筑波大付属の受験資格もないんですよね。 でも、この秋には、太田ろうや平塚ろうを見てこようかと思います。文化祭にも 行ってみようかと思っています。 立川ろうの高等部では、確か1〜2週間の体験入学制度を行なっています。 高等部は、他の学校でもやっているのではないでしょうか? 長くなって済みませんでした。 「みそ」に関して、書き込んでくださった方々、ありがとうございます。 ゴジモンも、この頃よく小学校時代の話をします。あの時はこうだったんだよ、 こんなふうに思っていたんだよ、と。親の立場で見えていたこととずいぶん違って いたり、でもとても楽しいです。そんなときは私の涙のつまった風船が一つずつ 空に飛んでいくようです。
2887.「みそ」 投稿者:Mogura  投稿日: 8月 4日(金)20時39分05秒 にこにこおにさんの「みそ」問題発言、とても興味深く読ませて頂きました。 さすがに、基礎研究をきちんと押さえているだけあって、説得力のあるものと 受け止めさて頂きます。正直、私も目からうろこ状態でした。 お話の中にありました中で、一点だけ個人的に気になることがありました。 インテしている聴覚活用可能な難聴中学生であっても、ろう学校へ行った方がいい と説得するというのは、やや一方的な感じがして、イマイチ納得できかねます。 例えば、家内のいたろう学校ではやはり、いじめとか勉強についていけなくて、 インテ先から転校された難聴者も何人かはおられたそうです。中学時代に入って こられた一人は、ろう学校でもいじめにあって、行き場もなく非行に走り少年院へ 行ってます。あるデフシスターズなんかは、皆と違って書記日本語ができる点で 排他視されて、結局、回りに合わせるがために学力も止まり、日本語の読み書き の力も落ちたとおっしゃっています。もちろん、学校側の問題も大きいでしょうが このことから、難聴者のインテの問題は大きくクローズアップされることと思い ます。私も統計的に調べた訳でもないし、実際にお会いした方々とお話して得た 情報としか申し上げられません。逆に、インテ先からろう学校へ戻って良かったと いうご意見とかも拝聴する必要があると思いますね。どなたかいらっしゃいませんか? 自分自身の経験からすると、小学校は難聴学級で過ごし、その後は地域校へ通った 訳ですが、いじめは始めから覚悟していた訳でして、それだったら孤独に強くなろう と自分を鍛えたわけです。もちろん、たまには難聴学級時代の友人と会っていたから、 いじめにあっても何とかやってこれたことは否めません。高校に入るとさすがに回り も大人になって聴障だからといって、変なことはなかったです。 従って、今と昔でインテ背景がずいぶんと変わったのかどうか知りませんが、その子 その子のセンスに合ったケースバイケースなアドバイスが必要と思いつつ、実際には 多くの難聴児や親御さんが悩んでおられることは胸が痛みます。
2889.中学部以降でもろう学校への問題 投稿者:にこにこおに 投稿日:8月4日(金)23時22分13秒 Moguraさん、これからもよろしくお願いします。 >インテしている聴覚活用可能な難聴中学生であっても、ろう学校へ行った方がいい >と説得するというのは、やや一方的な感じがして、イマイチ納得できかねます。 これはたしかに、難しい問題ですね。 Moguraさんのおっしゃるように、インテからろう学校の中学部、あるいは高等部に 入ったケースで、ろう者社会の中でうまくやっていけている、というケースは、 割合からすれば、とても多いとは言えないというのが現実ですね。 いまのろう学校の現状では、インテからろう学校に移った生徒の多くは、 学力という面ではろう学校の生徒よりもすぐれていて、 ろう学校の生徒たちに対して優越感や差別意識をもちがちです。 そういう感情というのは、ろう学校の生徒たちのほうも敏感に感じますから、 そのような新参者に対しては、排他的になるのも当然ですね。 ちょっとステレオタイプな比喩になってしまいますが、 都会っ子が田舎に転校したような状況を考えるといいかもしれません。 都会っ子がちょっとでも都会っ風を吹かすような素振りを見せたら、 田舎の子達は、絶対にその都会っ子を受け入れることはありませんね。 猛烈ないじめをすることでしょう。 例えば、都会っ子が田舎の子のたくましさとかに敬意をいだく、 そのような都会っ子の態度を見て、田舎の子達も、都会っ子の洗練された思考や 行動に敬意をいだく、そんなふうにお互いに敬意を抱きあうような関係が 生まれなれば、とてもうまくやっていくことはできないでしょう。 (ちょっとステレオタイプが過ぎますが、まあ、比喩ということで、許して!) インテの子が、自分の弱さを素直に認めて、ろう学校の子どもたちがもっている 「たくましさ」みたいなものに敬意をいだけるかどうか。 自分が優位にたっている学力と、ろう学校の生徒にはかなわない「たくましさ」 というものを同等の価値をもつものとして、受け入れることができるかどうか。 ろう学校の生徒達の学力がもっとあれば、このあたりもっとスムースにいくと思うんです。 元附属ろう学校の先生、伊藤政雄さんは、ろう学校時代、口話クラスにいたそうです。 当時は、学校内が口話クラスと手話クラスに分かれていて、 伊藤政雄さんは口話クラスの先生たちから、手話クラスは馬鹿の集まりだから、 ああいう連中とつきあってはいけないと、いつも吹き込まれていた。 だから、ずっと軽蔑していたのだけれども、ある時、手話クラスの人たちと 話してみたら、彼らは人間的な魅力にあふれているということを知った。 しかも、先生が言うような「馬鹿」なんかではなく、実際博学な人が多かった。 それからは、手話クラスの人たちの中に入っていって、いろいろなことを学んだ、 だからこそ、今の私がある、そんな話を聞いたことがあります。 この時、手話クラスの人たちは、実際「博学」だったんですね。 これは実はとても重要なことだと思います。 人間的魅力とか、たくましさとか、そういうものは、一応価値のあるものとして 誰もが認めているけれども、人間、実際には目先の学力とか知識量だとか、 そういうものに惑わされやすい。 インテの子は、インテ時代、クラスメートと対等に張り合うには、 学力で勝負するしかなかった子が多い。 だから、学力は自分のアイデンティティの核なんですね。 そういう子どもなら、なおさらです。 現状のろう学校の生徒たちは、学力が低いために、そういうインテの子にとって、 敬意をもって向かい合う対象になりにくい。 これでは、うまくいくはずもないですよね。 「大切なのは学力なんかではないよ。彼らには君にはないたくましさがあるだろう?」 なんて、諭してみたって始まりませんよね。 敬意なんて、感じるものであって、諭されてわかるものではない。 というわけで、ろう学校の生徒達の学力を伸ばせないろう学校教育は、 ろう学校の生徒達の潜在能力を見殺しにしているだけではなくて、 インテで居場所を見つけられなかった子どもたちの、やり直しの場をも奪っている、 とも言えなくもない?! ですから、Moguraさんの指摘は「ごもっとも」という感じです。 「腐ってもろう学校(?)」とは言いつつ、やっぱり「腐った鯛」は食べられません! でも、ろう学校を変えるには、まず自身がろう学校を選択しないと! そうでないと、何も始まらない! だから、この掲示板に集う親御さん方の中で、とにかくろう学校を選択した、 という方々に敬意を表しつつ、できるだけのお手伝いをしたいと思っています。 なんだか偉そうな発言で、すみません。 でも、最近の親御さんパワーには、圧倒されています。 私もがんばりますよ!!(本業の手話研究のほうも!(汗)) またまた長文で失礼しました。
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