○ 手話導入がろう学校幼稚部にもたらしたもの


      手話を幼稚部から導入した、広島ろう学校の保護者の意見(アンケート結果)と
      実際に広島ろう学校を見てきたKANAさんの報告です。


「幼稚部におけるコミュニケーション手段が手話中心と       明確に位置づけられた前後の親子関係の変化について」 ** 保護者に行ったアンケートの結果 ** 1.改善点(以前より良くなった点) (1)子どもの様子が変わった。 ・手話だと意味も同時に理解できるので、言葉の獲得が早く明確になった。 ・自分の気持ちを表現しやすくなった。 ・明るく活発になった。 ・子ども同士のコミュニケーションが深まっている。 ・成人聾者とは、同じ言葉を持つ仲間として会話ができる。 これを通して、聞こえる両親が与ることができない自然な会話を 身につけることができる。これが子どもの財産になっている。 (2)親子間のコミュニケーションが取りやすくなった。 ・会話の内容に広がりが見られ、聞こえる子どもと変わらない。 ・細かい会話が簡単にできるため、会話そのものが生きてくるようになった。 ・「とにかく言葉を教えなきゃいけない」という意気込みが薄れて、 会話そのものを楽しめるようになった。 ・会話を楽しめる余裕が生まれ、親も表情が豊かになった。 ・「なに?なに?」とたずれてくる内容が変わった。以前は、 「何を言ってきたのか」キャッチできなくてたずねてくることが多く、 その内容や意味までは届かなかったが、それはすごく減った。 今は、むしろ逆に、「音韻レベルではわかったが、その内容がわからない」 という意味でたずれてくることが増えた。 (3)自分の子ども以外の子どもとの会話ができるようになった。 ・しつけや注意、励ましなどの語りかけがスムースにできるようになった。 2.課題 (1)両親側の手話力不足 ・聞こえる両親の手話力と聾両親の手話力の違いが大きく感じられる。 ・伝えたいことが全て伝えきれないでいる。話す途中で顔の表現や身振りで 補うことがある。微妙なニュアンスの違いやズレを感じ、葛藤を覚える。 その結果、「大まかに伝わればよし」と済ませてしまう。 ・1つの言葉にいろいろな言い方があることを子どもに伝えたいが、 両親の手話力が不足しているので、子どもにとってはその言い方が広がらない ような感じがする。 ・父親の手話に対する意識が薄い。家庭内では、父親だけがまるで他人みたい。 (2)子ども側の手話力向上に伴って、読みとりが追いつかなくなっている。 ・どこから覚えてきたのか、親の知らないところで新しい言葉(手話)を どんどん吸収しているため、親がそれに追いつかない。 ・子どもの方から「これ何?」ときいてきたときに教える手話がわからない。 ・現在、テレビのニュースに興味を持っており、説明を求められるように なってきたが、十分に説明できる手話力がない。追いつかない。 ・子どもが手話で早く、小さく話しかけてくる。 ・日本手話のような手話で話しかけてくることが増えた。 (3)発音をさせる拘りが薄れ、発音に対する意識付けや姿勢が緩やかになった。 ・会話を楽しめるようになったため、音声を出させる意識が薄れてきたし、 子どもも声を出すことが少なくなってきた。しかし、必要な場面では出している。 ・手話で十分話せるので、音声での会話にもそろそろ挑戦させたい。 (4)音声言語・書記言語へどのようにつなげていくのかが心配。 ・手話はできるが、指文字はまだあまり覚えていないのが心配。 3.考えられる対策 2の(1)(2)については、現在行っている手話教室を充実させたらどうか。 たとえば、遊び時間中での子ども同士の会話をビデオ収録して、 読みとりや表現を学習していく方法が考えられる。 また、父親に対しては、子どものことを話しているときなどにおいて、 手話教室に参加した母親を通して手話を学んでいくという方法が考えられる。 2の(3)については、担任・両親側の姿勢や対応の問題であり、 これからも担任との連携を密にしていく。 2の(4)については、教科が始まる小学部では最重点として取り組んでいる。 幼稚部においても当然取り組む。 なお、指文字については、子どもの年齢が低いため、しっかりした形に 表現できなくても当然。しかし、子どもは表現しているつもりなのだから 認めてあげることが大切。聞こえる子どもが曖昧に発音しているのと同じ。 4.その他の意見 (1)子どもがわからなくても、親として伝えたい言葉は伝えることが大切。 積み重ねで子どもはその言葉の意味を知ることができる。これを通して いろいろな言い方がわかっていくようになると思う(2の(2)に関して)。 (2)「子ども手話ウィークリー」を親子で毎週観ている。各家庭がこれを もとに親子で会話したらよいのではないか。 (3)きょうだいそろって聾の場合でも、上の子どもが下の子どもにいろいろな ことを教えているし、両親に対しても下の子が手話だけで言ってきたことを 指文字や口話をつけて上の子が通訳している。きょうだいの会話が通じており 当たり前の人間関係ができている。 (4)きょうだいのどちらかが聞こえている場合、ろうの子どもには手話を、 聞こえる子どもには音声言語を、一緒にいるときには手話と音声言語を 一緒に使っている。きょうだいの間のコミュニケーションが、その場でも 成立しているのを見かけることがある。 5.まとめ ・幼稚部の段階から手話を教育の中に取り入れていく環境の中で 子どもがのびのびと育っていく姿を見て、幸せだと感じる。 ・手話から得るものが多く、大切なものと受け止めている。 ・幼稚部は、子ども達が安心できる場所としていただきたい。 ・子ども達にとって本当にいい方法を教えていただき、一生懸命になって 下さっていることに心から感謝している。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 以上のように、幼稚部が手話中心になったことを、保護者はたいへん肯定的に (教員の想像以上に)受け止めておられるようです。 ========================================= いけとう かずひろ hatsuko@do.enjoy.ne.jp =========================================
744.広島ろう訪問の感想 投稿者:KANA 投稿日:12月28日(火)17時00分37秒 とにかく,広島聾幼稚部のレベルの高さには,脱帽でした。 (あ,べつに,小学部以降が低いわけではないですが…) なぜ,この学校がメジャーにならなかったのか,不思議です。 理由は単純で,「発表をしないから」と,あまり他校に足を運ば ないので(たぶん),自分の学校が「すごい」ということに気づい ていないから,でしょう。 「すごい」のは,2点。 幼児のコミュニケーション能力と,先生の手話の技術です。 何がそれを支えているか,ということには,いくつか理由が考えら れます。 1)乳幼児(0〜2歳)担当を,聾者教員がやっている。(聴者教員とペアで) 2)両親聾の子どもの比率が非常に高い。  幼稚部全体で言えば,4割ほど。クラスによっては,5割。 3)聴者両親の意識が高い。(これは,2)の影響かと思われますが。)  さらに,こうした状況が生まれるに至った背景には,まさに「広島」 を感じさせるものがあるのですが,それには触れないでおきます。 1)については,前から話としては聞いていたのですが,やはり「百聞 は一見にしかず」でした。その先生が,特に幼児教育の専門という わけではないと思うのですが,やはり,聾者である,ということは大きい。 ことばかけの1つ1つが,きちんと子どもにわかるように発するし,わず かな反応も,取り上げられるのです。つまり,「通じる」ということが体で わかっている。こうした経験の積み重ねの中で,聾児は「通じる」という ことを身につけていくのだろうと思いました。  最初に見たのがこのクラスだったので,これは驚きでした。  さらに,子どもの力が,信じられないくらいに高い。  例えば,先生が絵本の読みきかせをしたときのこと。  サンタクロースの話で,サンタのおじさんは1月から2,3,4,…と, 毎月準備を重ねて,12月24日を迎えるのです,みたいな話。 非常に,子どもにとっては,長い話なのですが,ジーッと,先生の話に 注目しているのです。  そして,ただ見ているのではないのです。  例えば,3月の話が終わって,先生が「次はね…」とめくろうとすると, こどもの方からみんな一斉に,「4!」と手話でいう。  さらに,「4月には,トナカイさんの学校で,新しいトナカイさんの子ども たちが学校に入るんだよー。それでみんなと同じように勉強して…」と 説明を先生がすると,子どもは手話で,「なるほどなるほど」。 さすがに,「なるほど」っていう手話をしたのには,大笑いしてしまいましたが。 (ふつー,子どもが言いますかねぇ)  また,別の時間。幼稚部全体が集まって,お誕生会。  これがまた,驚くほど,子どもたちが集中して,先生を見るんです。 たいていの聾学校では,目をそらす子どもを「前を向きなさい!」とか, 言いますが,それがない。  そして,これも,ただ見ているのではなく,先生の促しのタイミングに あわせて,適切な反応ができる。  ちょっと感動しちゃったのは,先生が「○○ちゃん,誕生日,おめで とう!」って言うと,それまで座っていた子どもたちが一斉にその子の ところに駆け寄って,一斉に抱きしめてキスの嵐。…なんだか欧米 みたいですが。それが,なんだか強制されてのルールみたいな感じ じゃなくて,すごく自然だった。少なくとも先生に促されて、やっている のではない。つまり,強制されたから座っているとか,話しを見ている のではなく,話しがわかるから,集中して見ているのです。   そして,その時間が終わって,自由遊び。  ある子どもが,僕の手を引いてくれて,外につれていってくれました。 そこでの様子に,またまたビックリ。例えばかけっこ。見る見るうちに, 子どもの間でルールができあがっていく。最初は二人で,「ヨーイドン!」 で走っていただけだったのが,しばらく目を離して,戻ると,スタートと ゴールがはっきりして,判定者兼スタートの合図をする人がいて,数人 の走者がいて,走り終わると,誰が一番で誰が二番で,誰がビリで, というのが決まる。 また,別のところで,ブランコ。 ある女の子が乗っていて,遊んでいたのですが,降りられない。 そこに,2人の別の女の子。1人は年長組の子のようでした。で, 乗りたいのは,もう一人の子。年長の子は,「かわって」とブランコの 子に言いました。載っている子は「速い,ムリ」(すでにブランコのス ピードが結構速くなっていたのです)。すると,その年長の子は,隣 にいる年下の子に「危ない(から)待って」といいました。そして,ブラ ンコのそばに行って,そのブランコを止めて,交代させたのです。 これを,子どもたち同士で(先生がいないところで),やったのです。  これには,感心のあまり,言葉も出ませんでした。 聾学校のよくある光景では,先生が間に立って,「○○ちゃんが 変わって欲しいって。○○ちゃん,『かわってー』って,いおうねー。」 …「△△ちゃん,『いーよー』って,いおうねー。」…「○○ちゃん, 『ありがとー』って,いおうねー。」ってところでしょうか。  その女の子3人組は,その後,また別のところで,4人乗りの大き なブランコ(?)に一緒に乗って,楽しくおしゃべりしていました…  また,年長組では,劇遊びをしていました。子どもたちが舞台に上がっ て,お芝居をしていました。で,「今度,学芸会か何か,発表でもするん ですか?」と,ガイド役の I 先生(本当にありがとうございました)に 聞いたところ,「いや,たぶん,『赤鼻のトナカイ』の歌につなげようと しているんだと思います」とのこと。確かに言われてみれば,その歌の歌 詞の内容を子ども同士で演じているよう。先生は,ニコニコ笑って見ている。  後述談ですが,私の参観後に引率してくれたI先生が確認をされたらしく, そのことのメールを帰宅後に頂きました。以下の引用がそれです。 ---------------------- >  もともと、あまり時間がなかったことから「赤鼻のトナカイ」の歌を > うたうだけの予定だったそうです。ところが、子どもたちが「勝手に」 > ステージに上がり、劇遊びを始めてしまったので「まぁ、いいか。確か > にただ歌うだけより楽しいし。」と、教員もそれにのってしまったとい > うことでした。 >  このようなことは、よくあるのだそうです。 ----------------------  そして驚いたのは,そうした子どもの手話を,先生が(完全ではない にしても)まあまあちゃんと読みとって,やりとりが成立していることです。  その先生方の手話技術がなぜ身に付いたのか。これに納得させら れたのは,ホールの後ろで,聾の親が声無しの手話(私にはJSLに 見えたのですが)で雑談(?)していたときのこと。 「あの3人は,みんな聾のお母さんですか?」と,これまたガイド役の I 先生に聞くと,「いや,真ん中の人は先生です」との返事。  考えてみれば,それだけ聾のお母さんの比率が多ければ,先生の 手話も磨かれるのかもしれません。  幼稚部の聴能担当の先生も,とても流ちょうな手話で,聾のお母さ んとお話しされていました。  もちろん,みんなが均等に手話が流ちょうというわけではなく,上に挙 げた先生は,個人的な聾者との交流があって身に付いた手話だとの ことですが。  でも,結構大勢の先生方に共通していたのが,声を出しながらも, 日本語と手話とが干渉してしまう時には声が消えてしまったり,あるい は「先生がやるの?」と声で言いながら,手話は 「PT1,<する>,PT1,(疑問の)NMS」 みたいな,手話独特のポインティング等が発せられていたこと。  声があるから対応だ,とか,ないからJSLだ,とか,そういう単純な 問題ではなく,(教育的配慮として)声を出しながらも,手話として子ど もに通じさせるために必要なマーカーや,分の切り方なりを,無意識 のうちに使っているように思いました。 (全員が,とまでは言えませんが。)   ただ,もう1つ,触れておきたいことがあります。  それは,先生方,謙虚なんです。  本当は読みとれていない部分があることを自分たちで実感している から,「通じない」ことに正直だし,手話ができているとは思っていない。 だから,「自分たちなど,とてもとても,発表できるレベルではない」と おっしゃる。  乳幼児相談担当の聾の先生に,子どもの様子を見た感想を言うと, 「ウチではこれが当たり前ですから…」とおっしゃる。つまり,何に私が 驚いているのかが,不思議なのでしょう。  見学後の雑談で,I先生も言ってました。「『…法』ってつけるの はちょっと,恥ずかしいから…それに,そんな決まったやり方を統一 的にまとめたわけじゃないですし」と。  私:「じゃ,『広島法』ってことでは?」  I先生:「うーん…『法』じゃなくて『風』くらいなら…」  私:「それじゃお好み焼きだって。」  …つまんないオチですみません…。(^_^;)  「○○法」という言葉を拒否し,聾にとって「当たり前」の姿を謙虚に 求めるあたり,奈良ろうの考え方に通じるものを感じました。  広島が今の体制になったのは,ここ数年の話。正確に言えば,この 体制になったことで,インテを選択せず,広島聾に残ろうと考える親が 増え始めたのが,ここ数年の話とのこと(それまでは,「できる」子どもは インテしていってしまった)。  この成果が現れるまでには,彼らが成長するまで,もう少し見守る 必要がありそうです。 (小学部以降の先生の手話スキルの向上も絶対必要ですが…) (おしまい)
もどる