○ 音声言語と聴覚活用



                           「音声言語と聴覚活用」

                                          広島県立広島ろう学校聴能室 池頭一浩
 
 
私達は,なぜ,聞こえない子ども達に補聴器を装用させるのでしょうか? 
答えを簡単にいうと,「音声言語の獲得を補助することを期待して」です。
言語の獲得期にはそれに適した一定の時期があり,「脳の可塑性」からみても,できる
だけ早期に聴覚障害を“発見”し,補聴器の装用や聴覚学習などの取り組みを行って,
音声言語の獲得を目指していくというのが,以前から聴覚障害児教育の主流になって
います。
では,聞こえない子ども達は,それらのアプローチで音声言語を自然に獲得できるの
でしょうか? これについて考えるときに,是非とも理解しておきたいことがあります。
次の3点です。
 
 (1)「聞こえない」とは,どういうことか?
 (2)「音声言語」とは,どんなものなのか?
 (3)「自然」とは,どういう状態を指すのか?
 
前回の学習会では,@について学習しました。難聴の種類や程度,補聴器の効果と限界
など,「聞こえない」という状態に関する説明を中心に行いました。
今回は,Aについて学習します。音声言語はどのようにして成立しているのかを学習し,
これを獲得するためにどんな条件が必要なのかを考えます。
 

2.言語とは何か
 
ここでは代表的な二つの考え方を紹介します。
 
(1)「言語とは,思考とコミュニケーションの道具である。」
(2)「言語とは,記号の共時的“体系(システム)”である。」
 
(1)についてはこれまでにも何度か触れているので,ここでは,(2)について
考えていくことにします。  どんな言語にも,独自の体系があります。体系とは,単語,
文法,ことばの用法など,その言語を使うときの相互了解的、社会的なルールだと理解
して下さい。  たとえば歯が痛いとき,私達は「目がかゆい」とか「お風呂に入りたい」
とは言いませんし,言っても通用しません。そういうときには,「歯が痛い」という
ものだというルールがあるわけです。それは,強制的なものですが,長い年月のうちに,
社会の変化と「合意」によって変わっていきます。
 

3.音韻(音素)
 
「未知のことばを調べる場合に,そのことばとは,オト(人間が口から発する音声)の
流れとしてしか存在しない」。  これは,有名な言語学者の言葉です。
未知のことばを理解していくためには,まず,それがいくつの,またどのような「オト」
という部品によって構成させているかを明らかにしなければなりません。
 
言語を構成する最小の単位を「音韻」(音声言語の場合は音素)といいます。
簡単にいうと,「a」「i」「u」「e」「o」などのことです。
音韻の組み合わせによって単語が作られ,単語の組み合わせによって文章が作られますから
とにもかくにも音韻(音素)をきちんと分類することが,未知の言語を研究するときの
基本・土台になります。
 
音韻は,それ一つでは意味を持たないどころか,存在することもできません。
「a」は,「i」や「u」との対立的な関係の中ではじめて存在します。
そして,違うもの(音韻)を組み合わせることによってはじめて意味をもった「ことば」
として機能するようになるのです。「ちがう」ということが,すべての根本にあります。
同じであれば,それは記号として成立せず意味もなしません。人名や地名だけでなく,
車のナンバーや電話・FAX番号もそうですね。
 
具体的な例を出してみます。次にあげることばは,どういう意味でしょうか。
 
(1) aaaiaeoeau aaeaaaai
   (あああいあえおえあう ああえああああい)
 
わかりますか?
 
(2) aaaeaiaiao aaiaaaae
   (あああえあいあいあお ああいああああえ)

わかりませんよね。次はどうでしょう。
 
(3) aaaaaaaaaa aaaaaaaa
   (ああああああああああ ああああああああ)
 
(4) a      a   a       a a
   (あ  あ あ   ああ)

わかるはずがありませんよね。種明かしをします。
これらは,次のことばをもとに変形させたものです。
 
  「wagahaiwanekodearu namaewamadanai」
 
 「わがはいはねこである。なまえはまだない。」

これは,夏目漱石の小説『吾輩は猫である』の一文です。
(1)は子音を除いたもの,
(2)はさらに「i(い)」と「e(え)」,「u(う)」と「o(お)」を混同したもの,
(3)はさらに「a(あ)」以外の音を全て混同したもの,
(4)は音韻の数も変えたものです。
 
前回の話を思い出して下さい。感音性難聴は,音がとても小さく聞こえるだけでなく,
歪んで,あるいは部分的に音の情報が欠落してしたりするために,最適に調整された
補聴器を装用しても,音がハッキリと聞こえるようにはなりません。
(1)は高域が聞こえにくい子どもの聞こえを,
(2)と(3)はさらに母音の聞き分けも難しい子どもの聞こえを,
(4)は音そのものがほとんど聞こえない子どもの聞こえの様子を,
それぞれ模式的に表しています。
 
「音韻(音素)の差異(ちがい)」がわからなければ,このように,音声を言語として
理解することはできません。曖昧に聞こえたものを自分で想像し,類推し,つなぎ
合わせていくことで,その音がどういうことばのかを考えていく作業を,
聴覚をかなり活用している難聴者でも毎日行っています。
当然,頻繁に間違いを起こしますし,大きな心理的負担も伴います。
そして,聴力が厳しい子どもの場合,その作業は困難を極めます。
 
 
4.言語と認識
  
有名な言語学者や思想家のことばを借りると,言語なくして思考や認識はなく,
どのような言語を使うかによって,その人の思考や認識の仕方や深さが異なってくる
ということを言っています。このことから,必然的にいえることがあります。それは,
「曖昧にしか授受できない記号を素材にする限り,その人の思考も認識も曖昧になり,
曖昧模糊とした精神世界に住むことを強いられる」ということです。
 
聞こえない子どもにとって,音韻(音素)の差異がしっかり,そして無理なく理解
できる素材はあるのでしょうか?  もしあるとすれば,一体何でしょうか?
あります。
それは,視覚を通じて入っている記号素材です。手話であり,指文字であり,文字です。
せっかく使える素材を使わない手はありません。それらにより,きちんと現実世界を
認識し,他者とやりとりし,自己を確立していくことが大事だということが
これまで述べてきたことからいえると思います。それなくして書記言語力も教科学力も
考えられない筈です。そして,その子のもつ条件に応じて,無理のない範囲で音声も
「武器」として使っていくというのが現実的ではないでしょうか。
しかし,そうしている教育・療育機関は全国でもまだほとんどありません。

                             {2000年度 第2回保護者対象聴能学習会資料より}


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