○ 今の聴覚障害児教育の問題点

<聴覚口話の限界>

聴覚口話法は、昭和の始め、口話法からスタートして、現在までの長きに渡ってろう教育の主流を務めてきました。 その結果どうなったのか、

1、みんな、相手が話している内容を読み取れるようになったのか?
2、みんな、発音出来るようになったのか?
3、みんな、十分な学力がついたのか?
4、みんな、日本語の読み書きが十分に出来る様になったのか?

どうでしょう。 そうです、すべて“否”です。 達成できたのは、ほんの一握りの人だけなのです。 ですから、ここで言える事は、聴覚口話法は、やはり、万人の為の教育法ではなく、 特定の能力をもった、環境の整った、指導者に恵まれた、人の為の教育でしか無いと言う事です。 親は自分の子供に聴覚口話法を与える時、この事を十分に認識して下さい。

自分の子供が、聞こえないと分って、聾学校や、通園施設に行った時、そこできっとこう言われたと思います。

「聞こえないと言っても、補聴器を付けて訓練すれば聞く力はつけられます。」
「この子は喉に障害がある分けではないのですから、きっとしゃべれるようになりますよ。」

このことばに、勇気づけられ、絶望の淵から立ち直ったおかあさんは大勢いると思います。 確かに事実です。 でも、このことばにより立ち直った後の、おかあさんにさらに伝えなければならない ことばが残っているのです。

「でもね、この方法で上手く行く人はわずかなんですよ。」

これを正直に伝えている所がいったい いくつあるのでしょう。 大抵の所では、この方法で上手く行っていない おかあさんに

「ここで、頑張らなければ、いつがんばるの。」
「あなただけが苦しんでいるんじゃないの、みんな大変なのに頑張っているのよ。」

と言っておかあさんを激励します。 あたかも、ここで頑張れば、みんな上手く行くかのように・・・ でも、現実は違います。 もういい加減みんな分かってもいいはずなのに・・・

私ははっきり言います。
「いくら頑張っても、聞こえない子は聞こえる子のようにはならないし、しゃべれる子も わずかしかいません。 たとえ、そうなったとしてもすべておかあさんの せいではありません。 この方法に無理があるのです」

私は 聴覚口話法から出て来た母親法を 聴覚の能力を最大限に引き出す最善の方法だと思っています。 きっとこれ以上の教育法はないでしょう。 でもやっぱり、万人の為の方法にはなれないと思います。

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<インテグレーションの問題点>


まず、インテグレーションの問題点を述べます。 これについては、難聴児を持つ親の会機関誌「べる」No.98,99の中に掲載されている 上農 正剛 氏 の「インテグレーションの現状と課題」を一読される事をお薦めします。 現状のインテグレーション(以下インテ)の問題点を赤裸々に描いています。

私はこれを読むまで、インテの良い面を書いたものしか見たことがありませんでした。 せいぜいが「あの時は苦しかったけど、今では感謝している」的なものでした。 実際、私が聴覚口話で子供に教えていて、本当に上手くいくのだろうか? と思った時、帰ってくる答は「今は苦しいでしょうが、将来のことを考えるな ここで頑張らなければ」と言うものでした。 真実はどうなんだろうと思っている時この本はい言ってくれたのです 「あなた達は、このままで良いと思っているのか? わずかな成功例だけを見て、その影で泣いている多くの声なき子供達(サイレントマジョリティー) をどう考えるのか?」と言うものでした。 私がいつも子供を教えながら、思っていた 「こんな事をやっていて果たして、ことばは見に付くのか?」に対し、はっきりと答えてくれたのです 「上手く行くのは、ほんの一握りの子供たちだけだよ」と。 私としては、ショックと言うより、やっと本音で語る言葉を聞いたと言う、ホッとするような思いでした。

“サイレント マジョリティー”何かさみしい響きのあることばだと思いませんか。 学校を出て、有名大学に入ったとか、有名企業に入ったりした人は同窓会などに大手を振ってやってきます。 けど、上手く行っていない人は同窓会の隅でさみしく静かにしているか、出席さえもしません。 つまり、“サイレント”なのです。 何も文句は言わないのです。 さらにそれが、マイノリティー(少数派)では無く、マジョリティー(多数派)なのです。 聞こえない子供にとっては、“サイレント”の意味はこんな例では済ませられません。 文句を言おうにも言う“ことば”が無いのです。

ここで、インテの問題点を列挙するより、逆に私の考えるインテに成功する子供の例を出してみます。

1、幼児期(小学校入学前まで)にかなりの日本語力を獲得している。

親が配慮すれば、聞こえる子と同様の会話が出来ている、くらいかな? 学校に入ると、

2、担任が聞こえにくい状態を十分理解し、配慮できる先生である。
3、親が学校の授業の内容を完全に家庭でフォローできる。

などが、必要になります。いくら担任が配慮しても、40人近い生徒を見ているのですから、 授業の理解は家庭でしなければ不可能です。 これでどうやら授業について行ける状態です。 さらに学年が上がると

4、親や先生に頼らず、自身で参考書を調べ、学習できる。

思春期になると親の言うことなんか聞きませんから、それまでに自力で学習する力が必要です。 その上、学校の授業はほとんど聞こえていませんから学校に行かなくても参考書だけで 勉強できる位の力をもった子だけが学力の面で生き残れます。 精神面で言うと、

5、自分から、どんどんクラスの中へ入っていける。

やはり、かなり頑張っても、聞き取りにくく、発音も不明瞭ですから、自分から、関わらないと クラスの中へは溶け込めません、当然この時、担任の配慮も大切です。 つまり、配慮出来る担任に当り、その担任と親との意志の疎通が十分に取れ、子供も明るい性格が必要になります。 さらに学年が進むと、思春期近く位かな?

6、自分から障害の説明が出来、周りの仲間に協力をお願い出来る。

つまり、何処までが自分には出来、何処からはサポートが必要なのか把握しているようであれば良いのです。 この段階で親がしゃしゃり出て説明している様ではダメです。 自分自身で周りを説得できなければなりません。 これは簡単なようで、大変難しい事です。 “障害の認識”の問題となり、これが出来るようになって始めて 障害者として生きて行ける様です。 これらができて始めて、インテは、ほぼ完璧だと思います。

さて、みなさん、あなたのお子さんのインテは上手くいくでしょうか?
私としては、こんな子が沢山いるとは考えにくいのです。

成人したインテ経験者に話を聞いてみると、上手くいったように見える人でも 自分の受けた教育環境を肯定的に言う人は、皆無です。 たとえ、肯定的に言ったとしても「その時は、それしか選択肢がなかった」などの答えが帰ってきます。 そして、私が知っている範囲ですが、インテし、しっかりと自分の考えを持って生きている人に共通している事がありました。 その人たちは すべて「手話」を使っていました。 これが意味する事は何なのかを考えてみる必要があると思います。

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<聾学校の問題点>


聴覚障害児教育の歴史で述べたように、今の聾学校の基本的方針は聴覚口話です。 聞こえない子を、 聞こえる様にしよう、話せる様にしようとするものです。 色々な考えがあると思いますが私は、「母親法」が出て来て、インテが増加するまでは 時代背景や世界のろう教育の流れからして、しかたのない事だったと思います。 しかし、その時代(10〜20年位前)多くの子供が聾学校を去り出したにもかかわらず 聾学校は「母親法」をまね、聴覚口話一辺倒の教育を続けた事に問題があると思います。

それは、聴覚口話に適した子は、より音声日本語の溢れる世界を求め、早期に聾学校を去る様になっているのです。 ですから、聾学校には、それに適さない子しか残らない図式になってしまいます。 にもかかわらず、聾学校は聴覚口話を続けたのです。 その結果どうなるのか? はっきりしています。 聴覚口話に適さない子に聴覚口話で教えているのですから、教育成果など上がろうはずはありません。 それを見た親は無理してでも、子供を聾学校から出そうとします。 そんな状態なのに、聾学校は出て行く子供を引き止める術を持っていないのです。 この段階で聾学校は聴覚口話に適さない子供の教育法を真剣に考えるべきだったのです。 そんな教育法はあるのでしょうか? 私はあると思います。 それが、バイリンガル教育です。

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