岡本太郎の「緑の太陽」

 
1970年「人類の進歩と調和」を合言葉に開催された「大阪万国博覧会」。そのシンボルとして万博会場の中心にそびえ立っていたのが岡本太郎さんの「太陽の塔」です。
その「太陽の塔」、「黒の太陽」と共に「太陽シリ−ズ」として並び表されるのが、青山通りのビルの壁面を飾る「緑の太陽」と名づけられたモニュメント。信楽焼きのタイルを壁面に張り付けたモザイクの右下には「TARO」のサインも入っています。
このビルが建築されたのは1969年。ビル建設にあたって、「別府駅」から見える場所に何かインパクトのあるものをと考えたビルのオ−ナ−佐藤定人さんが岡本太郎さんに直談判して作成を依頼したところ、「太陽の塔」制作中で大忙しであったにも関わらず、快く引き受けてくれたそうです。それでは何ゆえに彼はこの突拍子も無い申し出を受けたのでしょう?それには彼が両親から聞かされていたことがあったのです。
岡本太郎さんの両親、漫画家である岡本一平さんと小説家である岡本かの子さんが、何度か別府を訪れていたのです。大正11年、浜脇で「第6回まんが祭」という催しが開催されました。その時に日本マンガ会会長だった岡本一平さんは、ちょうど洋行中で別府に来ることが出来なかったのですが、その後油谷熊八さんの招待を受けて夫婦で別府を訪れたのでした。
温泉と美味しい料理、そして油谷熊八さんの心からのもてなしに、すっかり別府が気に入った岡本さん夫妻は、その後も何度か別府を訪れ、太郎さんにその時の話を事あるごとに繰り返し何度も話して聞かせてくれたそうです。
岡本太郎さんにとって、何度も聞かされた両親の思い出の町「別府」。その町のビルの壁面を飾れるのは嬉しいと、上機嫌で引き受けてくれたそうです。制作に立ち会うため別府に来た太郎さんも事のほか別府が気に入られ、お忍びで何度も別府の町に遊びに来たそうです。
その壁画制作の際のエピソ−ドが伝えられています。
壁画制作上どうしても上部5メ−トル、幅1メ−トルほどが足りないことを知ったオ−ナ−の佐藤さんがビルが完成していたのにもかかわらず、後で足りない部分を追加建築をし、岡本太郎さんの作品制作に便宜を図ったそうです。
現在でもその継ぎ足し部分を壁画に見ることが出来ます。
 
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